Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

風呂の入り方もさまざま

2009-02-05 20:10:12 | ひとから学ぶ
 よその家のことを聞いたこともないが自分の家はこうしている、ということはけっこうあるものである。我が家では家族が少ないから風呂を焚く(実際は焚いているわけでもないのに今でもこういう言い方をしているのは、かつての焚いていたイメージがあるからであり、この時代なら風呂を沸かすというのが一般的なのだろうが)ものの、その風呂の水を何日か利用する。果たしてこのやり方は別の家ではどうなのかということになるだろうが、何日も利用するなどと人に言えば「汚い」と言われてしまうのだろうか。

 息子がなかなか風呂に入らないことから、母は盛んに「早く入れ」と口にする。それでも入らずに寝てしまうことはしばしばである。若い者は汗もかくだろうから身体に垢が蓄積されるだろう。何日も入らないでいればたまに入ったときにその垢が一斉に落ちる。いきなり風呂に入ればその垢は風呂に浮くことになる。昔わたしも似たようなことをしていて、母に「身体を洗ってから入れ」とよく言われたものである。息子にも同じようなことを言ってはあるが、それでも息子が入ったあとに風呂に入ると、わたしが2日、3日と利用した風呂よりもどことなく汚い感じがする。息子の利用した翌日に風呂に入るとなかなか汚れが目立って大変なものである。したがって前日息子が利用したかしなかったかということは大きな問題なのである。2、3日利用したあとに息子が利用した場合は、必ず翌日は新しくする。息子の風呂の使い方は水の張りかえの目安となる。水を張り替えて1日利用しただけならまず翌日も利用するのだが、時には汚れが目立つといって妻が換えてしまうこともある。それでも換えずに利用するときは、浮遊しているモノを桶ですくい取るわけだ。風呂に沈み、その視線に入る浮遊物を桶にすくい取れるのは、まだ浮遊している状態のもの。すでに表面から沈んでいるものまですくおうとすれば撹乱して浮かさなくてはならない。とまあこんな具合に最近の風呂でのわたしの行為である。

 息子の利用した後はこのように汚れに気を使うが、妻の利用した後は湯の量が極端に少なくなっている。妻は風呂の湯をすくって身体を洗う。わたしなどはシャワーの湯を使ってしまう。掛け流し状態だから確かにもったいない話である。なるべく気を使って利用するが、妻は風呂の湯を使うように促す。頻繁にそんなことを口にするくらいだから、妻は当然風呂の湯を使って洗う。だから湯量が減る。足してくれればよいのだが、妻の場合はそんなことはしない。次に入る者が蓋を開けて風呂の天端から半分以下に下がった姿を見ると、ちょっと寒気がしてしまう。ちょっと残念な気分になるときである。

 このように人の利用した後に入ると、風呂に入り方も人それぞれということが解る。
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