雪の早明戦から30年

 今から30年前の今日87年12月6日に行われたラグビー早明
戦は史上初めて雪の中で行われ、早稲田が10-7で逃げ切り対抗
戦の優勝を決めると同時に早明戦の連敗を止める一戦となった。

 当時の大学ラグビー人気は社会人や代表戦よりも高く、特に早明
戦は国立競技場に5万を越える観客を集めて行なわれており雪の中
での一戦も然り。

 この年の早稲田にはSH堀越正巳や左WTBに今泉清が起用された
のに対して明治にも左WTBに吉田義人という1年生が起用されて
おり、試合前から大いに話題になっていたのだが試合自体も明治の
猛突進を早稲田が凌ぐという昭和の早明戦らしい展開となる。

 前半に早稲田が明治ゴール前で相手ボールのラインアウトをLO
篠原太がもぎ取って先制のトライを挙げると、明治もインゴールに
蹴り込まれたゴロパントを吉田が押さえるトライを上げ4-4と追い
付く。

 その後は明治がPGで逆転するが早稲田も2本のPGを決めて再
逆転して迎えた残り5分に明治が早稲田のゴール前に殺到し何度も
マイボールのスクラムから攻めまくるが、早稲田はギリギリの所で
耐えぬく形で時間は進むのだがスクラムを組むと会場が寒いため凄
い湯気が立ち上る壮絶な攻防戦の末に逃げ切ったのだった。

 ちなみに明治はゴール前で何度か相手反則を得たのだが筑波に敗
れていた事から引き分けでは優勝できないためPGによる同点では
なく、あくまで看板の重量FWの力で逆転トライを狙いに行くとい
う明治らしさ全開の猛攻を見せたものの早稲田の魂のディフェンス
の前に涙を飲んだ。

 当然ながら大学選手権では両校の再戦を見たいと思ったのだが、
残念ながら明治は選手権の初戦で大体大に完敗したのに対して早稲
田は早明戦の勝利で自信を付け決勝で大東大の連覇を阻んだ同志社
に競り勝って11年ぶりの大学選手権優勝を飾ると共にNHK杯で
は東芝府中に22-16で勝つという快挙を演じるわけである。

 あれから30年経ち明治が名伯楽だった北島忠治氏が亡くなって
徐々に弱体化し00年代以降大学選手権優勝から遠ざかり、早稲田
は当時2年生だった清宮克幸が監督になってFWの強化が進みスク
ラムなどのFW戦で明治を押し切るというオールドファンが見たら
卒倒するような展開が当たり前になってきた。

 メディアの扱いも30年前とは比べ物にならないぐらい小さくなっ
たのは大学の対抗戦の試合に過ぎない早明戦が代表戦よりも大きく
扱われるより健全だとは思うが、両校が互いの持ち味を生かして死
闘を演じた一戦の注目度が低過ぎるというのも寂しいものがある。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (Bill McCreary)
2017-12-07 23:19:14
>早稲田
は当時2年生だった清宮克幸

あ、清宮って、早稲田が、というか学生が最後に日本選手権で勝った時のメンバーだったんでしたっけ。Wikipediaを読めばわかることでしたが、頭から消えていました。

拙ブログでも書いたのですが、彼は日本代表には選出されなかったんですよね。

http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/7c073a4ef44364cfd83f35463b2ec2ab

コメント欄で、サイズの問題かという指摘をいただきましたが、宿沢ジャパンで起用されたら面白かったかもと考えます。

それにしても

>堀越正巳や左WTBに今泉清が起用された
のに対して明治にも左WTBに吉田義人

といったようなとびぬけている人は、今は帝京にばかりいるという印象がありますね。現サントリーの流なんて、まさに帝京ラグビーの傑作でしょう。ここは監督が固定している強みもあるかと思います。
 
 
 
宿沢理論からすれば (こーじ)
2017-12-09 23:29:55
>Bill McCreary様
 宿沢ジャパンは91年までですが当時の第3列はエケロマ・梶原・ラトゥでして‘6番はロック上がりのサイズを重視し、7番はバックス並みの走力を求める’と言ってましたしNo8はシナリ・ラトゥの全盛時でしたから厳しいですね。

 もっとも現在のような交代制があれば選出された可能性もありますが。

 スモールブッシュになると完全にサイズ重視でしたから門前払いかもしれません。
 
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