東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

中津

2024-07-12 23:57:40 | 日記
 歴史オタクの人たちって、話を美化したり、勝手な思い込みがあったり、そうやって想像力を膨らませるのが楽しいんだろうね、たぶんだけどさ。
 
 大分県の国東半島には六郷満山という山岳仏教があるらしいけど、修正鬼会が行われてるらしい。大分県豊後高田市に高山寺という寺があるらしく、幻の寺といわれていたらしいけど、昭和59年(1984年)に再興されたらしい。山号は西叡山のようだ。比叡山延暦寺と東叡山寛永寺と合わせて三叡山ともいわれていたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮ともいわれるらしい。薦神社では宇佐神宮と同じ応神天皇と神功皇后と比売大神を祀ってるらしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 奈良時代の九州には隼人といわれる人たちがいて、宇佐神宮の近くには隼人の首を葬ったといわれる凶首塚古墳があって、隼人の人たちの霊を祀る百体神社があるらしい。宇佐市に和間神社があって浮殿というみたいだけど、ここで放生会が行われるらしい。放生会は明治時代に仲秋祭に名称が変わったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 奈良時代の隼人の反乱の時、反乱を鎮めるために三角池に自生する真薦で枕を作り、八幡神の御験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで神輿を担いで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 神輿を担ぐ祭りなんて本当に明治時代の前にあったのか知らないけど、そうやって何百年も続く伝統みたいなことにしてるんでしょ?。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

東京

2024-07-12 23:54:03 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、だまされてたほうが幸せってこともあるのかなあ?。それで他人が呪い苦しんでても、自分は知らない、自分は関係無いみたいなかんじでさ。
 
 大分県の国東半島には六郷満山という山岳仏教があるらしいけど、修正鬼会が行われてるらしい。大分県豊後高田市に高山寺という寺があるらしく、幻の寺といわれていたらしいけど、昭和59年(1984年)に再興されたらしい。山号は西叡山のようだ。比叡山延暦寺と東叡山寛永寺と合わせて三叡山ともいわれていたらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 徳川家の菩提寺は東京に天台宗の寺の寛永寺と浄土宗の寺の増上寺と2ヶ所あるみたいだけど、寛永寺の山号は東叡山で、増上寺の山号は三縁山で、増上寺は三縁山広度院増上寺というらしい。徳川幕府って本当にあったの?。
 
 寛永寺と増上寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

日光

2024-07-12 23:49:33 | 日記
 明治維新の話は嘘の気がするし、日本の歴史は嘘の気がするけど、奥州市ってヤバいよね?。
 
 天台宗では明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らないけど・・・。明治以降の天台座主も名前だけはウィキペディアに載ってる。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。菅原栄海は昭和45年(1970年)に天台座主に就いたようだ。菅原栄海は江刺にある勝軍寺という寺の息子らしい。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。中尊寺の貫首をしていた千田孝信という僧は菅原栄海の親戚らしい。
 
 菅原栄海の兄の菅原英信も僧で、菅原英信は日光にある輪王寺の門主や東京にある浅草寺の住職を務めたらしい。菅原英信の息子の菅原信海も僧で、ウィキペディアを見ると、菅原信海は日光の輪王寺にもいたらしいけど、早稲田大学の名誉教授らしい。
 
 栃木県日光市にある日光東照宮と日光二荒山神社と輪王寺は江戸時代は一緒になってたようだけど、本当か知らない。輪王寺の山号は日光山のようだ。輪王寺には徳川幕府の3代目の将軍の徳川家光の墓所の大猷院があるらしいけど、ここが明治天皇の墓所の気がしたんだけど、まったく自信が無いなあ。
 
 輪王寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

日光

2024-07-12 23:40:46 | 日記
 映画なんて何年も見てないし、テレビドラマも何年も見てないけど、もしも徳川家康が総理大臣になったらなんて映画を作って、何が面白いんだろう?。そんな映画を作って、カネの無駄ってかんじ。まあ、芸能界とかエンタメ業界って、そういうところなんでしょ?。
 
 明治維新の後の徳川家は徳川家達という人が継いだらしいけど、徳川家達は第一次山本内閣の後の大正3年(1914年)に総理大臣になる話もあったらしい。
 
 徳川幕府の初代将軍の徳川家康の墓所は栃木県日光市にある日光東照宮と静岡県静岡市にある久能山東照宮と2ヶ所あるらしいけど、詳しく知らない。徳川幕府って本当にあったの?。
 
 日光東照宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

明治

2024-07-12 23:33:12 | 日記
 疲れたなあ。俺は何を調べようとしてるんだろう?。
 
 明治時代は明治元年(1868年)の9月8日から明治45年(1912年)の7月30日までで、大正時代は大正元年(1912年)の7月30日から大正15年(1926年)の12月25日までで、昭和は昭和元年(1926年)の12月25日から昭和64年(1989年)の1月7日までだそうだ。平成は平成元年(1989年)の1月8日から平成31年(2019年)の4月30日までで、令和は令和元年(2019年)の5月1日かららしい。
 
 徳川幕府の最後の将軍の徳川慶喜は水戸徳川家の出身ということになってるようだけど、一橋徳川家を継いだ後に本家の徳川家を継いで、徳川幕府の将軍になったようだ。大政奉還は慶応3年(1867年)にあって、その年に王政復古の大号令が出されたようだ。その後には戊辰戦争があったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 ウィキペディアで調べると、徳川慶喜は明治維新の後は静岡県に移住して、幕府の関係者だった人たちにも、ほとんど会わず、趣味に没頭した生活を送っていたようだ。静岡にいた時の徳川慶喜は経済的にも徳川家達の管理下に置かれ、立場も徳川家達のほうが上だったようだ。
 
 徳川慶喜は明治30年(1897年)に東京に移住し、東京に引っ越してからは明治天皇に会ったり、皇太子だった大正天皇とも交遊を深めたようだ。徳川慶喜は明治35年(1902年)に公爵になり、徳川家の本家とは別で徳川別家を興し、公爵になったことで貴族院の議員にもなったようだ。徳川慶喜は明治43年(1910年)に家督を譲って隠居し、大正2年(1913年)に亡くなったらしい。
 
 明治維新の後の徳川家は田安徳川家の人が継いでいて、徳川家達という人が継いだようだ。徳川家達は貴族院の議員になって、明治36年(1903年)から昭和8年(1933年)まで貴族院の議長を務めていたらしい。徳川家達は第一次山本内閣の後に総理になる話もあったらしい。徳川家達は昭和15年(1940年)に亡くなったらしい。次の徳川家の徳川家正は徳川家達の息子で、徳川家正の時に華族制度が廃止になったようだ。
 
 江戸時代の藩も怪しいし、明治天皇の前に天皇が日本にいたと思えないんだけど、明治維新って何だったんでしょう?。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか