Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

トータルな暮らしを実感しよう

2008-10-15 12:36:45 | ひとから学ぶ
 『中川村誌下巻』(上伊那郡中川村)にこんな記述がある。

 「日常の暮らしで意識的に山を見ることがある。それは天気を予測したり、季節を捉えたりする場合である。しかし、それとは別にイメージとして山を捉えたりすることもあり、そうしたなかからふるさとの風景を無意識のうちに作り上げていたりする。とくに山の風景はこのムラにとっては抜きにしては語られないものである。片桐の昭和一二年生まれの女性は、電車で通うときに見た南駒ケ岳百間ナギの上の稜線に見える上弦の月と山の美しさは、ここに嫁いできて強く印象に残る風景だという。また、冬の早朝、七久保駅から見る日の出の風景も美しい風景として心に残るという。毎日繰り返される暮らしのなかに、そうした山の風景を印象として強く持っていたりする。
 いっぽう、飯沼で大正一五年に生まれた男性は、家から西山は見えなかったといい、普段見える山は裏山であったり、段丘崖の山であったりした。一口にヤマといっても前者のような高い嶺を持つ山ばかりでなく、平地に鬱蒼としている林をヤマということもあった。しかし、印象として山を語る場合の山は、遠方にある高い山や、目印としての小高い山を指す場合が多い。」

 というものである。山間に住む者にとっては、山がどこかに見えていないと不安なものである。とくに方向感覚は山の位置を認識した上に成り立っている。ところが例えば伊那谷に住んでいれば誰でも常に中央アルプスや南アルプスを視界に捉えているわけではない。中川村でも段丘崖の下にあるような集落では、遠い山は見えていない。例えば小和田とか南田島といった集落は、道に連なった家々は西を向いたり東を向いたりと道に沿っているが、空間の広がりは天竜川の方向にあるから、おおかたの人は朝陽のあがる方向を意識する。「伊那谷は山の風景が美しい」といっても、そこに住む人たちが皆満遍なく捉えているわけではない。

 こんなこともあるのだろう。山村に住みたいと思った都会の人が、山が美しく見える場所に住みたいと思う。ところがなかなか思うような場所はない。当たり前のことで、どこにでも家が構えられるというものではない。まず水田地帯のど真ん中に家を建てるのは容易ではないし、山の中といっても水道や下水道といったインフラは整備されていない。別荘的なものならともかく、常に住むにはそれなりに場所は限定される。もちろんそれを無視して住み着く人たちもいるが、そうした不便を納得の上に住む人たちであって、ある意味自給自足的暮らしを望んでいたりする人たちである。「田舎暮らし」を誘う言葉が溢れているが、雑誌やパンフレットにトリミングされた風景を求めて住もうなどという人たちは、けして地域にとって得な人たちとは言えないのだ。どこでも美しい風景が見られると思っていたら、「何にも見えないのねー」なんていう致命的な言葉を浴びせられて、そこに住み続けてきた人たちがショックを受けるなんていうことだってありえない話ではない。住んでいる人たちは、日常暮らす総体の空間の中で、景色を眺めていたりするもので、我が家から見えないといってその地を簡単に出て行くような都会的発想はできないのである。そう考えてみるとわたしの生家の近くで「こんなところは…」と言って同じ町の違う場所に家を建てた息子は、まさに都会人が田舎に家を建てる発想なのかもしれない。そしてそれは現代においてはごく当たり前のような意識となり、事実わたしも家を建てる場所を選択する中で、そんな捉え方を少なからず持っていた。しかし、では今住んでいる場所がそんな景色の良い場所かと問えばそうではない。ようはそう簡単に誘惑されるような言葉の土地はないのである。

 ふだんの暮らしがその土地の中ではなく、よそへ出かけているような現代においては、なかなか地域全体を捉えて「景色の良い場所」とは思えない人が多い。村誌に書かれている片桐の昭和12年生まれの女性も、家の裏に段丘があって、そこから南駒ケ岳は見えない。ところが段丘を登ればパッと世界が広がって、南駒ケ岳を望むには絶好の空間が広がる。七久保駅までそこから1キロ近くあるだろうか。その1キロを歩いて通えば、その印象は一層記憶に残るものとなる。ふだんの移動の手法も含めて、あらゆる面でかつての暮らしはけして貧しいものではなかったということがよく解るはすだ。

 ちなみに段丘崖の上にも家々が建っているが、必ずしもそこの方が住む条件が良好というわけではない。女性の家はそれほど高低差のない段丘崖の下にあって、風の強さは段丘上に比較するとずいぶんと和らぐはずだ。景色だけでは選択できない、その地域らしい家の建て方というものがあるのだ。

 そういえば、わたしも駅と生家の間を高校時代に毎日歩いた。駅から帰る折、段丘崖を下るときに眼下に自宅が見えてくる風景は、駅と家を結ぶとても印象深い景色であった。遥か下にわが家が見え、また時にはその下界が霧で充満していて川の両側にある段丘崖だけが浮いている時もあった。その道は思い入れのある道だと今でも思っている。暮らしの舞台とは、そんなトータルなものではないだろうか。ポンとお金を出してトリミングをして、自分だけが住んでいる空間を作るような人は、地方に住んで欲しくないのだ。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****