Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

1時間もあれば・・・

2009-02-21 23:00:53 | ひとから学ぶ
 昨日は電車に乗ると、以前お世話になって退職された先輩が乗車されていた。一年ぶりに見る先輩の顔に、昔と変わらない元気な笑顔を見て、自らに諭されるような時が訪れた。もちろん最初に出る言葉は、仕事の状況である。すでに先輩が退職されて10年近くになる。定年退職された先輩のころに比べれば、55歳で身を引かざるを得ない状況は大きな違いである。ちょうど先輩の退職されて間もないころから今のような状況が訪れた。先輩も口にするように「自分たちは一番いい時に辞めた」ことになるのかもしれない。そしてそれが故に、その後に退職されている人たちとは、どこか関係にぎこちないものがあるだろう。必ずそういう目で見る人がいるし、そう見られていると思う人たちもいる。OB会なるものがあって地域のOBたちと頻繁に催しがあるという。また、地域以外のOBの集まりもあるというが、そうした集まりに最近のOBは集まらないという。まさに良い時代だった人たちとその後の人たちの意識差のようなものなのだろう。そもそも最近は定年まで勤めた人がいないのだからそれも仕方のないこと。しかし、だからといって良い時代に辞めた人たちを妬んだところでどうなるものでもない。そんな雰囲気はわが社の内部だけのことではなく、格差時代とか、不況時代といわれる今では、どこかにそうした思いが存在する。

 変わらぬまだ若々しい先輩の顔を拝顔して、年老いている自分が少し情けなくも感じた。その先輩と同い年の先輩を祭典の場で遠めに拝顔して「お元気そうでしたね」というと、その方もOBの集まりにはいつも顔を出しているとか。そして「今でも写真を撮っているの」と聞かれ、たまたまその時だけ足を向けて、「ほかには行っていないです」と答えた。そういえば、昔の人たちはわたしが盛んに祭りの写真を撮っていたことを知っている。祭りの場で見た、などというとすぐにそう思い出させてしまうほど、わたしのイメージはそこにあるのかもしれない。

 約1時間の車内での会話。いつもならパソコンを打っていればすぐに過ぎる時間がなぜか長く感じた。予定外の人との会話は、1時間もあればいろいろと話せるものなのだ。それにくらべたら、1日8時間、それも5日間も顔を合わせている会社内での会話はこの1時間にも満たない。本当に最近の人たちは話をしない。まさに無口である。無駄話でもいいからすれば良いのに、それができないほど忙しいのか、それとも話をしたくないものなのか、なんともその理由ははかれない。若いころはなかなか話が苦手だった自分がそんなことを言うのもおかしな話だが、よくも口が滑らかになったものだと思う。これも「聞き取り」といって民俗の調査をすることによって得られたものなのだろう。
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