浄土信仰に関する愚見を書いていたところに、ちょうど本屋さんで一冊の本に出逢いました。
井原今朝男『史実 中世仏教』第1巻、興山舎、2011年3月(本体2800円+税)
400頁に及ぶ大著です。この著者の方、ものすごい博捜力を持っておられるようで、面白いトピック満載の面白い本でした(なんという稚拙な表現)。中世仏教については、寺院(宗派)・教理などの面から見た通史研究はたくさんありますが、社会史までを含めて総合的にまとめた本は、あまりなかったのではないかと思います。史料検討に終始するものでもなく、素人でも読める(部分的に飛ばしても)、大変ありがたい本です。
目次をあげておきます。
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序章 仏教社会史への新たな道
第1章 中世の僧侶と庶民の実像
寺をつくったのは無名の勧進僧だった
寺の中で僧俗が争い始めた時代様相
寺によらない聖が生まれた史実
地方寺院を支えた僧侶
寺に生きる者が庶民の半数にも及んだ史実
大飢饉の中で寺や僧侶はなにをしていたか
第二章 中世僧侶の清潔心と湯屋
中世僧侶の生活と現代人の清潔好き
日本最古の湯屋は寺にあり
湯施行の普及と身分差別意識
中世都市寺院と風呂文化の開花
第三章 中世仏教と死者供養
人が仏教により葬られ始めた時代
葬送服喪儀礼と中陰・月忌の普及
死者供養を二分した真言と念仏
中世庶民はどのように葬られたか
人々はなぜ肉親を野に棄てられたか
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面白かったポイントの一部を、あげてみます。
・奈良仏教から、すでに妻帯・副業をした僧侶がいた
・正式な僧侶ではない、私度僧、聖が非常に多くいて、仏教の弘通に貢献した。
・中世の京の大路や河原には、死体ばかりか、瀕死の病人、遺棄された幼児などがごろごろしていた。
・中世にも天台・真言は、加持祈祷などの呪術によって広く活動していた。
・日本の死者供養儀礼は仏教ではなく『礼記』が基本になっている。
・死者供養には念仏と光明真言(土砂加持)が併用されたり、競合したりした。
・光明真言は高山寺明恵上人、高野山金剛三昧院、律宗西大寺叡尊らによって展開された。
・葬送の基本形式は、荼毘あるいは放置葬→骨寺へ納骨→供養寺で供養。
・庶民は初期は放置葬のみ。時には物忌規制を避けるため瀕死の病人を公共墓地に遺棄したりもした。(従って、親鸞の「遺骸は鴨川の魚に」や一遍の「野に捨ててけだもに施せ」は、「庶民と同じやり方で」という意味に取るべき。)
・「穢れ」の拘束力は相当大きかった。
そのほかにも、風呂や歯磨きの話など、雑学に類することも史料から探究されています。
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浄土信仰に関して、面白いトピックがありました。法然のお弟子さんの業績です(123-127頁)。
《法然上人の弟子であった源智は、上人の一周忌を前にした建暦二(1212)年十二月二十四日にその恩徳に報いるため、阿弥陀如朱像の造立を発願した。その仏像は近江の玉桂寺に保存・伝来されており、その胎内から像内納入品とともに、「源智願文」が取り出された。その願文の一部につぎの文章が記されている。
『像中に納め奉つる所の道俗貴賤・有縁無縁の類ならびに愚侶の方便力に随ひ、必ずやわが師の引接を蒙り、この結縁の衆、一生三生の中に早く三界の獄城を出て、速やかに九品の仏家に至るべし、〔中略、引用者〕もし、この中の一人、先に浄土に往生せば、忽ちに還り来りて残衆を引き入れ、もしまた愚痴の身、先に極楽に往生せば、速やかに生死の家に入りて残生を導化せん、自他の善、和合するは、ひとえに編み目に似る、わが願をもって衆生の苦を導き、衆生の力をもってわが苦を抜かん』(『建暦二年十二月二十四旧源智造像願文』)
つまり、数万人の姓名を書き、三尺の阿弥陀如来像の中に納めるのは、衆生を利益するためである。道俗貴賤・有縁無縁の類ならびに僧侶の方便力によって、わが師法然の導きによって早く仏家の悟りの世界に至るべきである。〔中略、引用者〕一人でも先に西方浄土に往生したら、往還回向して残った衆生を導化すべきである。自他の善、和合の心は、自分の願いで衆生の苦を救い、衆生の力でわが苦を払うことである、という。まさしく、法然の一周忌の造像事業に結縁した数万の人々はまず、先に往生した人は、他人のために現世にもどって残った衆生の救済につくすべきであることを誓願したのである。ここには、法蔵菩薩の誓願のように、来世に極楽往生した人は、率先して現世に還って衆生を救済する往還回向の教えが実践課題として提起されている。》
結縁者の名簿には、土御門院、順徳天皇、源実朝、西園寺公経などの権力者名が並ぶが、
《その一方で、仏像の胎内に納入するためクシャクシャに折られた冊子には「よね」「なか」「さふろう」などと一般庶民の名前も大量にあり、「エソ三百七十人」「越中国百万遍勤修人名」などともあった。そのほかにも越前・加賀・能登・越後など庶民の名前は合計三千八百人も正確に記載されていた。こうした人名をすべて合わせればなんと約四万六千人あまりにも及び、正確な人数は今なお不明である。それほど、多くの中世の庶民が造仏のための勧進に縁を結び、極楽往生を願っていたのである。まさに中世人が一人ひとりの名前を記録するためのすさまじい熱気を今に伝えているかのように感じた。》
八万人以上の人が、勧進に応じて銭や供物を出し、仏像建立をしたというのです。中世人の浄土への希求が如実にわかる事例ですが、「一人でも先に西方浄土に往生したら、往還回向して残った衆生を導化すべきである」と、ちゃんと還相回向のことが書いてあります。
また、「必ずやわが師の引接を蒙り、この結縁の衆、一生三生の中に早く三界の獄城を出て、速やかに九品の仏家に至るべし」というところも注目されます。他界した法然上人の「引接力」が重要視されており、それゆえに寄進の意味があること。また、「一生三生の中に」はちょっと意味不明ですが、へたをすると三回かかるというのなら、「必ず往生」という教義に反しますね。
原理的に言うと、こうやって恩師に引導を願うこと、そのために「結縁」を重視することは、法然の教理「専修念仏」からははずれています。まあ、法然門下にしろ親鸞門下にしろ、なかなか「専修」は徹底されず、他の儀礼・行などと雑修されたようですから、この程度のブレは仕方ないのでしょう。
こうやって、「庶民仏教」――「浄土往生」「死後成仏」をメインとする「独自」宗教――が展開されていった。それをよく示す出来事だと思います。
そしてその際にキーポイントとなったのが、「結縁(けちえん)」と「供養」だったようです。その話は、また機会があったらにします。
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