goo極楽トンボの人生行路

勝手気ままに、独断と偏見の瞑想空間ほ

医療管理者

2015-08-23 22:34:02 | 日記
70歳になって医療費が1割になった途端な、大腸のポリープを取り 白内障の手術したら、身体が病院を恋しく思うようになり、気が付いたら血糖値が 288 血圧が228で目が回ってどうにもならず、小便臭い研修女医に高血圧と糖尿病ですと罵られた。

あれから7年近所の町医者に2週間に一度定期的に。
診察室に入ると前回の血液検査の結果を貰って
血圧を測り結果は毎回138か140 採血をして、7年間名前は変われど薬効が変わらない薬を買って帰る闘病生活?をしていたが、今年に入って医者には言わずに服薬を止めたが5月まではヘモグロビンA1Cも減少傾向 血圧は相変わらず138 「この医者 本当に大丈夫??」
本来なら2週間毎に行くところを6週間開けて行ったら、血圧180 で医師から真面目に薬を飲めとお叱りを

よくよく考えると私はこの医者からは金儲けの顧客として存在するものの、患者としての待遇即ち病気を治す為の処方や相談 指導を受けた事が無い。
言い換えれば私にとっての医者では無く、医療管理者でしかない存在なのだ。

糖尿病は治らないとか 高血圧は常薬浸けで血圧の安定を図るなんて事は医学の知識を必要とはしなくても、対応出来ることだから、高い医療費の削減の為にも、病気を治すことをしない医師を医療管理者に格下げするべきである。

世の中には『先生と呼ばれて自分は偉いと思う馬鹿者が彼方此方にアホ面さげてたくさんいるなぁ』

夢路への旅

2015-08-22 14:03:50 | 日記
来年のサッポロ雪まつりは2人で行けそうだ。

未だ 泊りがけは無いが、昨年暮れにサッポロ雪まつりの話で2人で行こうと言っていたが、エア&ホテルが取れなくてダメだった。

久しぶりに洒落た喫茶店でお茶を飲みながらに雪まつりの話が出て何とは無しに行きたそうな口振りに胸がわくわくして来た。

泊りがけに対する意識をそれなりに伺うも案外抵抗の無い様子が感じられた。
年末には北陸へカニを食べに連れてやりたい。

カニを餌に2人の思惑?
カニも迷惑な話しである。

2人でのんびりと露天の温泉に浸かって、静かで燃えるような夢路を味わいたいものだ。

夢があるからビジネスに燃えるのだし、ビジネスがあるから夢が生まれるんだろう。

8月15日に思う

2015-08-15 04:33:51 | 日記
70年前の日本は南方海域で米軍にことごとくやられていたのに、ラジオでは『勝った 勝ったまた勝った』と大本営が国民を騙していた。

8月14日の砲兵工廠の壊滅的な攻撃を目の前て見せらされた私は玉音放送を聞いても、内容は理解出来無かったが、戦争が終わった事だけは分かった。

今まで勝ち続けているのに、兵器を造る砲兵工廠が破壊されても戦争は勝てるなんで不思議な世の中だと14日は考えていた。
勝っているのに、なんでB29が編隊を組んで大阪の上空を悠々と飛び、好き勝手な攻撃を繰り返しているのか?

戦争は人心を迷わす前に戦争起案者を妄想中毒患者にする。
全ての中毒患者は患者になった時点でセルフコントロールは無くなり、中毒状態の維持のみが正常と身体が覚え頭脳のコントロールは無くなる。

8月15日を境に大変貧しい生活だったが平和な日々がやって来た。

戦争を知らない馬鹿どもが、オオカミ少年の如くに『中国 中国』と言っているのは 、大本営遊びがボチボチ中毒患者になりつつあるようにも感じられる。

8月14日

2015-08-14 04:23:46 | 日記
8月14日 毎年この日には忘れられない光景が思い出される。

70年前の昭和20年8月14日 終戦の前日大阪大空襲が大阪を決定的に破壊したのだ。

米軍機は紀伊水道から当時最も高い建物である大阪城を目標に 飛来した。
昭和20年は春から南部 西部 北東部と順次焼け野原となり、8月14日最後に残った大阪城の東側にある陸軍砲兵工廠を集中攻撃をした。
大阪城は飛行標的として攻撃せずに、その分爆弾投下は現在の環状線京橋周辺にまで及んだ。

国民学校2年生(学校は休校)の私は6月7日に京阪京橋駅から100メートルの住宅に住んでいた家が空襲で丸焼けになり、跡地に親が掘建小屋を建てて住んでいた。

お昼過ぎからの空襲は猛烈な爆弾攻撃で攻撃をされる度に周囲は数分間粉塵で何も視えない。
焼け野原に佇む?我家への攻撃は無いが敵機の飛来する音が聞こえたら、クソ暑い最中に頭から布団を被り、強烈な地響きが聞こえ終わると生きていたことを確認するながい ながい恐怖の時間だった。

被災地は惨憺たるもので、当時の城東線(現在の環状線)を焼夷弾で被災した電車が燃えながら走り、線路は象牙の様に反り上がり駅舎は影形を失っていた。

私が最も記憶から消え去ることが出来ない映像は敵機の空襲が終わり攻撃された駅周辺をパンツ一枚で観に行ったときのことである。

駅の南口 寝屋川との広場では無数の人々が亡くなっていた。辺り一面に屍体が折重なり、子供心に大変な恐怖に襲われた。

然も生き残った人びとが全く無表情に亡くなった屍を次から次へと高々と燃えあがる火柱に放り込んでいた。
私にはその光景に何の不思議さも考えることもなく唯呆然と観ていた。

何処の誰とも調べようともせずに被災現場の片ずけが行われていた。

戦争とは想像の限界を越えて酷いことが何事も無かったかの如くに遂行されるんだと、歳をとってしみじみと教えられた。

野党のアホども

2015-08-10 23:04:13 | 日記
野党のアホ共の頭ではなんぼ安倍がアホやと言っても勝てないは。

集団的自衛権の論議で安倍が『首相の私がやらないと言っているのだからやらない』と言ったら『あなたはいつまで首相をらやるのですか』と必殺の質問をなんで出来ないのだろうか?

それ程極数年先まで頭が働かない。
要するに、中身のないノータリンなんだ。

世の中には殺し文句と言う武器がある。
私はとっくの昔から頭には無駄な毛は飾っていない。義兄に文部省公認(私が勝手に決めた〉のアホが口癖で言っていたが、世の中には多くの人がハゲをとやかく言うが、私が『黒人には禿げはいない』と言うと誰も一言も無い。
ただし無知な輩は必ず屁理屈を宣う。

総理が安倍から他の人になったら、安倍の国会答弁が正しいのかを、なんで問わないのか?

野党の馬鹿ども私の処にゼニ持って教えを受けに来い。