東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

長州

2024-08-16 11:43:23 | 日記
 長州閥っていうの?、何者なんでしょう?、この人たちは。伊藤博文、山縣有朋、井上馨、桂太郎、児玉源太郎、乃木希典、寺内正毅、他にも、まだいるんだろうけどさ。
 
 岸信介と佐藤栄作も仲間に入れてあげたほうがいいの?。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 桂太郎は長州藩の出身ということになってるらしいけど、本当か知らない。桂太郎は日清戦争の後に台湾総督に就き、第三次伊藤内閣と第一次大隈内閣と第二次山縣内閣と第四次伊藤内閣と続けて陸軍大臣に就き、第四次伊藤内閣の次に総理大臣に就き、第一次桂内閣では内務大臣と文部大臣を兼任し、第二次桂内閣では大蔵大臣を兼任し、第三次桂内閣では外務大臣を兼任したようだ。桂太郎は大正2年(1913年)に亡くなったらしい。桂太郎の孫の桂広太郎という人が跡を継いだようだ。
 
 西園寺公望は徳大寺家から西園寺家に養子に入ったらしいけど、本当か知らない。西園寺公望は第二次伊藤内閣で文部大臣と外務大臣を兼任し、第三次伊藤内閣でも文部大臣に就いたようだ。西園寺公望は総理を退いた後は元老になって政界で大きな影響力を持っていて、昭和の初め頃は元老は西園寺公望だけだったようだ。西園寺公望は昭和15年(1940年)に亡くなったらしい。
 
 西園寺公望の西園寺家は西園寺八郎という人が継いだらしく、西園寺八郎は長州藩の最後の藩主の毛利元徳の息子らしい。西園寺八郎の息子の西園寺公一は近衛文麿が総理だった時は外務省の嘱託職員や内務省嘱託だったらしいけど、ゾルゲ事件で国家機密をソ連に流していたということで逮捕されたようだ。
 
 山口県にあった長州藩の最後の藩主は毛利元徳で、長州藩の支藩の徳山藩の毛利氏から養子で入った人らしい。毛利元徳は明治29年(1896年)に亡くなったらしい。次の毛利氏の毛利元昭は毛利元徳の息子で、昭和13年(1938年)に亡くなったらしい。次の毛利氏の毛利元道は毛利元昭の息子で、毛利元道の時に華族制度が廃止になったようだ。
 
 東京都世田谷区にある松陰神社では吉田松陰を祀っていて、吉田松陰の墓があるらしい。桂太郎の墓は松陰神社の隣接地にあるらしい。松陰神社は明治15年(1884年)の創建らしい。本当か知らないけど・・・山口県萩市にも松陰神社があるらしく、明治40年(1907年)の創建で、境内には松下村塾の建物もあるらしい。
 
 松陰神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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