Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

迷いを誘い自らも迷う

2009-02-13 12:32:16 | ひとから学ぶ
 完全主義的な視点は、人を必ずしも成長させない。とはいえ楽観的過ぎてもどうなのか、ということになる。子どもを育てるということはそのあたりのバランスということなのだろうが、なかなか上手いようにはいかない。子どものころ親に何を言われて育ったか、などと回想したところであまり記憶にもない。いや、あまり言われもしなかったのかもしれない。それは優等生だったからではない。けして誰もが高学歴など求める時代ではなかっただけに、農家のそれも分家のような小規模農家にとっては働くことが第一という印象があった。「みなが高校に行くから高校ぐらいは行った方が良い」程度の意識であって、「これからの世の中は学歴が必要だ」などという言葉は親から聞いたことはなかった。もちろん我が家でのことで、よその家のことは知らない。しかし、子どものような情報源の少ない者にとっては、高学歴を求める者がいなければ、皆と同じようなところで了解しているものだ。たまたまそんななかにも優秀なやつがいて、親に諭されなくとも十分高学歴を目指す者もいたが、専業から期間的労働併用、あるいは兼業への移行期にあっては、低層農家の意識はその程度であったとわたしは思う。ようは子どものでき次第というところなのだ。

 ところが現代においては幼少のころから将来を想定する教えを親がする。もちろんその教えとは、「勉強をしろ」という教えであって、別にそのような言葉はなくても良いものである。しかし、蓄積される子どもたちの意識はそこに歴然とした差を与えてゆく。それをまた確実に認識していく子どもたちは、すでに小さいころから自分の将来をどことなく想定するようにもなる。「おとなになったら何になりたい」などと聞いても、それは夢であったりするが、実はかなり現実に近いことを口にしたりする。自分のいるポジションを認識したりするのだが、実はその認識には大きな落とし穴があったりする。

 会社で使えないとレッテルを貼られた社員が、自ら身を引いていく。しかけたやつにとってみればそれは幸いなことなのだろうが、使えないと判断するのも、また使えないと判断される人を作ったのも会社であることに違いはない。ではその境界はどこにあるのかと問えば明確なものはないし、どれほど優秀であろうと、根本的な判断ができない人はどこかでほころびがでる。何をもって優秀なのか無能なのかという判断は、ある一定の人の趣味によるところが大きい。誰しも画一的な同じ人間ではない。使えないと判断せざるを得ない人を作った自らを責めるべきだろうし、その場に居なかった者も、社風がそうした雰囲気を醸し出したことは認識しなくてはならない。しかし、それを口に出して注意することはもともと少なかったが、今やわが社ではほとんどない。仕事の進め方についての留意点を指示することはあっても、具体的な行動部分を示して叱るということはほとんど見なくなった。何も指図されない以上、言われたとおりに実行していく部下であることは仕方のないこどである。すべてが周辺が招いた現実である。

 これは会社内のことであるが、世の中でも同じなのだろう。この世の中を哀れ見るのは、しいては自らのなしたもの、と言わざるを得ないが、個人ではどうしようもないことも事実。そういう観点では、広域化するほどにどうしようもなくなる。それが「交流」の欠点でもある。多様な情報は、個人の内に迷いを呼ぶ。しかし、必ずしも目指すところは多様ではない。一つの目標を据えていかなくてはならないのだが、それが見えないと人は迷いの中で結論を出そうとあがく。これを子どもたちに照らし合わせれば、あまり良い結果は見えてこない。情報過多が果たして幸福とは言えないのである。
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自給と食のイデオロギー

2009-02-12 12:25:15 | 民俗学
 「百姓が野菜を買うなんて恥だ」という話者の言葉に小さな衝撃を受けたという古家晴美氏は「自給と食のイデオロギー」(『日本の民俗4 食と農』2009/1 吉川弘文館)において、「自給」について解く。それほどその自給を事細かに解かなくとも良いとは思うのだが、きっと農業を捉えるにあたって、自給とは何かを自らの、そして読者に対してもはっきりとさせておかないといけないと考えてのことなのだろう。しかし古家氏の捉えるものすべてが「自給」というものなのかどうかについては納得いかない部分も少なからずある。

 例えば商品作物としての野菜に対して個人が家庭菜園などで作る自給的な野菜を「自給野菜」としている。簡単に言えば市場に出回らないものと出回ったものとの対比となる。採算性のないものが自給野菜というのもおかしな話であるし、また趣味的な栽培と農家が自らの自給のために栽培するものとは明らかに違うと思うのだが、どうもそのあたりが混同されている。『日本の民俗4 食と農』そのものがどことなく現代の家庭菜園とか、あるいはサラリーマン農業を前提にして捉えているからこういうことになるのだろうが、視点としてあって不思議ではないものであるが、「食と農」というタイトルの背景にするにはどこか視点が違う。これは多様な農村の姿を網羅していないせいかもしれないし、また新たな動きを意識しすぎているせいではないだろうか。これでは農家はますます自らの内で自給することはかなわなくなる。冒頭の農家の言葉は誰しもが思ったものではない。とくに近代化する中では、高付加価値な商品を栽培するために自家用の野菜は作らない人たちも増えた。それはとくに米に依存していなかった地域に顕著である。わたしの身のまわりでも果樹栽培に特化していったのは、水田が乏しかったせいである。そうした地域では自給という考えよりも換金作物で銭を稼ぐという意識が強かったといえる。そうした地域はそれぞれの地域ごと特色をもって多く存在することだろう。ところが水田の多い地域では野菜も作り、自給的な生活を展開していたことだろう。そしてその境目は明確ではない。妻の実家では明かに水田の面積は平地農村に比較すれば少ない。結局水田での収益が平らなところより少ないから、面積が少なくとも多種多様な野菜ができる土地を有効に利用した。もちろん山のものも利用される。平地から山間に向かうにあたり、その境界域は明確ではない。それを家庭菜園的な世界と混同してしまうと、違和感があるのは当たり前である。自給作物は必要最小限の投薬で安全性を優先するという考えはかつてのこうした自給的農家にはあまりなかった考えである。もちろんその時代には科学肥料にしても農薬にしても高価で手に入らないということもあった。今の無農薬の意識による低農薬農法と、かつての農法には明かに違いがある。

