Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

病に伏せる年齢

2009-02-08 19:25:56 | つぶやき
 人にはあまり知られたくないということはある。とくに周りの身近な人たちにすら知られることを避けたいということもある。それは周りの人たちとのかかわりや、またその環境でどういう暮らしをしているかということにも影響する。義弟は1ヵ月ほど前に病に倒れた。忙しいということもあるとともに、精神的にも負担の大きい仕事をしていたことだろう。わたしのように忙しくとも勝手な振る舞いができるのとはわけが違う。蓄積した疲労は突然として身体を病の世界に引きずり込んだ。わたしとは異なり、身体も日常的に動かしているし、健康的にも見える体形である。わたしが倒れても彼が倒れることはないと思っていたのに、現実は異なる。身体とはいっても精神的な見えない部分もあるから一概には言えない。その義弟の病について、わたしの生家や周りにも公にはしていない。あまり表立ってお見舞いだのどうだのというのは病の本人にも負担になる。できれば知られずに直ればそれにこしたことはない、と妻は言うのである。我が家ではいつもこうした会話が成り立つ。だからこそ、もしお互いが病に落ちても、できれば親戚にも知らせないようにしよう、ということになる。

 年齢的に中堅からさらに上の段階へ向かう立場というものは、安定していないとなかなか生活が乱れる。彼の場合はまだ子どもが小さいということが、その年齢上の関係とギャップがある。昨年まで同じ空間で働いていた同僚も、わたしと同い年だが、近ごろ新たな命を授かった。ところが折りしも同僚は病に落ちた。義弟ほどの深刻のものではないようだが、年齢上の立場を考えれば、安定していないと厳しい現実も出てくる。昔のようにこの年齢ならこういう家族構成という具合の平均的姿は減少している。わたしが入社してから10年ほどは、結婚していなければ盛んに囃されたものだ。しかしいまやそうした言葉を口にする人はいない。もちろん若い人たちが入社してこないから、そういう会話が交わされる環境でなくなっているということもある。だからしばらく結婚式などというものへ出席したこともない。考えてみれば、葬式は1年に何度か出向くのに、めでたい席にはまったく縁がなくなった。これもまた一概には言えないが、そういう周辺の事象を見る限りも、とても新しい息吹は感じられない。

 病に伏せるとともに、職場上のポジションにも影響する。年齢を重ねればそれなりにそうしたポジションに就いている。忙しさのあまりそうしたポジションを明け渡すというのも何が幸せかというところに落ち込む。健康第一とはいうものの、この時代はその常識的な視点から外れると、なかなか周辺は厳しい。そんな現実のままに見せるわが社の内情も寂しい限りではある。先日恒例の人間ドックを訪れた。若いころから人間ドックを義務付けられていたわが社は、それだけ激務ということだったらしいが、今ではそれほどではない。「よく来たねー」などと笑われて先生に送られた時代はもう遠くのことである。慣れてくれば平気と言われる胃カメラも、年々つらくなる。運動をろくにしていないせいか、肺機能の検査ではちょっと手間がかかった。明かに今までとは違うという検査での自分の体調ではあるが、当日判明するデータからは、好調そのものである。かつては人間ドックというと、自分より年齢の高い人しかいなかったのに、今はそうでもなくなった。もちろんそれだけ自分の年齢が上がったということになるのだろうが、まったく知らない人たちの診断の様子を見ていてもさまざまである。本当に平均的という姿が見えない時代である。
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