Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

早く引き取ってください

2009-02-25 20:02:05 | 民俗学
 沖縄ではトーカチ(88歳)の祝いの前夜カタチヌメー御願をしたという(『日本の民俗 12 南島の暮らし』)。その風習についてこう書かれている。「この御願は家族だけでおこない、二番座に当人に死装束をさせて顔をタオルで覆い、手を組ませて西枕にして寝かせる。枕元には香炉を置き、線香を立て、カタチヌメーを供える。家族が当人を囲み、三回泣き声を立てる。この習俗の趣旨は「人間の寿命は八八歳が最大で、それ以上生きると、その分だけ子孫の命が縮まる。シーをとられる。だからもういい寿命だから昇天してください。子孫のために」という具合である(前傾書)。カタチヌメーとは枕飯のことを言う。1年に何度かある「ことの日」と同様に、人生には節となる歳がある。そうした場面ごとになんらかの祝いが行われるわけであるが、88歳といえばその最後の節目となる可能性が高い。もう十分に生きたから、子孫のために逝ってくださいとばかりに繰り広げられる儀式は、翌日に再生の儀式と移るという。御願だけをみれば、明かに葬式を生前に行っているわけで、当人に対しての送りの儀式である。同書の中でも触れられているが、後に再生の意識が大きく働くようになって、今ではむしろ再生としてのものにより強く移行しているようである。

 もし再生の意図がなければ、この話は姨捨山と同じようなものである。十分に生きたのだから、無用な者は捨てるという話の発想は、どこか似ている。そして再生の意図あるものは、民俗社会においては常につきまとう。陽が暮れ、陽が昇る、これも再生の意図を示す意味付けが容易である。太陽が弱くなった冬至から、昼間が再び伸びていく様も同様である。弱まったときに再生を願って行われる霜月の祭りは、再生の予兆のある中で行われるべきなのか、それとも弱まりゆく中で行われるべきなのか、そう考えるとその期日は重要である。カタチヌメーの儀礼を見る限り、88歳になる最後の1日にこの世と別れを告げ、再び陽の上がった日に再生を喜ぶ。したがって相反するものの前は、明かに最期を示し、後は誕生を示す。人の一生を再生という視点で捉えていくと、姨捨山の話は話し半ばということになるだろうか。その後に再生としての意図があってもおかしくない。悲しい話に聞こえるが、実は再生のための前夜という考えができる。そしてそういう解き方もされている。

 果たして元来この生前葬のような儀礼は沖縄に特徴的なものだったのだろうか。姨捨山を一つのその場面として捉えれば、風習としてそうしたものが随所にあったはずである。いわゆる民俗学を知らないわたしは、勉強不足でそういう事例を認識していないが、興味深いことである。ちなみに同書ではこの生前葬のようなものを模擬葬式と呼んでいる。確かに生前葬とは意味が違うのだろう。このカタチヌメー御願は88歳に限られたものではなく、99歳など長寿の祝いごとに事例があるようだ。「もうあの世に行く年なのに、神様が後生に引き取るのを忘れている。子孫繁栄のために早く引き取ってください」と墓まで送っていくという。葬列の先頭に箒を持ったものがいて、村人はそれに出会うことを忌んで避けたという。もはや長寿の祝いというよりは本気にあの世に旅立って欲しいという雰囲気がある。「当人の祝福ではなく、子孫の幸せを祈った」と同書でも触れているように、この儀礼そのものには、当人だけではない周辺への意図も十二分にあったということになるだろうか。

 棄老という考え方は古い時代にすでにあったといい、日本では仏教の広まりとともに、その風習が戒められていったという説もある。ところが前述のような生まれ清まり的発想ではなく、年寄りを大事にするべきだというような話で成り立っている。棄老伝説は各地にあると言うが、なぜ沖縄の歳祝いのように再生をそこから読み取るようにならなかったのだろうかと思う。
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