東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2024-07-24 20:39:22 | 日記
 神社の人たちが中国人か朝鮮人か知らんけど、神道って日本を呪い封じ込めるためのものじゃないか?って何度も書いてるんだけどなあ。
 
 稲荷神社の総本社といわれる京都にある伏見稲荷大社では宇迦之魂と佐田彦大神と大宮能売と田中大神と四大神を祀ってるらしい。伏見稲荷大社の千本鳥居の奥には稲荷山があって、稲荷山には鳥居がたくさんあって、ミニチュアの鳥居もたくさんあって、お塚といわれる場所がたくさんあるらしい。稲荷山が今のようになったのは明治以降らしいけど・・・。伏見稲荷大社も秦氏の人が創建したことになってるらしい。
 
 高山昇という神道家の人がいて、ウィキペディアで調べると、群馬県の今の吾妻町の出身で、大宮巌鼓神社の神職の息子らしい。本当か知らないけど・・・。高山昇は日本各地の神社の宮司を務め、大正13年(1924年)に伏見稲荷大社の宮司に就いたらしい。高山昇は稲荷山に禊道場をつくったり、神道を学ぶ学生のための稲荷神社奨学金を設立したり、附属稲荷講社を設立したようだ。昭和4年(1929年)には東京都西東京市に東伏見稲荷神社を創建したらしい。
 
 高山昇は昭和11年(1936年)に稲荷神社の宮司を退き、皇典講究所の専務理事に就いたようだけど、次の年の昭和12年(1937年)に退任して、その後は神奈川県藤沢市に移住したようだ。昭和18年(1943年)には藤沢市に鵠沼伏見稲荷神社を創建したらしい。その後も乃木神社の社司を兼務したり、神社局参与、神祇院参与、大日本神祇会顧問に就き、昭和20年(1945年)に乃木神社社司を退任して、新しく出来た神社本庁の顧問になったようだ。高山昇は昭和25年(1950年)に亡くなったらしい。
 
 伏見稲荷大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

京都

2024-07-24 20:36:54 | 日記
 明治天皇が中国人か朝鮮人か知らないけど、明治天皇の前に天皇が日本にいたと思えないんだよなあ。
 
 大阪市にある大阪城には豊臣秀吉を祀る豊国神社があるようだけど、HPを見ると、明治6年に京都の阿弥陀ヶ峰に豊国神社が創建され、明治13年に別社として創建され、昭和36年に今の場所に遷ったらしい。本当か知らないけど・・・。京都の阿弥陀ヶ峰には豊臣秀吉の墓所の豊国廟があるらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、明治天皇の墓所は京都にある伏見桃山陵らしいけど、豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地にあるらしい。本当に明治天皇の墓所か知らないけど・・・。
 
 伏見桃山陵ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

NINGEN ISU / Blasphemy (LIVE) 〔人間椅子/瀆神・ライブ映像〕

2024-07-24 20:25:59 | youtube
NINGEN ISU / Blasphemy (LIVE) 〔人間椅子/瀆神・ライブ映像〕

日光

2024-07-24 20:14:56 | 日記
 音楽不毛の地、岩手県奥州市。
 
 ウィキペディアのフリーメイソンのところに日本のボーイスカウトとあって、少年団日本連盟の初代総裁の後藤新平はフリーメイソンと載ってる。大正11年(1922年)に少年団日本連盟ができたようだ。後藤新平が本当に岩手県奥州市の水沢の出身か知らないけど・・・。
 
 昭和24年(1949年)に財団法人ボーイスカウト日本連盟ができたみたいだけど、三島通陽という人は昭和26年(1951年)にボーイスカウト日本連盟の4代目の総長になったようだ。三島通陽は太平洋戦争の後に日本でボーイスカウト運動を広めた人で、三島通陽もフリーメイソンに入会したようだ。三島通陽はボーイスカウト日本連盟の前身の少年団日本連盟の設立当初から関わってるらしく、少年団日本連盟の初代副理事長らしい。
 
 二荒芳徳という人は少年団日本連盟の初代理事長で、太平洋戦争の後にボーイスカウト日本連盟の顧問と総コミッショナーに就任したようだ。二荒芳徳は愛媛県にあった宇和島藩の最後の藩主の伊達宗徳の息子らしいけど、北白川宮能久親王の息子の二荒芳之の養子になって明治42年(1909年)に家督を継ぎ、大正4年(1915年)に北白川宮能久親王の娘と結婚したらしい。二荒芳徳は昭和42年(1967年)に亡くなったらしい。
 
 江戸時代は輪王寺宮という役職の人がいて、輪王寺の門跡と寛永寺の貫主を兼務し、天台座主にも就いていたらしい。北白川宮能久親王は最後の輪王寺宮で、天台座主には就かなかったみたいだけど、戊辰戦争の時に奥羽越列藩同盟の盟主になったらしい。本当か知らないけど・・・。明治維新の後に還俗して北白川宮を継いで北白川宮能久親王になったようだ。
 
 北白川宮能久親王は陸軍の軍人で、日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、明治28年(1895年)に北白川宮能久親王は日清戦争の後の台湾に出征して、マラリアにかかって台湾で亡くなったらしい。
 
 北白川宮能久親王には妻が何人もいたようだけど、愛媛県にあった宇和島藩の最後の藩主の伊達宗徳の娘は北白川宮能久親王の妻になって、北白川宮能久王と伊達宗徳の娘の息子の北白川宮成久王が北白川宮家を継いだようだ。白川宮成久王は大正12年(1923年)にフランスに留学中に車を運転していて事故で亡くなったらしい。
 
 次の北白川宮家の北白川宮永久王は北白川宮成久王の息子で、北白川宮永久王は陸軍の軍人で、昭和15年(1940年)に訓練中に不時着してきた飛行機がぶつかってきて亡くなったらしい。
 
 次の北白川宮家の北白川宮道久王は北白川宮永久王の息子で、北白川宮道久王の時に皇籍離脱して北白川道久を名乗ったようだ。北白川道久は平成13年(2001年)から平成19年(2007年)まで伊勢神宮の大宮司を務め、平成23年(2011年)から平成30年(2018年)まで神社本庁の統理を務め、日本会議の顧問も務めたようだ。北白川道久は平成30年(2018年)に亡くなったらしい。
 
 栃木県日光市にある日光東照宮と日光二荒山神社と輪王寺は江戸時代は一緒になってたようだけど、本当か知らない。輪王寺の山号は日光山のようだ。輪王寺には徳川幕府の3代目の将軍の徳川家光の墓所の大猷院があるらしいけど、ここが明治天皇の墓所の気がしたんだけど、まったく自信が無いなあ。
 
 日光二荒山神社では大己貴命と田心姫とアジスキタカヒコネを祀ってるらしい。大国主と大己貴命は違う気がするけど、大国主と大物主も違う気がする。
 
 日光二荒山神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

日光

2024-07-24 20:02:28 | 日記
 疲れたなあ。音楽禁止令でも出てるんだろうか?、岩手県奥州市は。
 
 山本五十六という人は海軍の軍人で、太平洋戦争の開戦時の海軍の連合艦隊司令長官で、真珠湾攻撃を作戦実行した人らしいけど、太平洋戦争の戦時中の昭和18年(1943年)に飛行機で視察していたところをアメリカの戦闘機に撃墜されて亡くなったらしい。
 
 山本五十六は新潟県の古志郡の生まれらしい。山本五十六は新潟県にあった長岡藩の藩士の息子で、高野家の生まれで、大正4年(1915年)に山本家に養子に入ったらしい。長岡藩の藩主だった牧野氏の牧野忠篤が戊辰戦争で亡くなった山本義路という人の山本家を継がせたようだ。山本義路は山本帯刀ともいわれるらしい。山本五十六は高野貞吉という人の息子らしい。高野貞吉は大正2年(1913年)に亡くなったらしい。
 
 山本義路は会津若松で新政府軍に加わってた宇都宮藩と戦って亡くなったらしい。栃木県宇都宮市に六道辻というところがあるらしく、戊辰之役戦死墓があるらしい。ウィキペディアに戊辰之役戦死墓のことが載ってる。山本義路の刀は宇都宮二荒山神社に納められ、昭和14年(1939年)に栃木県護国神社に移されたらしい。
 
 江戸時代の藩も怪しいし、戊辰戦争の話も嘘の気がするけどなあ。
 
 宇都宮市にある宇都宮二荒山神社では豊城入彦命を祀ってるらしい。豊城入彦命は崇神天皇の息子で、妹に豊鋤入姫がいて、豊城入彦命は東国を開拓したことになってるらしい。豊城入彦命は上毛野氏と下毛野氏の祖ということになってるらしいけど、群馬県と栃木県は昔は上野国と下野国で、群馬県は今でも上毛というらしく、群馬県と栃木県を合わせて両毛というらしい。いいんでしょうか?、これで。
 
 栃木県日光市にある日光東照宮と日光二荒山神社と輪王寺は江戸時代は一緒になってたようだけど、本当か知らない。輪王寺の山号は日光山のようだ。輪王寺には徳川幕府の3代目の将軍の徳川家光の墓所の大猷院があるらしいけど、ここが明治天皇の墓所の気がしたんだけど、まったく自信が無いなあ。
 
 日光二荒山神社では大己貴命と田心姫とアジスキタカヒコネを祀ってるらしい。大国主と大己貴命は違う気がするけど、大国主と大物主も違う気がする。
 
 日光二荒山神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか