Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

不良社員

2009-02-01 19:10:31 | ひとから学ぶ
 NECが2010年3月までに2万人の人員削減をすると発表した。大手の著名なメーカーで人員削減の嵐が吹く。本当にそれが必要なのか胡散臭いが、いずれにしても派遣ばかり切られて問題が大きくなっている中で、正規雇用者も切らなくてはやっていけないという雰囲気は十分に国民に広報できる。専門的知識を持ち、固定した企業でその手腕を発揮するだけではなく、必要な場面で有効に発揮するという面では、派遣の立場は自由なものだった。確かに数年前は「派遣」という待遇がこれほどのものではなかったはず。非正規雇用や派遣というものがすでに混同されるほど、派遣の身分が奈落の底に落ちている。どういう立場であろうと、国民として保険や年金という環境が整えられた上でのそうした身分のはず。ところが採算重視となれば、「切りやすい」という身分だけで捨てられていくし、そうした国民としての権利すら守られていないと気がつく。企業にとってはそんな甘いものじゃないと言うだろう。そして企業感覚で言うなら、わたしの考えなどとても通用しないものだと解る。しかし、大企業のない地方では、大企業的発想はまったく解らない。毎日たくさんの情報が聞こえ、そしてそれほど変わらず暮らしを営んでいるが、実は大きな意識の差があるのだろうと思う(だいたい採算がとれないのなら社員の給与を下げるのが普通だとわが社の状況を見て思うが、そこが大企業の違うところ)。

 景気対策でわが社にも前倒しの仕事が入ってきている。忙しくなっても報酬は増えない。ということはわが社のような会社に仕事を与えてもほとんど経済対策にならない。簡単に言えば違うところに使ったほうが良いということになる。暇ならいくらでもできるが、忙しい中で仕事が増えるのはとても納得がいかない。できると思って受けてくるが内輪の処理能力をまったく無視しているというか理解していない。報酬が増えないのなら拒否するのは当たり前だが、社員は納得して仕事を受け取る。納得する人がこなせばよいが、実はそうはいかない。補助者に期待している仕事が処理不能となって自分のところに戻ってくる。予定は大きく崩れていく。クレームをつけたら上司はこんなことを言う。「会社が受けた以上は間に合わせるしかない」。とは言うものの、では処理可能な環境を作るとか、システムを組むといったことはしない。ようは今まで通りで仕事だけが増える。結局無報酬の時間の仕事となる。それも今に始まったことではないから言うに及ばないが、それなら無駄なことにかけている時間を削減しろというと今度はこうだ。「業務には個人差があってそれぞれに努力をしている」と。わが社の仕事は個人で担当の仕事を担うというスタイルである。したがって丁寧な人はとてつもなく丁寧で、加えて手の遅い人がいるともっと差が開く。そんな姿を見ていて解るのは、この人たちの処理能力はかなり低いということである。言葉を変えれば採算を考えない仕事をしている人が多いということになる。冒頭の人員削減ではないが、わが社でも人員削減計画に沿って推移している。しかし、こんな業務処理能力の低い会社は、人員削減ではなく給与を下げて自分たちの処理能力を給与に換算しないと、仕事とは何かを認識できないのである。もちろん下げずに時間外報酬を受け取らないという方法もあるが、実務量を把握できない上に、労基法上問題が大きい。こんな会社で人事評価をするというのだから笑ってしまう。適正な視点で人に点数を付けられる上司は皆無といってよい。

 理不尽なことだらけで、会社で吼えるこのごろ。不良社員というレッテルを貼られようと納得できないことは言い続けると考えている。果たしてそんな自分はいつまでこの環境で精神的に維持できるだろうか。

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