東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

お祓い

2024-07-24 10:55:21 | 日記

秘密結社

2024-07-24 10:52:08 | 日記
 帰化人ですか・・・。
 
 岩手県奥州市の江刺には光明寺という曹洞宗の寺があって、山号は大蔵山だ。HPがある。光明寺は江戸時代に江刺にいた岩谷堂伊達氏の岩城氏の菩提寺だそうだ。たぶんだけど・・・。岩城氏は明治維新の後に伊達氏から岩城氏に戻したらしいけど、その後がわからない。岩城氏は戦国時代は福島県いわき市にいて、秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏は同族らしい。
 
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 第一次西園寺内閣では山縣伊三郎と原敬と堀田正養と逓信大臣が三回変わったようだ。山縣伊三郎という人は山縣有朋の姉の息子で、山縣有朋の養子になって山縣有朋の跡を継いだようだ。逓信省は交通や通信や電気など幅広く管轄してたらしい。
 
 原敬は岩手県盛岡市の出身ということになってるけど、本当か知らない。原敬は第四次伊藤内閣で逓信大臣に就き、第一次西園寺内閣で内務大臣と逓信大臣を兼務し、第二次西園寺内閣では内務大臣と鉄道員総裁を兼務し、第一次山本内閣でも内務大臣に就き、大正7年(1918年)に総理大臣になって司法大臣を兼務し、大正10年(1921年)に暗殺されたらしい。
 
 原敬の最初の妻は貞子という女性らしく、明治38年(1906年)に離婚したようだけど、原敬の後妻の浅という女性は奥州市の江刺の出身らしく、東京で芸者をしていて原敬の妾だったらしいけど、明治41年(1908年)に結婚したらしい。浅は菅野弥太郎という人の娘らしい。 
 
 堀田正養という人は滋賀県にあった宮川藩の最後の藩主で、秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏から養子で入ったことになってるらしい。堀田正養は明治44年(1911年)に亡くなったらしい。次の堀田氏の堀田正亨という人は大阪府にあった丹南藩の高木氏から養子で入った人らしいけど、ウィキペディアを見ても、それ以上わからない。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、後藤新平は第二次桂内閣で逓信大臣と初代鉄道院総裁、第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣で内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣で内務大臣に就いたようだ。後藤新平は東京市長にも就任したようだ。後藤新平は関東大震災の後に帝都復興院総裁に就き、東京の復興計画を立案したらしい。後藤新平は昭和4年(1929年)に亡くなったらしい。後藤新平はフリーメイソンらしい。
 
 明治35年(1902年)に日英同盟が結ばれたみたいだけど、林董という人は日英同盟の調印の時の日本の代表だったようだ。林董は駐英公使だったようだけど、明治36年(1903年)にフリーメイソンに入会し、次の年には日本人初のロッジ・マスターになったらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。林董は第一次西園寺内閣で外務大臣、第二次西園寺内閣では逓信大臣を務め、外務大臣も一時兼任したようだ。林董は大正2年(1913年)に亡くなったらしい。林董は千葉県にあった佐倉藩の出身ということになってるらしい。
 
 千葉県にあった佐倉藩の藩主は堀田氏で、佐倉藩の最後の藩主の堀田正倫は明治44年(1911年)に亡くなったらしい。次の堀田氏の堀田正恒は佐賀県にあった蓮池藩の鍋島氏から養子で入った人で、堀田正恒の時に太平洋戦争の終戦を迎えて華族制度が廃止になったようだ。
 
 フリーメイソンですか・・・。
 
 
 火をつけるか

奥州

2024-07-24 10:41:23 | 日記
 呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 岩手県奥州市の江刺には光明寺という曹洞宗の寺があって、山号は大蔵山だ。HPがある。光明寺は江戸時代に江刺にいた岩谷堂伊達氏の岩城氏の菩提寺だそうだ。たぶんだけど・・・。岩城氏は明治維新の後に伊達氏から岩城氏に戻したらしいけど、その後がわからない。岩城氏は戦国時代は福島県いわき市にいて、秋田県由利本荘市にあった亀田藩の岩城氏は同族らしい。
 
 江刺の街の岩谷堂の近くに観音寺という曹洞宗の寺があって、山号は円通山だ。観音寺はもともとは慈覚大師円仁が創建した放光大悲山高寺が最初で、江戸時代の初めに大悲山円通院という黄檗宗の寺になって再興されて、黄檗宗の総本山の萬福寺の直末の寺になったらしい。昭和の太平洋戦争の終戦後に無住の寺になって、昭和28年(1953年)に今の曹洞宗の寺の円通山観音寺になったらしい。本当か知らないけど・・・。岩手県の寺の本を見て書いてます。
 
 ウィキペディアで調べると、江戸時代の初め頃の黄檗宗の僧で鉄眼道光という僧がいて、明から来た隠元が持ってきた大蔵経をもとにして、日本版の大蔵経を刊行したらしい。本当か知らないけど・・・。鉄眼道光の大蔵経は第二次世界大戦前の日本の教科書にも載るほど著名なもののようだけど、誤字が多いらしい。
 
 明治時代にも大蔵経の編纂が行われたみたいだけど、大正13年(1924年)から昭和9年(1934年)の10年間かけて編纂された大正新脩大蔵経が仏教界や仏教研究に大きく影響を与えてるらしい。
 
 大蔵経の中に七佛八菩薩所説大陀羅尼神呪経があって、その中に「妙見」という言葉の説明があるらしい。大蔵経について詳しく知らないけど、仏教の経典などをまとめた仏教の総合書籍みたいなもんなんでしょうか?。
 
 中国では北極星は北辰といって宇宙の中心と考えられていたようだ。中国の道教では北極星が神格化して天皇大帝になったようだ。北極紫微大帝も北極星が神格化して、北斗真君は北斗七星が神格化したようだ。北辰妙見菩薩は中国の道教に由来するらしい。ウィキペディアの妙見菩薩のところに詳しいことが載ってる。
 
 奥州市の水沢の街には日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に水沢伊達氏の留守氏の祖霊社の瑞山神社がある。本当に妙見宮だったのか知らないけど、さっさと中国に帰ればいいのに・・・。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

後藤

2024-07-24 09:06:08 | 日記
 今の時代も日本人かわからない政治家が日本には一杯いるんでしょ?。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれ、安場保和という人が来て大参事に就いたらしいけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。本当か知らないけど・・・。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたらしい。
 
 安場保和は福島県令になったらしいけど、後藤新平は須賀川医学校に入ったようだ。安場保和が愛知県令になると、後藤新平は愛知県医学校の医者になったようだ。後藤新平は明治23年(1890年)にドイツに留学したらしい。帰国後に内務省の衛生局長に就任したようだけど、明治26年(1893年)にあった相馬事件で5ヶ月間も牢に入れられ、衛生局長も辞めさせられたらしい。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたらしい。後藤新平は台湾総督府の民政長官に就いて、明治31年(1898年)から明治39年(1906年)まで台湾にいたようだ。
 
 日露戦争は明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、日露戦争の後に南満州鉄道が日本に譲渡され、後藤新平は明治39年(1906年)に南満州鉄道の初代総裁に就いたようだ。
 
 後藤新平は第二次桂内閣で逓信大臣と初代鉄道院総裁、第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣で内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣で内務大臣に就いたようだ。後藤新平は東京市長にも就任したようだ。第二次山本内閣の組閣の時の大正12年(1923年)に関東大震災があって、後藤新平は帝都復興院総裁に就き、東京の復興計画を立案したらしい。後藤新平は昭和4年(1929年)に亡くなったらしい。
 
 後藤新平の墓は奥州市には無くて、東京の青山霊園にあるらしい。後藤新平も奥州市の水沢の出身と思えないんだけど、後藤新平の経歴って、どこまで本当なのか、わからないと思いませんか?。
 
 青山霊園ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

斎藤

2024-07-24 09:02:39 | 日記
 奥州市は地獄みたいだなあ。俺なんて、ずっと呪われたような人生を送ってるし。
  
 第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
 
 日露戦争は第一次桂内閣の時の明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、日露戦争の後に南満州鉄道が日本に譲渡され、後藤新平は南満州鉄道の初代総裁に就いたようだ。昭和6年(1931年)に満州事変があって、1932年に満州国が成立したようだ。満州国は1945年まで続いたらしい。
 
 本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど、斎藤実は第一次西園寺内閣と第二次桂内閣と第二次西園寺内閣と第三次桂内閣と第一次山本内閣と海軍大臣に就き、シーメンス事件で海軍大臣を辞任したようだ。その後に朝鮮総督に就いたようだ。昭和7年(1932年)にあった5.15事件の後に総理大臣に就任し、斎藤実が総理大臣だった時には満州国の承認と国際連盟からの離脱があったようだ。斎藤内閣は帝人事件で総辞職したようだ。斎藤実は昭和11年(1936年)にあった2.26事件で暗殺されたらしい。
 
 奥州市の水沢の街にある大林寺という曹洞宗の寺の墓地に斎藤実の墓があって、行ったことある。日本の歴史は嘘の気がするけど、斎藤実は海軍大臣だったわけだし、斎藤実も積極的に関わってるとしか思えないんだよなあ。
 
 大林寺墓地ですか・・・。
 
 
 火をつけるか