今日はどんな日 ・・・

今日の出来事、感じたこと。

今日の反省

2014年09月14日 | 日記
9月14日
日中は木陰の涼しさが心地よく思われた。
そんな中、70歳過ぎの女性が休み休み自転車を抱え気味に押している。
はて、パンクなのだろうか・・自転車で追い越し30m程過ぎた時点で気になるので引っ返して尋ねた。
パンクですか?
いや鍵を亡くしたがどうしても見つからないので自転車屋さんへ持って行くところ・・とポツリポツリ
と答えが返ったきた。
無くした場所から1時間以上かけてこの地点まで来たと思われる。
数歩押しては休みまた休み、後輪が回らないので大変さがわかる。
自転車店までまだ400mもある、おせっかいだが、代わりましょう! 私が運びますよ・・と
言ったが彼女は固辞する、妙なおっさんと思われたか? はたまた見ず知らずの人への遠慮か?
結局、手伝う事は出来なかったが、少し後悔している。
もう少し強引におせっかいしておけば良かったのでは。


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朝日新聞の罪は重い

2014年09月11日 | 日記
9月11日
今に始まった事ではないがどうしてこうも朝日新聞は偏った報道をするのだろうか?
最近は偏った報道を通り越し間違った報道で国内外に混乱を撒き散らしている。
既に大きな問題になっている従軍慰安婦報道の間違いや福島原発の吉田調書の間違った
報道等々。
福島原発についてはメルトダウンが始まった際、所長の命令に違反して職員の90%が
勝手に撤退した・・・とありもしない報道をした結果、外国メディアからは、これで
は韓国の沈没船セウオル号の乗組員と同じ(職務放棄)ではないかとの酷評を受けた。

話は飛ぶが小和田哲男著の「日本の歴史がわかる」本に従軍慰安婦に関する記述がある。
小和田さんはNHKの歴史ヒストリアにも度々出演している文学博士だが、彼は従軍慰安婦に
についてこう書いている。
「日本軍は植民地だった朝鮮から若い女性を”女子挺身隊”あるいは”女子愛国奉仕隊”
という名目で集めたのである、日本軍は二重の罪を重ねてしまった。」とある。
これなどまさに朝日新聞の記事を鵜呑みにして書かれていると思われる。
このように朝日の罪は非常に重い。
各方面からの非難にとうとう朝日の社長の会見が今夜行われるようだ。
果たしてどのような謝罪が出るか、見ものである。


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2014年09月11日 | 日記
9月11日
今に始まった事ではないがどうしてこうも朝日新聞は偏った報道をするのだろうか?
最近は偏った報道を通り越し間違った報道で国内外に混乱を撒き散らしている。
既に大きな問題になっている従軍慰安婦報道の間違いや福島原発の吉田調書の間違った
報道等々。
福島原発についてはメルトダウンが始まった際、所長の命令に違反して職員の90%が
勝手に撤退した・・・とありもしない報道をした結果、外国メディアからは、これで
は韓国の沈没船セウオル号の乗組員と同じ(職務放棄)ではないかとの酷評を受けた。

話は飛ぶが小和田哲男著の「日本の歴史がわかる」本に従軍慰安婦に関する記述がある。
小和田さんはNHKの歴史ヒストリアにも度々出演している文学博士だが、彼は従軍慰安婦に
についてこう書いている。
「日本軍は植民地だった朝鮮から若い女性を”女子挺身隊”あるいは”女子愛国奉仕隊”
という名目で集めたのである、日本軍は二重の罪を重ねてしまった。」とある。
これなどまさに朝日新聞の記事を鵜呑みにして書かれていると思われる。
このように朝日の罪は非常に重い。
各方面からの非難にとうとう朝日の社長の会見が今夜行われるようだ。
果たしてどのような謝罪が出るか、見ものである。


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「花子とアン」と戦争

2014年09月08日 | 日記
9月8日
朝ドラの「花子とアン」は今、開戦直後の時代設定となっている。
この頃に生まれ育った我々でも実は戦争の事はよく知らないし教育もそんなに受けて
きていない。
たまたまだが40年前に買って、読まずにいた本を今読んでいる。
その頃は面白さを感ぜず放置していた本である。
山岡宗八の「小説・太平洋戦争」の本だが最近の朝ドラの時代の頃、南方の島々の日
本軍が敗戦に進む状況が事細かに書かれてある。
朝ドラで描かれている提灯行列で勝った、勝ったまた勝ったと浮かれているその時に
ニューギニアでは既に出口の見えない敗戦が重く進行していた。
例えばこんな事実がある、・・・
昭和18年頃、安達隊8,600名は4,500メートルの山越えを決行、道なきジャングルを切
り開きながら進むが、中腹以降は岸壁をよじ登り、また下るの繰り返し、富士山より
高い山頂付近の気温は氷点下30度の酷寒、軽装のままで8,600名もの兵隊が苦難の撤
退をなし終えたが死者は、2,200人以上であった。
実はこのような悲惨な状況は既にあちこちの部隊で発生していたのだが、この頃日本国
内では提灯行列というこの落差。
70年前の若き兵士の心情を察するに愕然とするが今朝も「花子とアン」を見、ドラマの
背景を想像している。


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大和市 米軍機墜落から50年

2014年09月07日 | 日記
9月7日
今朝の朝刊(神奈川県の地方版)に「米軍機 墜落50年」の記事があった。
そうか? あれから50年にもなるのか・・・
墜落は大和市とある、いや待てよ、おかしくないか、墜落事故は確か隣の瀬谷区の筈だったが?

調べると間違いなく横浜市瀬谷区で1977年9月に米軍機の墜落事故があった。
瀬谷区の事故の方が新しい事もあり、良く知られている。
大和市でも50年前に米軍機の墜落事故あった事は知らなかった、今住んでいる所から遠くない近
が事故現場だった。
その事故から明日で50年だそうだ。
空を飛んでいる鉄の塊が絶対に落ちない保証はなく、車にしてもが事故は常態化しているが車を
否定する人はいないように、利便性と危険は常に裏腹の関係にあり我々は利用してきている。
これらが無くなれば良いというものでもなく、うまくバランスを取りながら付き合って行くしか
ないようだ。


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