 そうしたかつての農家の事例と家庭菜園を作る非農家の事例を絡めてしまうのはどうなのだろうか。古家氏が冒頭の言葉の後日談を紹介してこの章をまとめている。「この言葉を聞いてから、10年後に再び、詳細な調査をおこなった。氏も少しずつ体力の衰えを感じ始めたが、10年間で栽培を中止した作物の数の方が全体的に多い。直売所で100円で売られているキャベツを見ると、57円の苗を買ってきて手間隙かけて育てるのはばかばかしい、という」。これは自給ではなく市場に出して金銭を稼ごうという市場原理と確かに関係することである。盛んにこの「市場原理」という言葉を多用しているが、そもそも主たるものは米、そして他のものでも足しにしようとして、さまざまな野菜作りに展開していく。これは米中心地帯というよりも畑も目立つ地域と言えるだろう。さらに転作奨励によって水田地帯で米を作れなくなると、いわゆる古家氏のいうところの市場原理の世界に足を踏み込むことになる。しかし、農産物は年によって異なるし、収穫できる時期によっても環境は変わってくる。さらに市場ニーズもあって、すぐに対応できるものも少なからずあるが、おおかたは天候頼みであってそこそこの時間を要す。さらにはその地域の風土によって出来ばえは変わってくる。例えばある地域で無農薬でものになった野菜が、他の地で同じ方法で無農薬でできるとは限らない。まさに風土によって特徴があるといえる。これを個人の裁量だけで成果をあげていくというのは簡単なものではない。それらを認識した上で、農家はその年の出来ばえに期待するわけである。もちろん工業製品も同様なのだろうから、だからこそ市場原理といえるのだろうが、こうした環境は、農民に落胆を与えてきたことも事実である。

 そして古家氏の捉える後述談である。直売所などに安い野菜が並んでいると、自分の作ったものはいったいなんだったのかと落胆する。農協に出せば経費をたくさん取られる。直売所に参加すれば、低価格で売らざるを得ない。こうして多くの個人農家は落胆を隠せず、農業を見捨てることになった。そもそも自給とは何かということになるだろう。農民にとって身体を動かしたことにより日当がいくらという意識は、かつてはそれほどなかったはずだ。でなければ、果樹園の下の雑草むしったり、神々へ祈ることもなかっただろう。ようは自らが働くことは、食べられさえすればそれが自給なのである。それを例えば家庭菜園のような趣味的な時間を無賃として見たとしても、それと同等に農家の自給を捉えることは無理がある。地方ではともかくとして都市部周辺の家庭菜園と農家との関係はそういうことになっているのかもしれない。それでも収支バランスを取るだけの環境があるともいえる。しかし、都会から離れた農村で同じことは不可能である。「好意的な視線」で語られている「農」と「自給」とわたしは古家氏の言葉から読み取る。
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0.3と勘定される人

2009-02-11 21:58:23 | ひとから学ぶ
 年度末も控えてきて、わが社の来年度体制に向けた出先ごとの人員配置数というものが取りざたされる時期にもなってきた。その人員配置において、0.3とか0.5といういわゆる一人前ではない数字で計算される人々がいる。考えてみればこれほどおかしなことはないわけで、最初から一人前ではないということを社員に知らしめているわけであるから、いかにその数字でカウントされている人にとって不可解なことかは言うまでもない。

 実はこの数字を社員の誰もが不思議とは思っていない。かつては0.5とカウントすることじたい異論もあったが、最近はその数字を当てられようともごく当たり前と受け止めている。この0.5というのはいわゆる管理職あるいはそれに近い出先でのトップに与えられた数字である。ようは社員と同じ仕事量をこなせないという他の業務との併用部分があるからであり、そもそも0.5としてカウントするものなのか0.0としてカウントするものなのかというその職責に負うところが大きいはずであるが、とても小さな出先から大きな出先と体制がさまざまであることから、おしなべて雰囲気としてこの数字が認められている。技術屋の出先に事務屋のトップが配置されると、部下は負担が大きくなると愚痴をこぼし、逆に部下と同じくらいトップが仕事をすれば、部下はその仕事量に甘えるという図式が成り立つわけで、その部署のトップたれば、そんな数字にこだわって仕事を捉えるよりは、0.0としてその職責にまい進するというのが本来の筋なのだろう。

 とまあ0.5については部下の仕事量に影響する立場の人間に与えられた「おまえも仕事をしないと間に合わないぞ」というような曖昧で部下本位の点数とも言える。もともと0.5などというものは他の人でカバーできうるものだろうから、それほど意識されない数字でもある。そこで次の0.3である。仕事量には個人差があって、新人ないしは経験の浅いものは、どうしても上司がカバーするところが大きい。したがっていわゆる経験差とか人事評価というものから割り出された数字なら適正と言えるだろう。しかし、この0.3を与えられる人は、一度退職後に採用されている高齢組である。高齢とはいえ、若い人は55最、最高でも60歳という年齢である。管理職となって0.5になり、次いでそのまま会社に残れば0.5が1.0になるはずもないという感度で与えられたものかどうかは知らないが、そもそもその場合は0.5へ議論を差し戻さないといけなくなる。出先のトップにそれを問うと、給与面と残業をしないという前提採用が生み出したものと口にする。もちろんそれは出先のトップも実情を認識してのものではなく、「そうではないか」という程度のものである。出先のトップたれば、当然配置された人員の仕事量を把握する必要があるわけで、本来ならなぜ0.3なのか、0.5なのかということは社員に明確に説明できる必要がある。待遇面で30%であるからそれだけ仕事をすれば良い、という印象をこの数字から受けるが、果たしてそんな考えで人員を配置するのは適正なのか。これほど待遇の良い立場はない。確かに給与は年間3百万ほどと低い。しかし、逆にこれを0.3で割れば1千万になる。まるで雰囲気の世界の話で、これで採用されている人もずいぶんおおらかな意識になることだろう。0.3だからといって年間の出勤日の1/3で良いというものでもない。そしてこの立場の人は、先の0.5の立場のトップとは異なり、複数人置くことが可能であり、事実そういう出先もある。

