酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

さむいっちゃねぇぇぇ ラーメン食うすか?

2012-01-26 10:52:50 | ああ宮城県な話
ヨシケイのカタログを見ておりました。
「仙台屋台ラーメン」
写真でございます。

冬、ちょうど塾の帰り、青葉通りを駅に向かう帰り道。
屋台が数件ありまして、何とも言えない匂いが通りに立ち込めているわけです。
中学生が屋台に入れるわけでもなく、そこは素通りですが、実は入りたくてしょうがなかったわけです。
丹治さんとの帰り道ではいつもこんな会話を。
「いつか入ぇっぺし!」
ところが、入る機会もないまま、一件、また一件と屋台が少なくなってくるのです。
そして、現在に至っております。
結局、一度も入ったことのない酔漢でございました。

「仙台のラーメン」これは、後付の部分が多いとおもうのですが、カップ麺で発売されております「仙台辛みそラーメン」は、確か「味よし」のものではなかったかと。
ですが、仙台独特のラーメンってかつてはなかったかと思うのです。
その「味よし」と言えば・・・・・。
丹治さん他数名で呑んでおりまして。
飲み屋の帰り、国分町を歩いております。
「腹へったなや。ラーメン食うべ!」と相成りまして「味よし」へ向かいます。
もう酔っ払いです。
店内は混雑しておりました。
さんざん食った後。
「んで、ごちそうさん」と店を後に。
仙台駅前に着いたとき。
「んで、さっきのラーメン代。誰に渡せばいいのすか?」と皆で財布を広げておりますれば・・・。
「払ったの誰っしゃ?」
「おらいでねぇおん?酔漢か?」
「なして?俺でもねぇっちゃ!」
全員真っ青。
だれも代金を払ってなかったのでした。
三日後。
酔漢が、支払にまいりました。
「なんだや!わざわざ来てけたのすか!」と何故か誉められました。

映画館の脇にございました「悟空ラーメン」
ガラス窓に怪しい孫悟空がきんとん雲に乗っている絵が描いてありました。
あの絵を憶えていらっしゃる方も多いと思います。
店内は狭いです。
「んで、味噌バター大盛りでけさいん!」
札幌ラーメン系の正統派でございました。
ここのスープは独特で、あやしい看板ではありましたが、大変おいしいラーメン屋でした。
丹治さんに紹介。すっかり先生もファンになりまして、学生時代は一人で食べていたそうです。
親父さんが亡くなり、ご子息が復活させたと聞きましたが、それも今はなく(丹治先生情報によります。詳細はコメント下さいね)大変懐かしい味でした。

「伊達ラーメン」も映画館の脇、地下にあって、鉄鍋にはった濃厚味噌ラーメンは絶品でした。
値段も安くて300円そこそこで食べられたような気がしてますが・・。
麺が固めでして、「ラーメン喰ってるぅぅ」の感覚でした。

「すすきの」はチエーン店でしたが、「第七すすきの」は別。
ここだけ全然味が違っておりました。
斎川運動具店(当時)の側にありまして、何故か店内には「毛越寺庭園」の写真が大きく飾られておりました。
その写真をよくよく見ますれば「一本ラインのセーラー服」姿の中学生が大勢写っておりまして。
「なんだやおらほの遠足の写真でねべか」と、眺めながらの味噌ラーメン。
「先輩すかや?」と聞こう聞こうと思って・・・これも現在に至るです。
やはり、丹治さんと。
「すすきのさぁ行ってみっか?」
と言えば、当然「第七すすきの」の事だったのです。

「まんみ」は、「マーボーラーメン」とか「広東麺」が食べたくなるときに立ち寄りました。
中華料理系ですが、これもおいしくて。
大学に通い始めた頃友人に紹介されました。
昼時、酔漢がカウンターで食べていると。となりに作業着を着たおじさんが数名。
ふと顔を上げますと。
「何だや!酔漢ちゃんでねぇか!」
「おんちゃん!ここさぁ来んのすか!」
叔父さんが座っているわけです。
以前、「くだまき」にもいたしましたが、サッカー編で登場いたします従兄の親父さん。
「授業はなんじょしたのすか?」(いつもの台詞だぁ。仙台は狭い)
「親父さぁは内緒にしてけねぇすか」
「いちいちいわねぇっちゃ」
僕のテーブルの上には今見て来たばかりの映画のパンフレットがしっかり置いてあったわけです。
その「まんみ」からもう一つあやしい通り(名掛丁)に入りますと「王将」がございます。
ここは餃子がおいしかった。
ラーメンは札幌味噌ラーメン。
夜遅くまでの営業でしたので、呑んだ後の〆に使いました。
さんざん呑んで、ギョーザと味噌ラーメン。
よく食えた?若かったなぁ。

