循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

田中康夫退陣後の住民運動

2007年10月11日 | その他
◆男たちの裁判
 2006年12月28日、長野地裁でひとつの住民訴訟が和解で決着した。
 長野県岳北広域行政組合(以下広域組合)が進める新焼却場建設計画に対し、同年3月14日、飯山市の住民たちが広域組合を相手取って起こした「建設契約の締結と公金支出の差止め」訴訟であった。なお広域組合は飯山市、下高井郡木島平村および野沢温泉村の1市2村で構成されている。
 訴状の中身は過去のごみ処理実績や人口の将来予測に数字の誤りがあり、このままでは約12億円のムダ使いを招く、というもの。それが1年もたたぬうちに腰砕けのような和解となった背景には明らかに田中康夫知事の退陣(同年8月)があった。
 翌9月には広域組合の管理者でもある飯山市長に農業王国長野の実力者、石田正人が無投票で就任。その結果、田中前知事が約1年半凍結していた施設建設計画の申請手続きは村井仁新知事の手で即刻“解凍”。「昭和18年度岳北地域循環型社会形成推進計画」が県から国に再提出され、交付金の仮交付も決まった。
 「このまま推移すれば行政側が何らの支障もなく事業を進めてゆける」(原告団記者会見資料より)状況となり、原告側の「闘争意欲」は急速に萎えた。
 和解の条項は二つ。ひとつは「廃棄物減量等推進審議会を開催し、循環型社会の形成を促進する」。二つ目が「業者選定に当たっては公募型指名競争入札を実施する」というもの。被告側にとっては痛くも痒くもない条項であった。
 長野市在住で、廃棄物問題の運動家として全国にも知られる関口鉄夫氏がいう。
 「和解は代理人になったM弁護士の体裁だけを考えた撤退策にすぎません。完全な敗北です。今回の裁判は前市議の何人かが時の権力に楯突くことだけを趣味にしている男たちと結びつき、女性たちが地道に取り組んできたごみ減量化運動を置き去りにした運動でした」。

◆第二の夕張に?
 現在、飯山市瑞穂地区で稼動中の岳北クリーンセンターは1985年につくられた准連続炉(40t/16h)で、2001年に大改修が行なわれている。木島平村も野沢温泉村も各戸焼却で済ませていたところ、ダイオキシン規制に引っかかって2000年、岳北への搬入となった。それでも処理量は1日あたり約30トンとまだ余裕がある。市役所内部にも新しい施設は必要ないという声が多く、隣接する中野市の東山クリーンセンター(130t/日)に焼却委託をする話もあった。業界誌にもしばしば登場する有名な施設だが、最近はごみが足らず、中野市もその話に乗りたかったようだ。
 さらに前飯山市議のE氏によると現施設改修の際、請負ったプラントメーカーが「あと15年は使える」と保証したという。だが元飯山市長はそれを無視して新施設建設計画を進めた。四半世紀に一度あるかないかの大型公共事業である。久々に多額の金が動く。
 02年4月、公募委員を含む建設検討委員会から「候補地白紙の」建設計画が広域組合に提出され、翌年10月、建設適地として飯山市内4地域が広域組合から公表された。
前記E氏によれば「あくまで藤沢が本命、ほかの3地域はダミー」という。その証拠に藤沢以外の候補地に相次いで激しい反対運動が起きたが、いずれもあっけなく収束している。
 その本命、藤沢地区は飯山市の最北端、千曲川上流の細い谷あいの集落である。逆転層の不安もぬぐえない。戸数は約60と、典型的な過疎地域である。地元住民はこれでこの地域もよくなるからといわれ、広域組合は手早く買収済みの土地造成にとりかかっていた。
 だが飯山市の財政事情から見て交付金が下りたとしても新クリーンセンターをつくる財政基盤は万全なのだろうか。
 05年度末の起債残高は一般会計の144億円を超えており、しかも07年度の歳入総額151億円の中で自主税源となる市税収入はわずか15%。4割以上を地方交付税に頼っている現状だ。これに加え2014年開通の北陸新幹線を飯山に停めるための周辺整備事業に約60億円が必要となる。その上に新クリーンセンター建設費24億円を含む総事業費44億円という廃棄物処理施設の建設はとてつもなく重い。心ある市民は「飯山が第二の夕張になる」と懸念する。
 だが広域組合(実質は飯山市)は建設計画の正当性を打ち出すため、見え見えの数字操作をやった。