 そもそも1.0とカウントされた人でも0.5程度しか働かない人もいれば、2.0ぐらい処理する人もいる。本来あなたは一人前なんですよ、という意識とプライドを持たせるとすれば、人員配置の数字に一人前ではない数字を設定することじたいが間違いと言えるだろう。仲良しクラブ的発想ともいえるが、いっぽうで必ずしも社員の気持ちを理解しているものとは言えない。それでもって人事評価は何にあるのかということになるし、ぎくしゃくした関係が生まれる土壌を当初から築いているということにもなるだろう。

 ところでわたしたちの世界ではこの1.0という数字に対してマイナス評価する数字を用いて仕事を図る癖がある。当然のことかもしれないが、ではその数字は明快な根拠があるかといえばそうではない。そもそも雰囲気であるということは言うまでもない。1/4が0.25とすれば一桁表示と雰囲気で0.3、1/2ならもちろん0.5、3/4なら9.75で0.7か0.8を採用という具合によく使われる数字である。いずれにしても人を切り刻むわけだから、そのいっぽうで評価が現れるのも仕方ないものなのかもしれないが、すべては雰囲気である。
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心地よく寝るトキを保つ

2009-02-10 19:32:38 | つぶやき
 寝るときに冬場は電気の敷布を暖めておいて、寝る際には切ったり、あるいは入れても最弱で過ごす。先日電車内で、「電気毛布は身体に良くないんだよね」と高校生が会話をしていた。高校生ですらそんな話をするんだと笑える話であったが、おおかたの人は身体に良くないということを雰囲気で知っている。

 かつて電気毛布は掛けるタイプのもので始まった。子どものころそんな電化製品の登場は、けっこう贈答品として好まれた時代もあった。なぜ贈答品として利用されたかというと、電気のものが登場する以前から、贈答品として喜ばれていたという事実があるだろう。結婚式など冠婚葬祭のお返しとしてもよく利用された。その毛布を贈るという意識が、電気製品が登場した以降にも続いたのは、そこに価格差がそれほどなかったということがあるのだろう。その後上掛けは身体に良くないといって敷きタイプのものが利用されるようになると、それをわたしはずっと利用することになる。ずっというのは間違いで、わたしの体質上、電気毛布というのはまさに身体に良くはない。身体全体を暖めてくれる反面、身体の水分を吸い取られてしまうということがある。ただでさえ便秘ぎみのわたしには、水分を吸い取られるというのは大きな問題なのである。便通が悪いと1日おいてしまうことはよくある。次の日、そして次の日などと送ってしまったら、必ず便は硬くなる。これがトイレで苦しむ結果につながる。若いころはそれほど意識もせず、便秘のまま過ごすことは多かったが、年老いてからはそれが苦痛だから、かなりトイレには気を使うようになった。にも関わらず、なかなか思うようにならないのは便が固まり易いという体質なのだろう。乾燥肌の自分にはそういう傾向があるということだろうか。

 こうした傾向があることから、本当なら何も利用しない方が良いものの、ただでさえ睡眠不足傾向であった自分は、就寝してから起床するまでの間、100%に近く有効に眠りに落ちる方法として電化製品は有効なものとなった。そして下半身だけを暖めてくれるコタツがわたしには好みとなった。ところがコタツは妻が喜ばない。妻も若いころの体験からとても冷え性である。夏でも健康用の電気の入る敷布団を利用しているくらいである。したがって妻には下半身だけというのは向かないため、コタツではダメなのである。わたしだけがコタツを利用するという不経済なやり方を実行したころもあったが、今では元通り電気敷布に戻った。それでいて水分がなるべく吸収されない方法をとることで、何とか最近は過ごしている。すでにまともな機能があるのかないのか解らないような羽毛布団の上に、毛布を2枚重ねる。これで熱は上には逃げない。問題は敷き布団なんだろうが、そのあたりを電気で補っているというところである。

 よく首元を包んでくれる寝具を宣伝しているが、あれでは顔から上が寒い。わたしは気管支系が弱いということもあって、夏場意外は首元にタオルを巻いて寝る。そして最近は頭を隠すように、ふだん利用している半纏を被る。これで顔の周辺も寒気から避けることができる。このごろの寒中の一時を過ぎれば、もう寝ているときに電気をつけることはなくなるだろう。とはいえ、電気をほとんど利用しなくても、自らの体温の発熱で身体の水分が吸収されることも事実で、相変わらずトイレには気苦労が多い。
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農のいとなみと労働