名前失念。
霊屋橋から瑞宝殿へ入る細い道の角に一件のラーメン屋がありまして、高校時代、吹奏楽部の連中とよく行きました。
その中には「かんのようこ」ちゃんもおりまして、何故か、彼女も覚えていてくれたようです。
「神様『かんのようこ』もラーメン好き」
(秋葉系の人たちには、彼女のイメージがぁぁ。ご容赦)
調べましたが、記録がなくて、当然今はないラーメン屋です。
がたぴしの戸。本当に場末のラーメン屋でした。
だって、ラジオから「プロ野球中継」が聞こえてくるわけですから。
これ大事なBGMでしょ!

文理予備校真裏喫茶店「自在画」
喫茶店でありながら、支那そばは絶品中の絶品。
「旨い!」
もし、現在もあれば行列が出来ると思います。
ここラーメンには仙台の歴史が詰まっておりまして。
その昔青葉通りにありました幻のラーメン屋「ちょうちんや」
母が大好きだったラーメン屋です。
酔漢は書道展の帰り(小学校一年生)に一度その暖簾をくぐりました。
もっとも、まだ熱いラーメンが食べられず、小皿に移してのものでしたが、チャーシューがおいしかったのを覚えております。
その「ちょちんや」が無くなり、本町へ移転。やはり文理の裏でしたが、すぐに閉店。
その「ちょうちんや」の味を「自在画」のママさんが受け継ぎました。
魚の出汁と薄口醤油。細いちぢれ麺。
なんのことはないラーメンでしたが、これがまたおいしい。
「湘南支那そば」は全国的に有名店ですが、これはこれで「超こだわり」ラーメンですが。
「ちょうちんや」の味と塩竈「来々軒」の支那そばは、これがやはり一番かと思うわけです。
ラーメン半額の日が時たまありまして、この日は二杯食べた酔漢でした。
仙台「ちょうちんや」は、本当に記憶の中のラーメン屋となりました。

予備校側にはラーメン屋が多くありました。
黄色の看板「富士屋」もそう。
少しこってりぎみのスープ。
ここも、大学時代に知ったラーメン屋です。
「あの看板がすこし怪しくねぇか?」とおもいましたが。
ボリューム満点のラーメンに満足でした。
あまり、行ける位置にはなかったのですが、とても印象に残る味でした。

塩竈は先の「来々軒」多分、酔漢が人生で食べた最初の中華そばだったと思うのです。
今の店の前の頃。
あの本塩釜駅の歩道橋を渡るのいやでしたが、それも、来々軒に行くとなれば別です。
最初の中華そばが来々軒ですから、他の店のを食べても、感動しなかったわけでした。
今も寄ります。
「チャシュー麺大盛りとチャーハン」これが定番です。もう一気に食べてしまいます。

「釜平」は昔45号線。トーコーの向かいぐらいだったかなぁ。
(この辺りは丹治さんのテリトリーですので・・・)
野菜の一杯入ったラーメンが好きでした。
味噌ラーメンがおいしくて、本塩釜駅前に移転したときは、近所に出来た!と「うれしがったなや」でした。
「スタミナラーメン」というのがありまして、「鶏砂肝」が入ってたりもします。
文字通りスタミナ系ラーメンだったのでした。

青葉通りを歩いております。酔漢中学生。
駅へ向かいながら、屋台を通りすぎます。
「丸美屋」
「南部軒」
何故か提灯がさかさまの「大分軒」
ラーメンに限らず、おでん、煮込みなど。
もっと多くの名前がありました。
聞けば、今は三件だけの営業だとか。
「一代限り」という法規制もあるようです。

雪がちらつく青葉通り。
やはり屋台の提灯にはそそられます。
「いつか・・・いつかへぇっぺな!」
重ね重ね、何故か屋台に縁のなかった酔漢でございました。

仙台に残ってもらいたかったもの。
「赤レンガの建物」
「青葉通りの屋台」

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6 コメント

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冷えました~。 (すず)
2012-01-26 11:53:33
 今朝は冷えました~。しかも朝5時半すぎに震度4の地震!こうなると、意地でも布団から出ないぞぉ~という気持ちになります(笑)

