Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

中山間集落のこれから

2008-10-20 19:21:30 | 農村環境
 民俗学が現代の地域問題にあまり関わろうとせず、その問題解決の糸口さえ提示できなかったことを以前から少しばかり触れてきた。具体的にどういう意味なのだと考えても、すぐには事例をあげられなかったが、今回紹介する事例は明らかに今後の(いやすでにそんな事例はたくさんあったのだろうが、地域社会だったからあまり表に出なかったのかもしれない)地域社会で問題となりうるもので、かつこの問題は一層地域社会を疲弊した状況に陥れてしまうものであると危惧している。

 平地農村においては、ほ場整備というものが網羅されて行われた。これは①不整形の水田や畑を整形にして機械化を促進する、②点在している所有地を集団化することにより、効率化を図る、③かつては道路というものがなかったため、そうした道路をそれぞれのほ場に接すことで機械化はもちろん公共の道と個の土地を結ぶ、④同様に水路をそれぞれのほ場と結ぶ、など大変意味ある整備であった。確かにそれをきっかけに失われたものもあるだろうが、実は地域社会を維持していくためにはこの整備はどんなレベルの整備であっても不可欠であったといえるだろう。その最たるものが③と④であって、それでも将来的に水田外に転用してしまうとか、大規模な転売という土地であれば④は絶対必要というものではなかった。何より重要な点が③である。もちろん道路についてはほ場整備でなくとも単独で整備は可能であり、事実ほ場整備はできなくても道路だけは整備をしたいといって整備された事例はたくさんある。しかし道路となると土地を捻出する方法でなかなか折り合わないこともあり、総合的にさまざまな問題をクリアーできる手法としてほ場整備は存在した。ところが、ほ場整備はもちろん、道路整備も完全ではなかった地域では、いまだ個人の耕作地に道路が隣接していない事例は探せばたくさんある。耕作地ならともかく山林ともなれば道のない山林がほとんどかもしれない。それらはそれら山を所有する人々の中で暗黙の了解で人の土地を通ることが許されたもので、今も同様の形で維持されている空間だろう。ところが山林はご存知のとおり林業の衰退とともに、また利用価値という面でも土地の流動はそれほどなかった。しかし、水田など農地についてはこれまで転用という形でその環境を大きく変えてきた。もちろんそうした土地流動において問題が今までに派生しなかったわけではないだろうが、平地に関しては山間と異なり、「道路を設ける」という意識が早くからあって、それほど道のない所はなかっただろうし、あったとしても道がなければ土地が売れないという現実もあっただろう。ところが山間ではそうした土地流動が少なく、加えて整備がなかなか進まないということもあって、いまだ道のない土地は残る。

 山間地域が跡継ぎがなく、過疎化していくのは承知のところである。山奥はともかくとして、このごろは中間地域においても次世代には人口半減は当たり前で、家そのものの存続が危ぶまれ、集落はなくなろうとしている。そんななかで、伝承する子ども達が同居していないということもあって、たとえばある集落の主だった人々が亡くなれば、それまでの慣習が途絶えてしまう。ということは暗黙で了解されていた地域のしきたりのようなものも切れてしまい、たとえば道のなかった人は二度と道を使えないなどという事例が出ても不思議なことではない。妻の実家の近辺で現在も耕作されている水田をみても、道が隣接していない水田が50パーセントほどある。たまたま水路が隣接していてその水路敷が広げられて耕作をしているが、正規に公の土地として広げられているわけではない。どういう経過かは解らないが、当時は了解の上で水路の隣接地の人々がそれぞれの土地を出し合ったのだろう。まだ水路が沿っている水田はともかくとして、それすら隣接していない土地も少なくない(了解のもと人の土地を通って良かった)。山間ということもあって土地の流動は今までなかったが、そろそろ次世代が耕作もできないからといって人に貸したり売ろうなどという話も出ている。まったくの他人の手に渡ったとしたら、今までの口約束とか地域の約束などというものはいっこうに通用しなくなる。道に沿っていない土地は、結局は道に沿った土地の奥に存在するわけで、売れるのは道に沿った土地。ということで、奥まったところの土地の所有者は、人の手に渡ってしまったらその土地に足を踏み入れることすらできなくなる。

 地域が穏便に動いている間はともかくとして、たとえばずる賢い人間がそこを突き法律を嵩にしてしまうと、地域は大変なことになる。そんな問題が起きうることを民俗学は認識してこなかったのではないだろうか。

 『長野県史民俗編』の中に調査項目として触れられているものにこんな質問がある。「耕地へのはいり道のない土地の持主は、馬いれを作ってもらうことを主張できるならわしはありましたか」というものである。ここで質問している馬入れは、「公道」という意味での道なのか、それとも了解の上で利用される道なのかはっきりしない。同じ質問をかつて飯田市の公共調査で質問した回答をみると、多くの人が「耕地へのはいり道のないところはなかった」と答えている。飯田市域はほ場整備がされていないところが多い。とくに山間で聞いた回答を見ても同じような回答が多く、「本当なの?」と疑問がわく。この質問の問題点は、回答者が耕地への入り道を公のものか、それとも暗黙の了解のものか判断しにくい質問だということ、さらには回答者がそれを認識しているか、というところである。場合によっては公の道と回答者が思い込んでいるということも十分にありえる。実はこの質問内容を作ったのは自分であるが、あらためて民俗学の不備を知る結果となる。民俗学の関係者でこのことに気がついている人がどれほどいるのだろうか。隣接していないため土地が売れないということにもつながるが、売買以上にそのことを地域の人々ですら認識していない人が多く、さらには次世代が同居していないがために、地域社会の秩序はあるときいきなり途切れてしまう可能性が大きいのである。
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