Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

もっと足元を見なくては

2008-10-28 12:57:23 | ひとから学ぶ
 近ごろリニアが話題になって、ブログにもよく関連の記事が掲載されている。このことについてはわたしも何度か触れてきたことで、いまさら「また何を?」というとこであるが、きっとリニアの駆け引きはまさに地域性を表すもので、今後も頻繁に利用する題材だろう。

 「あなろぐちっく」さんの日記にこんなことが書かれていた。「悲しいのは、知事が県の利益にならないという理由で直線ルートに反対していることだ。諏訪という地方の人たちも直線ルートでは長野県の総意ではないと言う。この直線ルートにある飯田市には、諏訪よりも多くの人が住んでいる。この人は長野県人ではないのか・・・・ 長野県人とは、長野市の辺りに住んでいる人か、長野市に益をもたらす地域に住む人のことなのか・・・」というものである。おそらく飯田周辺の人たちの多くがこの意見に賛同するのだろう。これがわたしの今までにも触れてきた、この地域の不幸な意識なのであり、どうしようもないことなのかもしれない。しかし、飯田とか伊那といった枠で切られてしまうとやるせない人たちがいんじゃないか、と発言したあなろぐちっくさんの口からこうした言葉が出たということは、かなり厳しい状況だと感じる。

 まずあなろぐちっくさんの間違いは、県の利益を考えればやはり直線ではないということ。人口の話を出すと間違いなく直線ルート長野県のメリットはない。諏訪市は飯田市よりも人口は少ないが、諏訪広域圏の人口は2006年2/1現在で約210千人。南信州広域圏の人口は2005年8/1現在で177千人。飯田市が大半を占めているものの、広域圏の人口比では明らかに諏訪が多い。加えて飯田市から遥か遠い下伊那西南部といった地域もあって、下伊那地域は広大であることは言うまでも無い(面積比 諏訪:飯田=715km2:1929km2)。さらに言えば中間地域の上伊那広域圏の人口は2005年11/1現在で約198千人である。もっといえば松本広域圏の人口は2006年4/1現在で430千人である。ようは人口のことを言うと、北寄りであるほど広域視点に立てばメリットが大きいということになる。このことは念頭においておかなければならない点である。もちろん飯田の人々が「長野県人」であることも説明すことでもないだろう。

 飯田の人たちが思うほど、わたしは飯田下伊那地域が長野市の人々に虐げられているとは思わない。以前いつごろだったか触れたことがあるが、長野市内の犀北館の隣にある歯医者さんに通った際、そこの歯科衛生士さんが、「下伊那っていいところがありますよね」と言ったことを忘れない。彼女は売木村にある星の森キャンプ場を毎年訪れると言っていた。彼女だけではない。確かに遠いことは誰もが認識していてどこにどんな村があるかなどということを知らない人は多いが、目くじらを立てて下伊那の人々が文句を言うほど長野市周辺が恵まれているわけではない。人口が多ければある程度傾向するのは仕方の無いことだし、またそこに住んでいる人たちが「飯田は・・・」などと文句を言うことはない。しいて言えば田中知事時代に、知事自ら長野を毛嫌いしていたことで、「飯田の方が恵まれている」と口にする人がいたことは事実ではあるが・・・。しかし、その当時長野市周辺のとくに西山地域を頻繁に訪れていたわたしは、飯田市下伊那以上に虐げられた村々を見てきたつもりだ。それほど飯田周辺地域が際立って長野県人として蔑まされているなどということはまったくないのである。むしろ飯田下伊那の人々がそれを意識しすぎて、自地域の中に閉じこもっている傾向を感じるわけである。そういう意識があるからこそまた成功している人たちもいるのだろうから、必ずしもそれが悪いばかりではないということも認識しなくてはならない。

 あなろぐちっくさんのこれまでの語りにはない違和感のある意見は、わたしには少しばかりがっかり感が生じたわけだが、それがこの地域を物語っているといってもよいことで、やはり根深い問題が横たわっているとわたしは思っている。ちなみにコメントの中で彼が感じ取ったこれまでの北の方の人の言葉が並べられているが、もちろんそういう言葉を口にする人もいる。しかし、それは意識しすぎるからこそ悪く捉えてしまいがちで、より強く地域性を意識しながらこの何十年もの間長野県内を歩いてきたわたしだからこそ言えることは、「それほどじゃないですよ」ということである。どうも飯田下伊那地域の人たちが口にする言葉は、自分たちを誇示しすぎているということである。わたしの関わっている世界でたとえて言うならば、飯田下伊那は民俗の宝庫とか民俗芸能の宝庫なんていうことを言う。でももっと素朴でかつての暮らしをしっかりと継続している地域は全国に行くといくらでもある。なぜそうやって他地域をもっと純粋に見ようとしないのか。また、田舎そのものも売り出しているが、どうでしょう、飯田下伊那より素朴な地域はいくらでもあると感じる。そういうところにいつも違和感を持っているわたしでもある。もっと足元をみないといけない、というのは自分も含めてみんなに知ってほしいということである。昨日も南箕輪村の水田地帯を歩いていて思ったのは、飯田下伊那には姿が少なくなったワレモコウが、あたこちに咲いている。びっくりするほど多い。周辺には新たな住宅地が虫食いのように点在してはいるものの、風景だけをとってみると、素朴な風景はいくらでも足元にある。もっともっと目を凝らして観察していかなくてはいけないとつくづく感じるわけである。

 そういえばもうひとつ最近気になった事例があった。ある郷土研究の雑誌を出している飯田の方に「お一人で全部やるのは大変だから、こういう時代ですし役割分担とかしてはどうなんですか」と言ったところ、「そういうわけにはいかない」と言う。「●●(飯田ではない県内の地域の会を事例にして)ではそうやっているようですが」と言うと、「●●とは違う」とずいぶんと不機嫌に言われてしまった。何か自分たちがけなされたと思われたのかもしれないが、こういう意識があちこちで垣間見れたりする。とても違和感のある後味の悪いものとなってしまうのである。こんなことを長年蓄積してきたのだろう。だからこそ簡単には抜け出せない関係になってしまっているのである。
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