Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

平成大合併終焉

2009-02-04 12:32:17 | ひとから学ぶ
 最近は忙しい日々で聞こえてくるニュースを耳にしている程度である。そんななかでもAkiさんのブログやボッケニャンドリさんのブログはのぞいている。そうした方たちのブログからニュースを目にするなんていうのもまったくタイムリーではない話なのだが、たまたまAkiさんの取り上げた合併の話は、そんな話題のひとつである。

 最近オリックスが簡保の宿を一括購入という件で声を大きくしている鳩山総務相は、口すべりの多い人だ。口がすべるから時に問題発言もするが、まったく個人の考えで動くタイプの人といっても良い。その鳩山総務相が「市町村を合併させて大きくしていくことを、これ以上やるべきでない。かえって地域の文化を損なう」と述べたという。もともと総務省が平成の合併を仕掛けていたわけであるから、この発言は事実上の「合併終焉」を意味することになる。

 「強制合併でもしない限り、さらなる合併は期待できない」「(小規模自治体は)国が財政措置を厳しくして合併に追い込まれたのが実情だ」などと否定的な意見が第29次地方制度調査会(首相の諮問機関)専門小委員会で相次いだことを受けての発言なのだろう。この二つの言葉には問題な部分がある。まず後者は「強制合併でもしない限り」と言うが今回の合併が強制合併であることは多くの人が感じている。とくに山間の村落は合併でもしない限り生き残れないという印象を与えてのものであって、確かに「合併しろ」という言葉は掛けられていないだろうが、当事者はそう思っているはずである。住民が自発的に合併を行ったわけではないわけだから、明らかに強制の類であることは間違いない。

 そして前者の総務相の発言である。「かえって地域の文化を損なう」などという言葉で総括するとしたら、これまで合併した地域では損なわれなかったのか、ということになる。日本人は境界意識の強い文化を持っているとわたしは思う。したがって小さなかたまりの集落やその集合という関係で、長く葛藤をしてきたはずである。それが逆に日本らしいコミュニティーのようなものや暮らしを育んできた。もちろんそれが理想と言われるものかどうかは別であるが、精神的にもわたしたちはその地盤の上で生きている。ということは合併ありきで進められた恐喝のような劇場は、日本人の心を痛めたはず。まるでそれを清算するような「文化」を口にするようではいったい国のやろうとしていたことは何だったのか、ということにならないだろうか。

 あれほどの国民が小泉の旗の下、その行動に拍手をおくっていたものの、最近は方向が逆戻りを始めている。それは地方も同じような雰囲気を持っていて、その反動に乗っている業界もある。頭が代わればこんなもの、ということになるのだろうがそれにしても地域によってばらついている。いったい何だったの、という印象がAkiさんの「あのときに無理に合併せずに済んでよかった」という言葉に表現されているように思う。
コメント (2)


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****