東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

キリスト教

2021-11-13 23:26:10 | 日記
 ナポリタンですか・・・。
 
 李氏朝鮮では1866年には丙寅教獄という大規模なキリスト教の弾圧があって、フランス人の神父と8000人近い信者が虐殺されたみたいです。その後にフランスと李氏朝鮮で戦争が起こったみたいです。ウィキペディアに、そう載ってる。李氏朝鮮にもパリ外国宣教会が来てたみたいだ。
 
 長崎県長崎市にある大浦天主堂は元治元年(1864年)に建てられ、次の年に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れたようだ。信徒発見というみたいです。明治維新の後も、日本では、しばらくキリスト教は禁教だったようだけど、明治6年(1873年)にキリスト教の禁教が解かれたみたいです。
 
 日本にはカトリックの中のパリ外国宣教会というところが来てたみたいだけど、李氏朝鮮にもパリ外国宣教会が来てたみたいです。
 
 ウィキペディアで調べると、日本でのカトリックの布教は明治維新の後もパリ外国宣教会の独占状態だったらしく、日露戦争の後の明治38年(1905年)にローマ教皇から明治天皇に文書が送られ、他の修道会も日本に来るようになったみたいです。
 
 島原の乱は寛永14年(1637年)から寛永15年(1638年)にあって、島原の乱から200年以上経って、元治2年(1865年)に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れて信徒発見ということになってるみたいです。
 
 カトリックは分派が無くて、カトリックの中に~会という修道会が幾つもあるみたいです。カトリックの総本山はバチカンにあるサン・ピエトロ大聖堂で、ローマ教皇が最高権威者でいいんでしょうか?。今のローマ教皇はイエズス会の人のようです。
 
 キリスト教ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

韓国

2021-11-13 23:13:32 | 日記
 イタリアですか・・・。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。高野山の奥の院は真言宗の開祖の空海上人の御廟のようです。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているようです。覚鑁上人は佐賀県鹿島市の出身らしく、鹿島市に誕生院という寺があって、覚鑁上人の生誕地に創建された寺らしい。誕生院は大正時代に鹿島藩の最後の藩主だった鍋島直彬が再興したらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、鹿島藩の鍋島氏は鍋島直彬の次は佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の息子が継いでるようだ。
 
 鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性はイタリアの都で生まれたので伊都子と名付けられたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大は佐賀の乱の頃はイギリス留学していて、明治11年(1878年)に帰国したようだ。鍋島直大は明治13年(1880年)には公使としてイタリアに住んで、明治15年(1882年)に帰国したようだ。その後は元老院議官や宮中顧問官などを務め、日本の近代化政策に関わったようだ。鍋島直大は皇典講究所の3代目の副総裁で4代目の所長らしい。
 
 鍋島直大の妻は鍋島榮子という女性で、広橋家の出身らしい。広橋賢光という人と藤波言忠という人は鍋島榮子の兄弟らしい。
 
 藤波言忠は広橋家から藤波家に養子にいったみたいだけど、藤波家は江戸時代は伊勢神宮の祭主を務めていたようだ。本当か知らない。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになって、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王は鍋島直大の娘の鍋島伊都子を妻にしたようだ。梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦前の伊勢神宮の祭主らしい。梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に李氏朝鮮は清から独立して大韓帝国になったみたいです。明治43年(1910年)に大韓帝国は日本に併合されて無くなり、昭和20年(1945年)まで日韓併合が続いたみたいです。
 
 太平洋戦争の後の1948年に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言されたようだけど、1950年に朝鮮戦争が勃発し、1953年に停戦になって今まで続いてるみたいです。
 
 韓国ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

真言宗

2021-11-13 23:05:17 | 日記
 真言宗でも、智山派と豊山派は無難、高野山真言宗は半信半疑、古義真言宗は近付かないほうがいい。あくまでも、俺の個人的な感想です。
 
 真言宗は大きく分けて古義真言宗と新義真言宗があって、真言宗智山派と真言宗豊山派は新義真言宗、新義真言宗の中に新義真言宗という宗派があって、和歌山県岩出市にある根来寺は新義真言宗の総本山で、根来寺には覚鑁上人の廟所があるみたいです。
 
 新義真言宗では興教大師といわれる覚鑁上人を中興の祖としているようです。覚鑁上人は佐賀県鹿島市の出身らしく、鹿島市に誕生院という寺があって、覚鑁上人の生誕地に創建された寺らしい。誕生院は大正時代に鹿島藩の最後の藩主だった鍋島直彬が再興したらしい。
 
 ウィキペディアで調べると、鹿島藩の鍋島氏は鍋島直彬の次は佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の息子が継いでるようだ。
 
 和歌山県伊都郡高野町に金剛峰寺があって、金剛峰寺は高野山真言宗の総本山のようです。高野山の奥の院は空海上人の御廟のようです。
 
 金剛峰寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

醍醐

2021-11-13 23:01:42 | 日記
 ほら吹きですか・・・。
 
 京都にある醍醐寺の三宝院というところは江戸時代の真言系の修験道の当山派の総本山だったらしい。醍醐寺は平安時代に醍醐天皇の勅願で聖宝という僧が創建したことになっていて、聖宝は当山派の開祖とされていたみたいです。醍醐寺は今は真言宗醍醐派の総本山のようです。
 
 延喜式は平安時代の中頃に醍醐天皇の命で編纂されたことになってるみたいだけど、延喜式の神名帳に載ってる神社を式内社というそうです。
 
 醍醐寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

御室

2021-11-13 22:50:19 | 日記
 助さんですか・・・。
 
 滋賀県近江八幡市にある沙沙貴神社は近江源氏の佐々木氏の神社らしい。沙沙貴神社では少彦名命と大彦命と仁徳天皇と宇多天皇と敦実親王を祀ってるみたいです。敦実親王は宇多天皇の息子で、近江源氏の祖先のようです。本当にいた人か知りませんけど・・・。
 
 宇多天皇を祖先とする源氏は宇多源氏というらしく、近江源氏ともいうみたいです。宇多天皇は出家して法皇になったことになってるらしく、京都にある真言宗御室派の寺の仁和寺は平安時代に宇多天皇が創建したことになってるみたいです。
 
 明治以降の仁和寺の門跡はウィキペディアに載ってる。
 
 釈雲照という僧は高野山で密教を学び、戒律の仏教を提唱したようだ。釈雲照は十善会という会を発足したようです。
 
 次の仁和寺の門跡の泉智等という僧は真言宗の布教のために日本各地を巡り、仁和寺の門跡になり、高野山派管長や金剛峰寺の座主も務め、真言宗連合総裁を務めたようです。
 
 次の仁和寺の門跡の土宜法龍という僧は釈雲照を補佐し、十善会には山岡鉄舟や久邇宮朝彦親王や小松宮彰仁親王も教えを受けに行ったようだ。土宜法龍はシカゴで行われた万国宗教会議に日本代表として行ったり、西域やチベットを旅行して密教学研究の基礎を築いたみたいです。土宜法龍は仁和寺の門跡や真言宗御室派の管長や高野山真言宗の管長や真言宗連合総裁を務めたようです。
 
 仁和寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか