東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

八木

2023-10-29 23:42:12 | 日記
 右腕が肩から痛い。それに、集団暴行を受けてるみたいで怖いなあ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。安倍氏の棟梁は安倍貞任で、安倍貞任は盛岡にあった厨川柵にいて、厨川次郎といわれるらしい。
 
 京都府南丹市八木町にある船井神社には安倍貞任の腕を祀る腕守社があるらしく、安倍貞任の腕を埋めたといわれる五輪塔があるらしい。船井神社のHPを見ると、岩手県で討たれた安倍貞任の遺体は京都に運ばれ、陰陽師の進言で有頭というところに埋められたらしい。京都市右京区の下宇津というところの辺りに埋められたことになってるようだ。安倍貞任は何度も生き返り、祟ったので、バラバラにして数ヶ所に埋められたらしい。下宇津周辺には安倍貞任の遺体が埋められたといわれる場所が何ヶ所かあるらしい。安倍貞任の頭は南丹市にある久留守神社に埋められたらしい。祟りを鎮めるために安倍貞任の霊は下宇津八幡宮に祀られたらしい。
 
 安倍貞任伝説も作り話の気がするけど、本当に腕を埋めて封じ込めてる気がするんだよなあ。右腕が肩の付け根の辺りから痛くなってくるんだけど、頭を殴られてるような頭痛がしてくるしさあ。
 
 船井神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

華厳宗

2023-10-29 23:40:15 | 日記
 日本の歴史は嘘の気がするけど、なんか、凄いよなあ。中国の三大宗教は儒教と道教と仏教らしい。
 
 奈良県桜井市の阿部というところに安倍文珠院があるらしいけど、安倍文珠院は華厳宗の寺らしく、華厳宗の寺の東大寺の別格本山らしい。安倍文珠院のHPに、そう載ってる。安倍文珠院は安倍倉梯麻呂が安倍氏の氏寺として創建した安倍山崇敬寺(安倍寺)が始まりらしい。安倍文珠院には安倍仲麻呂像と安倍晴明像があるらしく、安倍仲麻呂と安倍晴明は奈良県桜井市の出身ということになってるらしい。
 
 奈良県奈良市にある東大寺は華厳宗の寺で、東大寺は金光明四天王護国之寺というらしい。ウィキペディアの東大寺の歴史のところを見ると、東大寺は明治19年(1886年)に華厳宗の寺になったらしい。本当か知らないけど・・・。明治時代には大仏殿の修理が行われたようだ。
 
 東大寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

真言宗

2023-10-29 23:38:32 | 日記
 真言宗が今のようになったのも明治以降の気がするけど、仁和寺の僧が関わってるんだろうか?って何度も書いてるんだけどなあ。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、その中にもいろんな宗派があるけど、政府からの通達で明治12年(1879年)に真言宗として統一されたらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。明治28年(1895年)に真言律宗の独立が認められ、明治33年(1900年)に真言宗の他の宗派も相次いで独立が認められたようだ。日中戦争の頃の昭和16年(1941年)に政府の宗教政策で真言宗は合同して大真言宗が成立したらしいけど、戦後に大真言宗から独立して今のような真言宗の宗派になったようだ。
 
 新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁を中興の祖としているらしい。真言宗智山派と真言宗豊山派は新義真言宗、新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁の御廟があるらしい。
 
 覚鑁は佐賀県鹿島市の出身ということになってるらしく、鹿島市に誕生院という寺があって、覚鑁の生誕地に創建された寺らしい。誕生院は大正2年(1913年)に鹿島藩の最後の藩主の鍋島直彬が再興したらしい。鹿島藩の鍋島氏は鍋島直彬の次は鍋島直大の息子の鍋島直縄が継いだようだ。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようだ。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海の御廟のようだ。空海は佐伯氏の出身で、幼名は佐伯真魚というらしい。
 
 空海が高野山の奥の院で生きているという信仰を入定信仰というらしい。高野山の奥の院には、毎日、空海のために食事と服が運ばれてるらしい。詳しいことは知らないけど・・・。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2023-10-29 23:36:00 | 日記
 真言宗が今のようになったのも明治以降の気がするけど、仁和寺の僧が関わってるんだろうか?って何度も書いてるんだけどなあ。
 
 京都にある仁和寺は真言宗御室派の総本山で、仁和寺は明治時代の前は皇族の人が出家して住職を務める門跡寺院ということになってるみたいだけど、昭和天皇は太平洋戦争の後に出家して仁和寺の門跡に入る話もあったようだ。
 
 明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。泉智等という僧は高野山で学び、明治33年(1900年)から明治39年(1906年)まで仁和寺の門跡を務めていたようだ。泉智等は明治41年(1908年)に江戸時代の天皇の菩提寺の泉涌寺の長老になり、大正12年(1923年)に高野派の管長と金剛峰寺の座主に就き、大正13年(1924年)に真言宗連合総裁に就いたようだ。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は明治26年(1893年)にシカゴで開かれた万国宗教会議に日本の代表として行ってきたらしい。土宜法龍は西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたらしい。土宜法龍は明治39年(1906年)から大正9年(1920年)まで仁和寺の門跡を務めていたようだ。土宜法龍も金剛峰寺の座主を務めたようだけど、土宜法龍の次の次の金剛峰寺の座主が泉智等らしい。土宜法龍も真言宗連合総裁を務めたようだ。土宜法龍は南方熊楠と往復の書簡をずっと続けていたようだ。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

醍醐

2023-10-29 23:34:59 | 日記
 ほら貝ですか・・・。
 
 江戸時代の修験道は統制されていたらしいけど、真言系の修験道の当山派の総本山は京都にある醍醐寺の三宝院というところだったらしい。本当か知らない。醍醐寺は平安時代に醍醐天皇の勅願で聖宝という僧が創建したことになっていて、聖宝は当山派の開祖とされていたらしい。醍醐寺は今は真言宗醍醐派の総本山らしい。
 
 醍醐寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか