途中ですが、ちょっと書いておかなければならないような気分になったので(要するにきちんと計画せずばたばたしているわけですがw)、メモみたいなものですが。
前に追加コメントとして書きましたが、『高僧和讃』で、親鸞は法然上人から伝え聞いたこととして、こう書いています。
《命終その期ちかづきて 本師源空(=法然)のたまはく
往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし(111)
源空みづからのたまはく 霊山会上にありしとき
声聞僧にまじはりて 頭陀を行じて化度せしむ(112)
粟散片州に誕生して 念仏宗をひろめしむ
衆生化度のためにとて この土にたびたびきたらしむ(113)
阿弥陀如来化してこそ 本師源空としめしけれ
化縁すでにつきぬれば 浄土にかへりたまひにき(114)》
現代語訳(真宗大谷派西覚寺光輪会ホームページを参考にさせていただいた)
《臨終が近づいたことをさとられて、源空上人は弟子たちに語られた。
「浄土に往生するのは、今回が三度目になるけれども、今回は心残すことなく、浄土に帰っていける」と。
源空上人は自らおっしゃった。
「釈尊が霊鷲山で法会を開かれた時、私は仏弟子と共に修行し托鉢に出ては、人々を教化していたものだ。
粟粒のようなこの国に誕生して、念仏の教えを広めてきた。
人々を導き救うために、この国には何度も来たものであった。」
まことに源空上人は、阿弥陀如来が人々を救うために人となって現れてくださったのだ。
教化のご縁が終わったので、浄土に帰っていかれたのだった。》
さて、これをどう位置づけたらいいでしょう。
法然上人が示寂したのは、1212年です。
親鸞を含む法然門下が流罪(一部は死刑)になったのは、1207年です。法然は土佐(讃岐に変更)へ、親鸞は越後へ配流されました。
法然は1207年中に赦免され、1211年に京都吉水に戻りましたが、親鸞は同1211年赦免されたものの、すぐに京に戻ることなく、翌年、法然は入滅しています。つまり配流以降、親鸞は法然に会うことなく死別しているわけです。だから臨終時の法然の言葉は直接聞いていない。高弟から聞いた話でしょうか。構成上、最初の111は弟子からの伝聞、112と113はそれ以前に直接聞いていた話かもしれません。
いずれにせよ、「法然先生が騙すのなら私は地獄へ行っても構わない」とまで言った人です。他の弟子からの伝聞もあったにせよ、先生がこう言ったということは、否定しようがないでしょう。そして、こうやって和讃に記しているのだから、これは真実だと思っていたでしょう。机上の教義ではなく、実際に生まれ変わってくるのだ、と。
親鸞自身は、自分に再生してきたという自覚があったようには思えません。自分は罪深い身、そんなものではない、と。しかし、念仏して浄土へ往ったら、自分自身も必ず生まれ変わってくると確信していたのか……。
(ところで、一般の生まれ変わり=輪廻と、この穢土への還来とは、どう違うのでしょうかね。仏となっての還来は目に見えない? でもそうすると法然の言葉は矛盾しますね。)
最新の画像[もっと見る]
- 【雑報】ウィルスの不思議 12年前
- 【雑報2点】異才の詩人・写真家/無限の夢 12年前
- 【「私」という超難題】(15) 世界への意志 12年前
- 【雑報】スペインのトンデモ修復が世界を抱腹させている 12年前
- 【雑報】スペインのトンデモ修復が世界を抱腹させている 12年前
- 【雑報】スペインのトンデモ修復が世界を抱腹させている 12年前
- 【雑報】丸山桂里奈さんが撮った写真が話題になっているけれども 12年前
- 【おまけ】憑霊による外国語書記 12年前
- 【ワロス】2ちゃんVIPの仏教相関図が面白い 12年前
- 【拾いもの】三つ鳥居の謎 12年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます