東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

後藤

2024-07-24 09:06:08 | 日記
 今の時代も日本人かわからない政治家が日本には一杯いるんでしょ?。
 
 明治維新の後に胆沢県ができて岩手県奥州市の水沢には胆沢県庁が置かれ、安場保和という人が来て大参事に就いたらしいけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたらしく、後藤新平も斎藤実も安場保和に見出された少年ということになってるらしい。本当か知らないけど・・・。後藤新平は安場保和の娘を妻にしたらしい。
 
 安場保和は福島県令になったらしいけど、後藤新平は須賀川医学校に入ったようだ。安場保和が愛知県令になると、後藤新平は愛知県医学校の医者になったようだ。後藤新平は明治23年(1890年)にドイツに留学したらしい。帰国後に内務省の衛生局長に就任したようだけど、明治26年(1893年)にあった相馬事件で5ヶ月間も牢に入れられ、衛生局長も辞めさせられたらしい。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたらしい。後藤新平は台湾総督府の民政長官に就いて、明治31年(1898年)から明治39年(1906年)まで台湾にいたようだ。
 
 日露戦争は明治37年(1904年)から明治38年(1905年)にあって、日露戦争の後に南満州鉄道が日本に譲渡され、後藤新平は明治39年(1906年)に南満州鉄道の初代総裁に就いたようだ。
 
 後藤新平は第二次桂内閣で逓信大臣と初代鉄道院総裁、第三次桂内閣で逓信大臣、寺内内閣で内務大臣と外務大臣、第二次山本内閣で内務大臣に就いたようだ。後藤新平は東京市長にも就任したようだ。第二次山本内閣の組閣の時の大正12年(1923年)に関東大震災があって、後藤新平は帝都復興院総裁に就き、東京の復興計画を立案したらしい。後藤新平は昭和4年(1929年)に亡くなったらしい。
 
 後藤新平の墓は奥州市には無くて、東京の青山霊園にあるらしい。後藤新平も奥州市の水沢の出身と思えないんだけど、後藤新平の経歴って、どこまで本当なのか、わからないと思いませんか?。
 
 青山霊園ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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