2009-02-09 19:50:07 | 民俗学
 石垣悟氏は「農のいとなみと労働」(『日本の民俗4 食と農』2009/1 吉川弘文館)の中で伝統と思われがちなものも、実は明治以降に行われ始めたものを対象に言われているものが多く、前近代という時代の中に伝統というかたちで一まとめにしてしまうことの危険性を説いている。例えば農という部分をとらえても、現在伝統的として取り上げられるものが、ほとんどが明治以降に形成されてきたものである。現代では稲作もほとんどが機械化されて、その作業形態はもちろん、結いと言われる共同慣行にしても大きな変化を遂げた。そしてそれ以前を捉えようとすれば、結局それ以前を伝統的として形作ってしまうが、それらもさまざまな変化を長いスパンではなく、そこそこの時間を経ながら変化を遂げてきている。したがって、現在の姿の以前を捉えれば、それが長い間続けられてきた姿というわけではないということになる。そうした前近代的な部分にだけ視点を置いてきた民俗学が、それを欠点として認識していることは幸いなことであるが、よりその現実の現場にいた地方の者たちは、その現実を正確に捉えてきたとは言いがたい。もっといえば、先ごろ安室氏の説いた「遊びの百姓」の可能性について、地方に、そして農業にかかわりながら暮らしているわたしには好意的には受け止めることはできなかった。それは農業の現実というよりは、農村の現実として、農と地域というものが納得できないところに存在しているからだ。「このままではますます乖離したものになる」というのが毎日非農家の多い耕作空間を歩いているわたしの持つ印象である。これは地方にあってその姿を垣間見ているからこそ感じるものであって、都会からやってきた訪れ人に対して見せる友好的な顔色とは違うはずである。その姿を見、そしてその裏も見、いかなる物言いにしてもどうにもならないという無力さを常に持っている。そうした現実の場で民俗学に携わっている専門の研究者がこれまでいたのだろうか。

 古家晴美、石垣悟、安室知といった各氏が「食と農」という今までにも民俗学の中で触れられてきたキーワードを取り上げ、その内容は今までにはない現代の農の現場や農政を従来の民俗学的まなざしで捉え、課題を見出している。しかし「今ごろ、それも好意的な農を捉えて何を見出そうとしている」と思うのは、わたしだけではないはずだ。もちろんそれは民俗学に携わる視点ではなく、農業現場にいるものとしての感想としてである。各論の終いには「農の実態をしっかりと見つめ、将来あるべき農の姿を具体的に提示していくことも、民俗学の使命なのではないたろうか」と石垣氏が述べるようなことをそれぞれが語る。前述したように従来の視点には欠点があった、だから今後はそういうことがないようにしなければならない、という戒めでもあるのだろう。こういう講義を聴くこれからの若者たちにとって農の現場の民俗学がどこへ向かうのか、その方向を間違えないで欲しいと、一層強く持つしだいである。

 ところで石垣氏が捉えている「官―先がけ層―民」という図式はかつての農村社会を映し出したものであるとともに、かつて自らも会社内で思い描いてきたものでもあった。それが崩れると、人々が作り上げている構図はどこかぎこちなくなるのである。石垣氏は現在機械植えになっても当たり前のように行われている正条植が、手植時代に一般に広まった背景には、先がけ層といわれる人々の使命感のようなものがあったからだという。官が正条植を普及させるのに躍起となっている中で、それに反する人々も多かった。それを納得できるかたちで広める方法として、そのメリットを開花させるべく道具の開発が必要だった。そして地域ごとにそうした道具を考え出した先駆者的な人たちが伝承さているものの、発明者は確定しているわけではない。「特許のような私的営利が追及されなかった結果、田植枠は各地に生みの親を誕生させ、東日本の代表的な正条植の用具・方法として普及したのである」と石垣氏は言う。かつての農村にはもちろん地主としての立場のものもいただろうが、少しばかり余裕のある者は、実践者としてそうした農法を広めていった人たちがいた。自らの営利を目的とするのではなく、自身も含め村落の農のために働いた人々がいたのである。そうした官と民を結ぶべき人々がいなくなることで、「寄生地主と小作に二極分化していく」と石垣氏は言う。はからずもそうした動きは現在の農政にも通じるものであるとともに、人間社会では二極化するところをつなぎとめる存在が必要不可欠とも言える。そういう立場の人たちがいなくなった社会は、どうしても個人の考えに走ってしまいがちである。我先にと進む時代にあって、人のために働いた人々はとても大きな存在であったといえるのだろう。
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病に伏せる年齢

2009-02-08 19:25:56 | つぶやき
 人にはあまり知られたくないということはある。とくに周りの身近な人たちにすら知られることを避けたいということもある。それは周りの人たちとのかかわりや、またその環境でどういう暮らしをしているかということにも影響する。義弟は1ヵ月ほど前に病に倒れた。忙しいということもあるとともに、精神的にも負担の大きい仕事をしていたことだろう。わたしのように忙しくとも勝手な振る舞いができるのとはわけが違う。蓄積した疲労は突然として身体を病の世界に引きずり込んだ。わたしとは異なり、身体も日常的に動かしているし、健康的にも見える体形である。わたしが倒れても彼が倒れることはないと思っていたのに、現実は異なる。身体とはいっても精神的な見えない部分もあるから一概には言えない。その義弟の病について、わたしの生家や周りにも公にはしていない。あまり表立ってお見舞いだのどうだのというのは病の本人にも負担になる。できれば知られずに直ればそれにこしたことはない、と妻は言うのである。我が家ではいつもこうした会話が成り立つ。だからこそ、もしお互いが病に落ちても、できれば親戚にも知らせないようにしよう、ということになる。

 年齢的に中堅からさらに上の段階へ向かう立場というものは、安定していないとなかなか生活が乱れる。彼の場合はまだ子どもが小さいということが、その年齢上の関係とギャップがある。昨年まで同じ空間で働いていた同僚も、わたしと同い年だが、近ごろ新たな命を授かった。ところが折りしも同僚は病に落ちた。義弟ほどの深刻のものではないようだが、年齢上の立場を考えれば、安定していないと厳しい現実も出てくる。昔のようにこの年齢ならこういう家族構成という具合の平均的姿は減少している。わたしが入社してから10年ほどは、結婚していなければ盛んに囃されたものだ。しかしいまやそうした言葉を口にする人はいない。もちろん若い人たちが入社してこないから、そういう会話が交わされる環境でなくなっているということもある。だからしばらく結婚式などというものへ出席したこともない。考えてみれば、葬式は1年に何度か出向くのに、めでたい席にはまったく縁がなくなった。これもまた一概には言えないが、そういう周辺の事象を見る限りも、とても新しい息吹は感じられない。

 病に伏せるとともに、職場上のポジションにも影響する。年齢を重ねればそれなりにそうしたポジションに就いている。忙しさのあまりそうしたポジションを明け渡すというのも何が幸せかというところに落ち込む。健康第一とはいうものの、この時代はその常識的な視点から外れると、なかなか周辺は厳しい。そんな現実のままに見せるわが社の内情も寂しい限りではある。先日恒例の人間ドックを訪れた。若いころから人間ドックを義務付けられていたわが社は、それだけ激務ということだったらしいが、今ではそれほどではない。「よく来たねー」などと笑われて先生に送られた時代はもう遠くのことである。慣れてくれば平気と言われる胃カメラも、年々つらくなる。運動をろくにしていないせいか、肺機能の検査ではちょっと手間がかかった。明かに今までとは違うという検査での自分の体調ではあるが、当日判明するデータからは、好調そのものである。かつては人間ドックというと、自分より年齢の高い人しかいなかったのに、今はそうでもなくなった。もちろんそれだけ自分の年齢が上がったということになるのだろうが、まったく知らない人たちの診断の様子を見ていてもさまざまである。本当に平均的という姿が見えない時代である。
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地図を読めない人はわが社にはいらない

2009-02-07 23:49:19 | つぶやき
 昨日から昔の数年のデータを開いて、図面上にそのデータの位置を落とし続けている。わたしの仕事は図面上で格闘する仕事である。昔のデータといってもここ20年ほど前のもので、ここしばらくずっとそんなことを続けていて、ようやく20年前までたどり着いた。そして昨日から2年ほどを紐解いたが、相変わらずその位置を展開するのに手間がかかる。その理由としてかつてのデータに記されている「位置図」というものがとてもえげつないほどインチキだということである。紐解いているデータは、ほとんどがわが社で作成したものである。そのデータの位置が解明できないと、紐解いたところでその価値は見出せない。

 はじめたころは「またか」という口癖であっが、いまや呆れて口にもその言葉は出ない。「位置図」を見ても最初から信用しない。それでもめぼしを付けるにはどうしても頼りにしたくなるのだが、雰囲気程度の頼りである。ぴったりと位置が一致するとびっくりするほどだ。そんな驚きは確率にして5%未満である。この位置図が成果としてお客さんの目には触れなかったのだろう。でなければこれほどインチキだったら納品できない。驚くべき事実を、今回の仕事で知った。わが社の程度とはこんなものだったということになる。

 わたしが最近口癖のように言うのは、地図を読み取る商売をしているのに、現地で地図上のどこにいるか解らないようなやつは仕事に向いていない、というものである。人に案内をしてもらわないと現地に行けないようなやつは仕事ができないやつということになる(わたしの考えで、大方の社員はそうは思っていない)。近ごろはGPSなるものが登場して、仕事でもそれを利用している人もいる。まったくもってそんなものに頼るような暇はわたしにはない。

 さて、昨日からやってきた位置確認作業。せっかく図面に落としたものが、つい先ほどひとつデータが消えてしまった。このショックは大きい。どうしたものかと悩むが、ただでさえ予定通り進んでいないことから、その消えたデータをこれから再度作成することになる。今日はいつ床に入れることか。こんな状態では日記も滞りそうである。休日だというのにわたしの時間を得たのは娘と散歩した時間と、食事の時間だけである。約束の原稿はすでに何日も約束の日を過ぎているというのに、いまだ一行もまとまっていない。いつまで続くのかと数ヶ月の予定に割り振ったら自分の時間は消えた。出勤日の方が電車に乗っている時間を自分の時間に当てているからまだましという感じである。唯一明日は当初から予定していた松本行きであるが、それも予定を短くする。いらだつ自分は、すでに病に落ちている。
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漢字検定のこと

2009-02-06 23:48:17 | つぶやき
 日本漢字能力検定協会に文科省が立ち入り検査をするといって話題になった。財団法人という身分からして必要以上に儲けてはいけない。世の中にはそうした財団法人がたくさんあるが、いわゆる役人が天下っている手のものも似たような組織ということになる。検定ブームで受験者が増加して「余剰利益」となったということだが、ごく当たり前のことだろう。検定料はもともと受験する人数を設定して決めているわけではなく、ちまたにあるいわゆる検定料を目安にしていることだろう。たとえば漢字検定2級の検定料が4,000円、他の英語検定2級 4,100円、数学検定2級 4,500円、歴史検定2級 3,500円、理科学検定2級 3,500円、日商簿記2級 4,500円とまあどれも口裏を合わせたように検定料金が似ている。そしてその差額は、検定の価値にもかかわってくるだろう。安ければ誰でも受けるから価値が下がる。一方高ければ価値は上がる。まさに経済至上社会の原理とも言える。漢字検定は年間3回と回数が多い。誰でも受けることができるし受験会場も多い。日常の知識としても得するものなのかもしれない。270万人もの人が受けるというのだから、前述の2級検定料に掛ければ108億円にもなる。ちなみに1級が5,000円、準1級4,500円、2級4,000円、準2、3級~7級2,000円、8~10級1,500円ということから受験者数の多そうな準2、3級~7級の2,000円としても54億円である。かなり引き下げても余剰利益が出そうな感じである。

 これほどメジャーなものに限らず、いわゆる国家試験もそうだが受験料の設定とその収支というものについてはあまり意識していない。前述したようにその値段に価値があるというのなら、今回のような問題はいくらでもありそうである。ところが資格を取得するのにそんなことを言う人はいない。ほとんど財団法人といわれるところが仕切っているわけであるが、そういうことを考え始めると資格の価値を問うことにもなりかねない。

 息子も中学生のころ盛んにこの漢字検定を受けた。他にも数学検定やら理科検定といったものまで、今の子どもたちは学校も推奨するからいろいろ検定を受験する。最近は任意の○○検定なんていうものもいろいろある。とくにその最高峰とも言える漢字検定なのかもしれない。妻も息子が受験していたころに一緒に勉強して受けようとしたが、検定料が高くて受けることはなかった。履歴書に漢字検定○級と書くことで「採用」されるとは限らないが、いくらそんなものを持っていても使える人間とは言えない。ましてや子どもたちが盛んに取得するそうした検定、確かに勉強の励みになるものの、どこか役人や法人の罠にはまっているという感じがどこかでしてくる。
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風呂の入り方もさまざま

2009-02-05 20:10:12 | ひとから学ぶ
 よその家のことを聞いたこともないが自分の家はこうしている、ということはけっこうあるものである。我が家では家族が少ないから風呂を焚く(実際は焚いているわけでもないのに今でもこういう言い方をしているのは、かつての焚いていたイメージがあるからであり、この時代なら風呂を沸かすというのが一般的なのだろうが)ものの、その風呂の水を何日か利用する。果たしてこのやり方は別の家ではどうなのかということになるだろうが、何日も利用するなどと人に言えば「汚い」と言われてしまうのだろうか。

 息子がなかなか風呂に入らないことから、母は盛んに「早く入れ」と口にする。それでも入らずに寝てしまうことはしばしばである。若い者は汗もかくだろうから身体に垢が蓄積されるだろう。何日も入らないでいればたまに入ったときにその垢が一斉に落ちる。いきなり風呂に入ればその垢は風呂に浮くことになる。昔わたしも似たようなことをしていて、母に「身体を洗ってから入れ」とよく言われたものである。息子にも同じようなことを言ってはあるが、それでも息子が入ったあとに風呂に入ると、わたしが2日、3日と利用した風呂よりもどことなく汚い感じがする。息子の利用した翌日に風呂に入るとなかなか汚れが目立って大変なものである。したがって前日息子が利用したかしなかったかということは大きな問題なのである。2、3日利用したあとに息子が利用した場合は、必ず翌日は新しくする。息子の風呂の使い方は水の張りかえの目安となる。水を張り替えて1日利用しただけならまず翌日も利用するのだが、時には汚れが目立つといって妻が換えてしまうこともある。それでも換えずに利用するときは、浮遊しているモノを桶ですくい取るわけだ。風呂に沈み、その視線に入る浮遊物を桶にすくい取れるのは、まだ浮遊している状態のもの。すでに表面から沈んでいるものまですくおうとすれば撹乱して浮かさなくてはならない。とまあこんな具合に最近の風呂でのわたしの行為である。

 息子の利用した後はこのように汚れに気を使うが、妻の利用した後は湯の量が極端に少なくなっている。妻は風呂の湯をすくって身体を洗う。わたしなどはシャワーの湯を使ってしまう。掛け流し状態だから確かにもったいない話である。なるべく気を使って利用するが、妻は風呂の湯を使うように促す。頻繁にそんなことを口にするくらいだから、妻は当然風呂の湯を使って洗う。だから湯量が減る。足してくれればよいのだが、妻の場合はそんなことはしない。次に入る者が蓋を開けて風呂の天端から半分以下に下がった姿を見ると、ちょっと寒気がしてしまう。ちょっと残念な気分になるときである。

 このように人の利用した後に入ると、風呂に入り方も人それぞれということが解る。
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平成大合併終焉

2009-02-04 12:32:17 | ひとから学ぶ
 最近は忙しい日々で聞こえてくるニュースを耳にしている程度である。そんななかでもAkiさんのブログやボッケニャンドリさんのブログはのぞいている。そうした方たちのブログからニュースを目にするなんていうのもまったくタイムリーではない話なのだが、たまたまAkiさんの取り上げた合併の話は、そんな話題のひとつである。

 最近オリックスが簡保の宿を一括購入という件で声を大きくしている鳩山総務相は、口すべりの多い人だ。口がすべるから時に問題発言もするが、まったく個人の考えで動くタイプの人といっても良い。その鳩山総務相が「市町村を合併させて大きくしていくことを、これ以上やるべきでない。かえって地域の文化を損なう」と述べたという。もともと総務省が平成の合併を仕掛けていたわけであるから、この発言は事実上の「合併終焉」を意味することになる。

 「強制合併でもしない限り、さらなる合併は期待できない」「(小規模自治体は)国が財政措置を厳しくして合併に追い込まれたのが実情だ」などと否定的な意見が第29次地方制度調査会(首相の諮問機関)専門小委員会で相次いだことを受けての発言なのだろう。この二つの言葉には問題な部分がある。まず後者は「強制合併でもしない限り」と言うが今回の合併が強制合併であることは多くの人が感じている。とくに山間の村落は合併でもしない限り生き残れないという印象を与えてのものであって、確かに「合併しろ」という言葉は掛けられていないだろうが、当事者はそう思っているはずである。住民が自発的に合併を行ったわけではないわけだから、明らかに強制の類であることは間違いない。

 そして前者の総務相の発言である。「かえって地域の文化を損なう」などという言葉で総括するとしたら、これまで合併した地域では損なわれなかったのか、ということになる。日本人は境界意識の強い文化を持っているとわたしは思う。したがって小さなかたまりの集落やその集合という関係で、長く葛藤をしてきたはずである。それが逆に日本らしいコミュニティーのようなものや暮らしを育んできた。もちろんそれが理想と言われるものかどうかは別であるが、精神的にもわたしたちはその地盤の上で生きている。ということは合併ありきで進められた恐喝のような劇場は、日本人の心を痛めたはず。まるでそれを清算するような「文化」を口にするようではいったい国のやろうとしていたことは何だったのか、ということにならないだろうか。

 あれほどの国民が小泉の旗の下、その行動に拍手をおくっていたものの、最近は方向が逆戻りを始めている。それは地方も同じような雰囲気を持っていて、その反動に乗っている業界もある。頭が代わればこんなもの、ということになるのだろうがそれにしても地域によってばらついている。いったい何だったの、という印象がAkiさんの「あのときに無理に合併せずに済んでよかった」という言葉に表現されているように思う。
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心のおきどころ

2009-02-03 12:23:24 | つぶやき
 最近顔色もよくなく、疲れた表情を浮かべる妻に「どこか旅行にでも行こうか」と珍しい言葉を発してしまった。当然のように「珍しいことを言うね」と会話がつながったが、それまでである。そういうことを口にしても妻にはそういう余裕はない。生家の父母はだいぶ歳を重ね、それぞれが身障者ということもあってなかなか思うように身体が利かなくなった。そして兄弟も病に倒れ、入院中である。その状況下でそんな余裕はないのは解っている。にもかかわらず思わずそんな言葉が出るにはいろいろな理由がある。もちろんそれだけ精神的にまいっているということになるのだが、精神的な疲れはまるで病のように妻の背にのしかかっている。わたしのようないいかげんな人間ではないだけに、その重みにさらにのめっていってしまう。目の前にある問題から目を背けるタイプではないのである。

 人間は時に危険な状況で目を背けることも必要なんだと妻を見ていると思う。誰かが虐められている、あるいは困っているという状況下で、「助けるのが人間として当然」などという言い方は、事後の結果論であると思う。もちろんわたしのようにいい加減で、強気に出るタイプは咄嗟に何かの行動をとるかもしれないが、必ずとるとは限らない。時と場合ということがあるのはごく自然なことなのである。

 わたしのように生家を離れ、自らの生計の場として家を持てば、すでに父母からは独立した存在となる。そしてその父母を面倒を見ていてくれる兄、そして兄嫁がいるからこうした平穏な暮らしを営んでいるが、年老いた父母が身近にいればそうはたやすくない日常が現れる。とくにこれから先、父母の面倒を見ていかなくてはならない時期にきている。そうした中で職を失うとか、身内に病に伏せる者がいれば、ますますその疲労は蓄積することになる。格差社会とは言うが、もともと家庭事情によってすでに人の日常は大きな格差があるはず。それをみな同じようにしなくてはならないと視る会社社会は平穏な暮らしなど当たり前だと思っていいるのだろうか。盛んに口にされる非正規雇用にしても、そうした環境にある人たちには受け入れざるを得ないものである。どれほど家庭事情が悪化しても、人並みの暮らしを営めるのは、限られた人たちだけではないか、と少子化と個人主義者会を見ていると思う。そして鬱積のたまった顔色には、すでに人生の先の輝きなど見えはしない。なぜそんなに暗くなっているのか、問われれば口にもできない裏話は山とあるに違いない。

 そんな思いを別社会である会社は忘れさせてくれる。身内のことなど放っておいて、まるで暗い表情など不似合いだ。こうした表裏があるからわたしは心の葛藤を維持しているのかもしれない。
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「遊びの百姓」に農業は救えない

2009-02-02 12:31:14 | 民俗学
農にみる伝統への回帰」の問題において、安室知氏は「新たな民俗的・社会的リンク」という表現をして、現代の農村を前向きに捉えようとした。より具体的な事例をもとに、「農のあるくらし」(『日本の民俗4 食と農』2009/1 吉川弘文館)において、非農家である市民の農の営みや農村の変化に伴う農の新しい新文化への世界を説いている。従来の仕組みを捉えていても民俗学の視点が終焉してしまう。そこで現代の農や農村にとって、いかなる変化を遂げてもそこに民俗はあり続けるというまなざしで捉えようとしている。そのまなざしの中には、最近とくに注目を浴びるようになった滞在型農業施設や、定年帰農にみる新たな農業者の存在を交えている。しかしその視点は民俗学としての視点であって、農業農村という視点ではないのではないかと考える。

 例えば市民農園では「コミュニケーションのツールとして重要な意味を持っている」と言い、「農の持つ潜在力と言いかえる」ことができるだろうと指摘する。コミュニケーション不足が話題になる現代において、農を介在してそうした不足を補える、さらには農によってさまざまな効果が発生するということになるだろう。これは当然のことでもあり、ニーズが高いことは事実である。しかし、市民農園は大都市周辺ではメジャーなものとなりえるだろうが、遠隔地となったら市民農園というわけにはいかない。そうした環境に代わるものとして、滞在型のクラインガルテンのようなものが登場する。しかし、いずれにしてもそれらは都市部のわずかな人たちのスペースでしかない。現代の農を補填するには小さいものと言わざるを得ない。ただそういうニーズの先に、農の先を見通す一筋があるということは言えるかもしれないが、後述する視点が解消されなくては、楽観論としか言いようがないとわたしは思う。

 安室氏は山口県防府市大道という一農村を事例に、農村の変化の実態から市民農園を利用するような非農家とは異なる農家の姿を追っている。比較的都市に近い農村の実態は、農家とはいってもほとんど専業はなくなり、とくに50代より若い世帯ともなれば専業農家はほとんどないと言う。そして就業者の年齢層を見ると、「農業後継者として六〇歳以上の人が新たに加わっている」といい、いわゆる定年百姓や年金百姓と呼ばれる存在がその地区の後継者として重要な意味を持つようになっているという。大道という集落を捉えた場合のことであって全国のすべての地域に当てはまるものでもないということは十分に承知してのことと思うが、都市に近い農村でのパターン的なものということはある程度言えるのだろう。以前にも触れた「田舎暮らし」がどういう環境をもって田舎と捉えるかはさまざまだろうが、こうした都市周辺でも「田舎」といえばそういうことになるだろう。そのいっぽうまったくの山の中も同じ田舎という空間であるが、そうした地域にあっては定年後の帰農がなしえず、むしろ新たな住民として迎えるケースが多い。それらとこうした定年で帰農した人たちは明らかに違うだろうし、やはり多用な農村の姿があるはずである。