私も「まんみ」によく行きました♪本格的な中華の麺は、どれも美味しかったですね。もう20年も前ですが、ラーメンに酢を入れて食べるのが、なぜか仲間内で流行りまして、私はまったく酸っぱいものが食べられないので、スープの色が変わるくらい(瓶の半分は入れてました)酢をかけて食べる友人たちをみて、ラーメンがもったいないなぁと内心で思っていました。

>全豪オープン
 錦織君、試合中はいけそうな気がする!という流れだったんですけど、残念でした。でも、成長を感じられる好い試合ばかりでした。次に期待大ですね。
返信する
屋台のおもいで (ゴエモン)
2012-01-26 19:39:32
酔漢様はご存知かと思います。
塩竈にも屋台があったことを。
今のシェ・ヌーの反対側の土手(漁業会館側)におでん屋さんの屋台が数件ありました。祖父に連れられ、おやつタイムはその屋台でした。6才の頃です。さらに、ヤミ市の「ひょうたん」もデビューは6才でした。
あの辺りには変な見せ物小屋が時々、出没し指のないお姉さんが後ろ向きで手を見せたり(今、思うにただ中指を折り曲げていただけ?)今でも記憶にあります。
疑問なのが、昔の本塩竈駅脇にあった、「スズメ焼き」の看板でスズメを食べていたのか…?
酔漢様はご存知ですか?
返信する
すず様へ (酔漢です)
2012-01-27 09:17:40
「まんみ」のラーメンにお酢を入れている方は多く見ました。ですが、私も好きではありませんでした。でも、友人等はすず様ご友人同様、スープの色が変わる位お酢を入れておりました。ちなみに母もそうでした。

すず様お得意のラーメン店は?他にもおありとお見受けいたしました・・。
返信する
ゴエモン様へ (酔漢です)
2012-01-27 09:25:58
「ひょうたん」は、実は丹治さんと一杯やりに行きます。屋台ありましてねぇ。
夏になるとお化け屋敷が必ず出没してましたし、なんとも怪しい雰囲気でした。もっとも、昔の駅のあたりでしたし、少し影になっておりましたし。

「すずめやき」ハイ!おっしゃる通り!
すずめ焼いて出しておりました。
すずめを取る人が確かいて、免許制でかすみ網を両方で挟むようにしてとります。
本をたたむような感じでした。
田圃のすずめはおいしいそうで、高砂とか多賀城あたりのすずめが多かったとか。
頭串刺しで小さいもので二羽が刺さってました。
ここまで書いたら食べたことがありそうですが、その店では流石になくて、見ただけです。仙台の焼き鳥屋で大学時代に食べました。
返信する
こりゃぁムズカシイ宿題だ・・・ (丹治)
2012-01-27 11:25:38
いやぁ、何ともムズカシイ宿題ですなぁ・・・
ラーメンとなると、小生も言いたいことがありすぎます。
何回かに分けてコメントしたいと思います。

酔漢さん、勘弁してけらいん。

御供ラーメンは、酔漢さんに教わったんでしたね。
カウンター一列のお店。
ギャバンの大きな缶に入った粗びきの黒胡椒が印象に残ってます。
あの味噌ラーメンの味は、今でも忘れませんよ。
広瀬通と東一番丁の角から、稲荷小路に移りましたね。
ドイツから帰って訪ねたら、空家になっておりました。
すっかり落込んで名掛丁を歩いててふと脇を見ると、あの懐しい看板。
今は一階にツルハドラッグが入っている雑居ビルの地下でした。
因みに同じビルの同じ階にはチロルが健在です。

ここには随分長いこと通いました。
お母さんにわけを聞いたのですが、
御主人を亡くされて、女手一つで夜の稲荷小路はちょっと・・・
というのがあったそうです。
最後には文化横丁、二番丁小学校のすぐ裏でした。

東映ビルの時はもっぱら味噌ラーメン。
名掛丁と文横の時は味噌メンマや味噌メンマコーンをよく食べてました。
非常勤時代には、我が授業を聴いていた学生諸君と飲み会もやりました。
現在は某放送局のアナウンサーとして活躍中の某君の曰く、
「あそこの天津飯は、よそではちょっと食べられない」。

名掛丁からこっち、パイカルやコーリャンチュウも飲んでました。

そういえば二月四日の新年会、
悟空のお母さんと会いますよ。
返信する
丹治様へ (酔漢です)
2012-01-27 17:35:27
宜しくお伝えくださいませ。
あの味は、「悟空」でしか味わえません。
ゴエモン様がコメントしてくれました藤沢にあります「こぐま」もなかなかです。
釜平は今ありますか?
気になるところです。
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