東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

お祓い

2024-07-28 17:42:03 | 日記

奈良

2024-07-28 17:36:41 | 日記
 奈良仏教ですか・・・。
 
 奈良県桜井市の阿部というところに安倍文珠院があるらしいけど、安倍文珠院は華厳宗の寺らしく、華厳宗の寺の東大寺の別格本山らしい。安倍文珠院のHPに、そう載ってる。安倍文珠院は大化の改新の頃に安倍倉梯麻呂が安倍氏の氏寺として創建した安倍山崇敬寺(安倍寺)が始まりらしい。本当か知らないけど・・・・。安倍文珠院には安倍仲麻呂像と安倍晴明像があるらしい。
 
 土御門家は安倍晴明の安倍氏の子孫ということになってるらしいけど、土御門家は大正時代に三室戸家の人が継いだらしく、昭和17年(1942年)に土御門神道同門会が結成され、昭和21年(1946年)に土御門神道として復興され、昭和29年(1954年)に宗教法人天社土御門神道本庁が認可されたらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、明治維新の頃の土御門家の土御門晴栄は錦織家から養子で入った人で、大正4年(1915年)に亡くなったらしい。次の土御門家の土御門晴行は京都府にあった亀山藩の最後の藩主の松平信正の息子で、大正13年(1924年)に亡くなったらしい。次の土御門家の土御門晴善は三室戸和光という人の息子で、昭和9年(1934年)に亡くなったらしい。次の土御門家の土御門凞光は土御門晴善の息子で、昭和19年(1944年)に亡くなったらしい。土御門家は土御門凞光の弟の土御門範忠が継いだようだ。
 
 奈良県奈良市にある東大寺は華厳宗の寺で、東大寺は金光明四天王護国之寺というらしい。ウィキペディアの東大寺の歴史のところを見ると、東大寺は明治16年(1883年)に華厳宗として独立したらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 東大寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

奈良

2024-07-28 17:33:03 | 日記
 奈良仏教ですか・・・。
 
 ウィキペディアで調べると、大西良慶という僧は明治22年(1889年)に奈良市にある興福寺に入って出家して、明治32年(1899年)に興福寺の住職になり、明治37年(1904年)に法相宗の管長になったらしい。大正3年(1914年)に清水寺の住職になって、昭和17年(1942年)まで興福寺の住職も兼務したようだ。昭和40年(1965年)に清水寺は法相宗から独立して北法相宗になったようだ。大西良慶は昭和58年(1983年)に亡くなったらしい。
  
 ウィキペディアで調べると、藤原氏は東家と西家と南家と北家に分かれたらしく、その中でも北家が栄えたらしく、藤原北家から五摂家が出てきたようだ。五摂家は近衛家と鷹司家と一条家と二条家と九条家。五摂家の他にも藤原氏から分かれた氏族がたくさんあって、明治維新の後に華族になった家も多いようだ。明治天皇の皇后の昭憲皇太后は一条家の出身で、大正天皇の皇后の貞明皇后は九条家の出身らしい。
 
 藤原氏の寺は奈良県奈良市にある興福寺で、興福寺は法相宗の大本山のようだ。五摂家の菩提寺は京都に別にあるらしい。
 
 興福寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2024-07-28 17:27:04 | 日記
 南部鉄器ですか・・・。
 
 岩手県奥州市の水沢の羽田というところは南部鉄器の工場が密集してる場所で、新幹線の水沢江刺駅がある。水沢市と江刺市と胆沢町と前沢町と衣川村が合併して奥州市になってる。羽田は奥州市の前は水沢市だったけど、昔は江刺郡だったようだ。羽田村は明治22年(1889年)にできて、昭和29年(1954年)まであったようだ。
 
 水沢江刺駅の前には田茂山という丘のような山があって、坂上田村麻呂と戦った蝦夷の長のアテルイの拠点といわれていて、出羽神社があって坂上田村麻呂の創建ということになってる。奥のほうに愛宕神社があって、古塚がある。明治時代に愛宕神社の社殿を新しく建てたらしい。
 
 今日とにある清水寺の今の貫主は森清範という僧で、新型コロナウイルスが流行する前は、毎年、岩手県奥州市に来て、アテルイ・モレの碑がある出羽神社で供養を行ってたみたいだけど、清水寺にもアテルイ・モレの碑があるらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、大西良慶という僧は明治22年(1889年)に奈良市にある興福寺に入って出家して、明治32年(1899年)に興福寺の住職になり、明治37年(1904年)に法相宗の管長になったらしい。大正3年(1914年)に清水寺の住職になって、昭和17年(1942年)まで興福寺の住職も兼務したようだ。昭和40年(1965年)に清水寺は法相宗から独立して北法相宗になったようだ。大西良慶は昭和58年(1983年)に亡くなったらしい。
 
 京都市右京区にある愛宕念仏寺は天台宗の寺らしいけど、ウィキペディアを見ると、大正11年(1922年)に今の場所に移ったらしいけど、太平洋戦争の戦時中に無住になって荒廃し、西村公朝という僧が昭和30年(1955年)に住職になって復興したらしい。大西良慶は西村公朝という僧の愛宕念仏寺の復興を激励したようだ。
 
 坂上田村麻呂は京都の清水寺を信仰していたことになっていて、清水寺の開山堂は田村堂で、清水寺には坂上田村麻呂像があるらしい。清水寺は法相宗から独立して今は北法相宗で、山号は音羽山のようだ。
 
 清水寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

比叡

2024-07-28 17:23:28 | 日記
 悪事の高丸ですか・・・。 
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。東北だけじゃなく、日本各地に坂上田村麻呂伝説があるみたいだけど、字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。三重県の鈴鹿地方にも坂上田村麻呂伝説があるらしく、鈴鹿御前の話があるらしい。
 
 天台宗の開祖の最澄の庇護者は桓武天皇ということになってるけど、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命して東北の征夷を行った人も桓武天皇ということになってる。
 
 天台宗では明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らないけど・・・。明治以降の天台座主も名前だけはウィキペディアに載ってる。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。菅原栄海は昭和45年(1970年)に天台座主に就いたようだ。菅原栄海は江刺にある勝軍寺という寺の息子らしい。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。
 
 天台宗の総本山は滋賀県大津市にある比叡山延暦寺で、天台宗は法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。天台宗が今のようになったのも明治以降としか思えないんだけど、呪われた人生だったなあ。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか