東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

平泉

2023-10-30 22:46:11 | 日記
 どうなってんすかね?。隠蔽工作が凄いんですけど・・・。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。安倍氏の棟梁は安倍貞任で、安倍貞任は盛岡にあった厨川柵にいて、厨川次郎といわれるらしい。
 
 安倍貞任の息子が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になったらしいけど、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしい。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったらしい。本当か知らないけど・・・。三春藩の最後の藩主は秋田映季で、次の秋田氏の秋田重季は公家の大原氏から来た人で、明治40年(1907年)に家督を継いだようだ。秋田重季の時に太平洋戦争の終戦を迎えて華族制度が廃止になったようだ。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。田村氏は戦国時代は福島県の三春町にいて、戦国時代の終わり頃に途絶え、伊達政宗の妻の愛姫が田村氏の出身ということになっていて、伊達家が再興したことになってる。田村氏は伊達騒動の後に一関に来たことになっていて、伊達藩の中でも一つの藩のような扱いを幕府から受けてたらしい。本当か知らない。
 
 江戸時代の宮城県角田市には石川氏がいて、伊達藩の家臣団の序列の一番上の一門の首席だったようだ。本当か知らないけど・・・。伊達藩では仙台と白石に城があって、他は城といっても要害というらしい。江戸時代の最後の石川家の石川邦光という人は石川義光の息子らしい。
 
 戊辰戦争の頃の田村氏の田村邦栄という人は角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、再び家督を継いだようだ。田村崇顕という人も角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で明治20年(1887年)に家督を継いだようだ。田村丕顕は海軍の軍人だったようだ。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。東北だけじゃなく、日本各地に坂上田村麻呂伝説があるみたいだけど、字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。
 
 一関市の隣の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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