東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2024-08-01 23:12:21 | 日記
 ゲリラ雷雨ですか・・・。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、南部藩の最後の藩主は南部利恭で、明治36年(1903年)に亡くなったようだ。次の南部氏の南部利祥は南部利恭の息子で、南部利祥は陸軍の軍人で、明治38年(1905年)に日露戦争で戦死したらしい。
 
 次の南部氏の南部利淳も南部利恭の息子で、南部利祥の兄弟だそうだ。南部利淳は昭和5年(1930年)に亡くなったらしい。次の南部氏の南部利英は一条家から養子で入った人で一条実輝という人の息子らしい。南部利英の時に華族制度が廃止になったようだ。
 
 一条実輝は四条家から一条家に養子で入った人らしいけど、一条実輝は四条隆平という人の息子で、四条隆平の兄の四条隆謌の息子として育てられたらしい。四条隆謌の四条家が本家らしい。一条実輝は海軍の軍人で、一条実輝は大正13年(1924年)に亡くなったらしい。
 
 次の一条家の一条実孝は大炊御門家から養子で入った人で、一条実孝の時に華族制度が廃止になったようだ。一条実孝は大炊御門師前という人の息子のようだけど、ウィキペディアを見ると、いろいろと問題があって、大炊御門家は大炊御門師前の弟の大炊御門幾麿が継いだようだ。
 
 奈良県奈良市にある高橋神社と千葉県南房総市にある高家神社と栃木県小山市にある高椅神社では磐鹿六雁命を祀っていて、南房総市の高家神社のHPを見ると、磐鹿六雁命は料理の神様で、醤油醸造や調味料の神様らしい。ウィキペディアで調べると、磐鹿六雁命は膳氏の祖で、膳氏の人が高橋氏を名乗ったことになってるらしい。岩手県盛岡市にある盛岡八幡宮にも磐鹿六雁命を祀る高倍神社がある。
 
 藤原山蔭も料理の神様ということになってるらしいけど、藤原山蔭は藤原北家の人で、藤原山蔭は藤原魚名という人の子孫で、藤原魚名の嫡流が四条家らしく、四条家から分かれて明治維新の後に華族になった家もあるようだ。包丁式は高橋氏が執り行ってたらしいけど、藤原山蔭が四条流の包丁式を新たに編み出したらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 京都にある吉田神社は平安時代に藤原山蔭が創建したことになっていて、吉田神社では藤原氏の神社の春日大社と同じ建御雷命と経津主命と天児屋根命と比売神を祀っているらしい。吉田神社には神龍社があって、吉田神道の創始者の吉田(卜部)兼倶を祀ってるらしい。
 
 吉田神社にある大元宮は天神地祇八百万神を祀っていて、吉田神道の教義の宇宙軸の現れで、始まりの神の虚無太元尊神を祀り、そこから生まれる八百万の神を祀ることで全国の神々を祀るのと同じらしい。わけがわからないけど、吉田神社のHPを見ると、こんなかんじでいいんでしょうか?。
 
 吉田神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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