東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

神道

2021-05-10 20:01:52 | 日記
 明治天皇は朝鮮人なんだろうか?。
 
 ウィキペディアで調べると、有栖川宮幟仁親王は明治維新の後に初代の神祇事務総督と神祇事務局督に就き、神道教導職の総裁や皇典講究所の総裁にも就いたようです。
 
 有栖川宮幟仁親王の息子の有栖川宮熾仁親王は王政復古の大号令で樹立した新政府で最高職の総裁に就き、戊辰戦争では東征大総督に就いたようです。西南戦争の時も鹿児島県逆徒征討総督に就いたようです。
 
 有栖川宮熾仁親王の後は有栖川宮熾仁親王の弟の有栖川宮威仁親王が有栖川家を継いだようだけど、有栖川宮家は有栖川宮威仁親王で途絶え、高松宮家が受け継いだみたいです。
 
 明治維新の後に明治天皇から神道が国の宗教になるように宣言され、大教院が設立されたようだけど、数年後に大教院は解散になり、神道事務局が設立されたようだ。本当か知らない。
 
 神道事務局ができて、一定の信者数などの条件を満たした教団は宗派として認められ、それが教派神道になってったみたいです。神道事務局は明治19年(1886年)に組織改編されて神道本局になって教派神道の一派になり、昭和15年(1940年)に神道大教という宗教になったみたいです。
 
 明治15年(1882年)に神道事務局の後継団体として皇典講究所ができて、皇典講究所は太平洋戦争の終戦後の昭和21年(1946年)に解散し、神社本庁に統合されたみたいです。
 
 皇典講究所は神職養成の中央機関で、國學院大學の前身の國學院が皇典講究所に設立され、太平洋戦争の後に國學院大學になったみたいです。ウィキペディアの國學院大學のところを見ると、國學院は国史と国文と国法の研究機関として設立されたようだ。
 
 神社本庁ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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