 安室氏はこの中で盛んに「老後の楽しみであり、健康のため」とその定年百姓や年金百姓を捉えている。もちろんこうした農業者がいるかぎり農村の農業は霞の中を細々と続くことだろう。しかし、「農により余生を楽しむ」農業では農業は継続できない。ここが民俗学の視点と農業農村の現実とのギャップではないだろうか。確かに新文化創出ということはあって学問の世界にいる人たちには対象物があって喜ばしいだろうが、ではあなたたちの学問は趣味でしかないではないかとわたしは言いたくなる。ようはこの現実の姿を予測できたであろう学者が、変化を遂げる上でそれらを対象にして高みの見物をしているのと同じではないかと。最後に「農業の担い手の変化が指し示す先は、生産性を重視し工業論理化した産業としての〝農業〟ではなく、老後の楽しみであり、健康作りであり、孫や子どもへ送るための米作り野菜作りであるところの〝農〟に繋がっている」としめくくっているが、農業の生き残る方法として工業的産業化を目指している人たちには相手にされないような言葉である。この二つの相反する農業農村の捉え方が、ますますこの国の農村を潰滅の道に進めるとわたしは考えているのだが…。

 最後に解消されなくてはならない視点を述べよう。遊びの百姓の人たちは、稼がなくても良いと考えているとしていたら、専業で農業をしている人たちはそのあおりで妨害を受けることになる。現実的にいわゆる直販的な商品が農産物の価格を下げているという指摘もある。これらの問題を解消するために個人の農家も品質で勝負することになるのだが、農家とその周辺の住民をまさに企業とその周辺の住民という関係に落とし込めてゆくことになる。
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不良社員

2009-02-01 19:10:31 | ひとから学ぶ
 NECが2010年3月までに2万人の人員削減をすると発表した。大手の著名なメーカーで人員削減の嵐が吹く。本当にそれが必要なのか胡散臭いが、いずれにしても派遣ばかり切られて問題が大きくなっている中で、正規雇用者も切らなくてはやっていけないという雰囲気は十分に国民に広報できる。専門的知識を持ち、固定した企業でその手腕を発揮するだけではなく、必要な場面で有効に発揮するという面では、派遣の立場は自由なものだった。確かに数年前は「派遣」という待遇がこれほどのものではなかったはず。非正規雇用や派遣というものがすでに混同されるほど、派遣の身分が奈落の底に落ちている。どういう立場であろうと、国民として保険や年金という環境が整えられた上でのそうした身分のはず。ところが採算重視となれば、「切りやすい」という身分だけで捨てられていくし、そうした国民としての権利すら守られていないと気がつく。企業にとってはそんな甘いものじゃないと言うだろう。そして企業感覚で言うなら、わたしの考えなどとても通用しないものだと解る。しかし、大企業のない地方では、大企業的発想はまったく解らない。毎日たくさんの情報が聞こえ、そしてそれほど変わらず暮らしを営んでいるが、実は大きな意識の差があるのだろうと思う(だいたい採算がとれないのなら社員の給与を下げるのが普通だとわが社の状況を見て思うが、そこが大企業の違うところ)。

 景気対策でわが社にも前倒しの仕事が入ってきている。忙しくなっても報酬は増えない。ということはわが社のような会社に仕事を与えてもほとんど経済対策にならない。簡単に言えば違うところに使ったほうが良いということになる。暇ならいくらでもできるが、忙しい中で仕事が増えるのはとても納得がいかない。できると思って受けてくるが内輪の処理能力をまったく無視しているというか理解していない。報酬が増えないのなら拒否するのは当たり前だが、社員は納得して仕事を受け取る。納得する人がこなせばよいが、実はそうはいかない。補助者に期待している仕事が処理不能となって自分のところに戻ってくる。予定は大きく崩れていく。クレームをつけたら上司はこんなことを言う。「会社が受けた以上は間に合わせるしかない」。とは言うものの、では処理可能な環境を作るとか、システムを組むといったことはしない。ようは今まで通りで仕事だけが増える。結局無報酬の時間の仕事となる。それも今に始まったことではないから言うに及ばないが、それなら無駄なことにかけている時間を削減しろというと今度はこうだ。「業務には個人差があってそれぞれに努力をしている」と。わが社の仕事は個人で担当の仕事を担うというスタイルである。したがって丁寧な人はとてつもなく丁寧で、加えて手の遅い人がいるともっと差が開く。そんな姿を見ていて解るのは、この人たちの処理能力はかなり低いということである。言葉を変えれば採算を考えない仕事をしている人が多いということになる。冒頭の人員削減ではないが、わが社でも人員削減計画に沿って推移している。しかし、こんな業務処理能力の低い会社は、人員削減ではなく給与を下げて自分たちの処理能力を給与に換算しないと、仕事とは何かを認識できないのである。もちろん下げずに時間外報酬を受け取らないという方法もあるが、実務量を把握できない上に、労基法上問題が大きい。こんな会社で人事評価をするというのだから笑ってしまう。適正な視点で人に点数を付けられる上司は皆無といってよい。

 理不尽なことだらけで、会社で吼えるこのごろ。不良社員というレッテルを貼られようと納得できないことは言い続けると考えている。果たしてそんな自分はいつまでこの環境で精神的に維持できるだろうか。
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