◆ひいきの引き倒し
 すでに飯山市における人口は10年前の2万8,112人から本年1月末には2万5,362人に減少している。この傾向は治まる気配がなく、
二つの村を加えても5年後には約3万2,000人、12年後には約2万8,000人がやっとである。そんな中で新しい施設は全連続炉の35t。現在のごみ受入量ですら年間7,700tなのに、広域組合は計画年の2010年の排出量を9,400と見込んでいる。まさに水増しだった。
 本来なら住民側はそれらの事実関係をベースに飯山市内全域に地道な反対運動を築いてゆくべきだった。だがそこに落とし穴があった。
田中康夫県政の存在である。前記関口氏がいう。
 「勝手連を擁して田中を当選させたのは俺たちだという顔をする少数の男たちが市長室や知事室へ行って個人的に交渉をしてしまうのです。ひいきの引き倒しでした。自分の気持ちだけを押し出す人たちですから人望がない。要は住民運動を踏み台にした運動だったのです」。
 こうした動きを冷静に見ていた市民も少なからずいた。
 「(吉村午郎前知事時代に)冷や飯を食ってきた市民運動の側に『田中にいえば何とかなる』みたいな風潮が出てしまったような気がします。これでは従来、知事に取り入っていた既得権者と紙一重だと思います」(ブックレット「田中康夫」の通信簿06年7月)。
 その田中県政は03年ごろから脱ダムと並んで独自のポリシーに基づく廃棄物条例づくりを急いでいた。中心となるキャッチコピーは「できるだけ燃やさない・できるだけ埋めない方向への転換」である。

◆「水平補完」というポリシー
 廃棄物条例案は市町村側の感情を少なからず逆なでした。
 そのひとつが「計画策定委員会の設置」である。つまり市町村が一般廃棄物の処理施設を新設・改修する場合、「計画策定委員会」と協議し、知事の承認を受けるというもの。
 この構想と市町村側の思惑が真正面からぶつかったのが新岳北クリーンセンター建設問題である。田中知事は住民からの指摘どおり将来の人口予測、施設の規模などについて飯山市長(広域組合管理者)から聞き取りをしたあと、国への計画書提出を保留にした。
 飯山市長にしてみれば「ごみ処理施設の建設は市町村の固有事務であって、県の許可事務ではない」という反発がある。
 だが田中知事独特のポリシーのひとつに「水平補完」があった。国、県、市町村の関係は下降的ヒェラルキーではなく平等な補完関係であるべきという思想だ。しかし市町村側にしてみれば国との関係を「水平」にするのは県の勝手だが、県の市町村に対する姿勢は上からの圧力としか映らない。地方自治の主体性を阻害しているのは長野県だという不満である。
 地域とのしがらみが多い市町村にとって田中康夫は鋭利な刃物であった。
ひとつの例として飯山堆肥化センター事件がある。この民間企業は関東地方からもトン当たり平均8万円程度で食品汚泥等を受け入れ、年間3万トンにもなるのに販売実績はわずか50トン。残りを飯山国際営農地に埋め立てていた。同センターはもともと農協でつくる予定だったが、90年代のはじめ、長野県出身の代議士(安倍内閣の現閣僚)がある男にやらせたものであり、飯山市の部長クラスの天下り先でもあった。そのため環境汚染を懸念する声も周辺からあがっていたが飯山市は見て見ぬふりを続けてきた。
 長野県が同センターの環境調査に入ったのは04年11月のことである。翌05年8月には肥料製造と出荷停止を勧告し、事実上センターを廃業に追い込んだ。肥料取締法、農地法、農振法違反で市の幹部が逮捕されてもおかしくない事件である。
 よくも悪くも田中の「鶴のひと声」だった。一部市民はその効果を利用し、すねに傷を持つ市町村はひたすらそれを畏怖した。
 だが2006年8月、田中康夫失脚によってすべては以前に戻った。同時に田中康夫がつくった秘書チーム、信州広報チーム、公共事業改革チームなど8つから成る経営戦略局は跡形もなく消え、ユマニテ、コモンズなど横文字であふれ返っていた組織機構は村井新知事の手で“正常化”された。
 ガラス張りの知事室をはじめ、「田中康夫の痕跡」を完膚なきまで拭い去る作業はいまなおつづいている。
 だが地域住民にとって財政問題・ごみ減量化を中心に「田中頼みでない自立した運動」を再構築するまたとないチャンスであることも確かなのだ。

季刊環境施設2007年春号所収

 だがかつての吉村県政下では主体性どころか「県に何かしてもらいたい」と口をあけて待っていたのが多くの市町村だったのである。つまり田中憎しで「自治侵害論」を展開したにすぎない。

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