Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

捨てられたページ

2008-10-29 12:16:08 | ひとから学ぶ
 先日、会社の先輩に「この新聞へんですよね」と言うと、「どこが?」とすぐには気がつかなかった。会社で購読している「長野日報」という新聞は、以前にも触れたことがあるが、一面ごと地域見出しを付けてどこの情報なのかその見出しで解るように半分以上の誌面が構成されている。あまりににその見出しが目立ちすぎるとともに、その順番が順序良く北から南に並べられているから南の人間には違和感が抱かれると言ったことがあった。まさかその意見を耳にしたわけではないだろうが、最近はその順番が変わっている。真っ先に伊那市の話題、最後尾に駒ヶ根市の話題を掲載している。そんな配置がまたしばらく続いていたのに、なぜか駒ヶ根市のタイトルが消えてなくなっているのである。「駒ヶ根市はどこへいったんだ」と気がついたわたしは、先輩に冒頭の言葉をかけたのである。先輩は地域タイトルをあまり意識せずに読んでいたのだろう、だからすぐには気がつかなかった。それでもいつもある「伊那」のタイトルで掲載される記事がなければきっと気がついたはずである。

 「駒ヶ根市がないけどどうしてでしょう」とその答えを言うと、ようやくそれに気がついたようで、新聞にはよくありがちな地域ごと誌面を変更して配布しているのだろうかなどと想像することになったが、先輩は「そういえば、諏訪地域版とまったく同じ誌面の芸能欄が最近ないなーと感じていた」という。そうなのだ駒ヶ根市版の裏側にそれが掲載されていたのである。そこまで言われて「ひょっとして」と思いページを確認すると2ページ欠落している。なるほど新聞がおかしいのではなく、もともと誌面が欠落していたのである。まさかと思い、古新聞の塊を探すと「あった、ここに」という具合なのである。「昨日も見なかったけど昨日のも本当はあったんだ」というわけで、ここで思い当たることがある。この新聞、毎日ではないがウィークデーには折りたたみ見開きページではない半紙の両面一枚版が入っている。その一枚版が駒ヶ根市版なのである。そしてこの一枚版は、新聞の垂れ下がるタイプのパイプ閉じ式閲覧棚に架けると、落ちてしまうのである。ようは綴じ代がないから落ちてしまうわけで、落ちないようにするにはその版だけ糊付けするかホッチキス止めしないといけないわけだ。架けたときは摩擦で落ちずにいても、閲覧しているうちに落ちてしまう姿を何度も見ている。ようは落ちてしまう誌面を最初から閲覧用に綴じずに、古新聞の中にポイッとしてしまうのである。実はこの作業、毎朝女性が行っている。「どうせ見ないだろう」と思っているのか「どうせ落ちてしまうから」と思ってなのか、いずれにしてもその女性がこの行為に出たのである。実は少し前から「へんだなー」と思っていたわたしはそれに気がついたが、会社の人は気がついていなかった。ようはその新聞を読んでいる人は、わたしとその先輩ぐらいなのである。よそから来ている人たちにはあまり気になる記事は載っていないということで、まったくのローカル新聞だからそれも仕方ないわけである。

 それにしても最初から日のあたるところに出ずに古新聞にされてしまう駒ヶ根版の運命もはかないもので、平気でそういうことをしてしまう人もいるんだとなかなか感心してしまうのだ。「彼女ならやる」と口にはしなかったが、先輩もそんな予測を同時にしていたのである。たまたま掲載順が変更されて駒ヶ根版であるが、かつてなら飯島・中川版のポジションであった。飯島生まれのわたしはすぐに気がついたことだろう。新聞をいきなりゴミポイとはなかなか「やるなー」。そして気がつかなかった我々もぼけたもの、というか「そんな新聞必要なの」ということになる。
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