東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

熊本

2021-05-16 20:33:45 | 日記
 自分たちの手を汚さずに、異民族や少数派の人たちを利用するっていうのが、あの人たちのやり方なんだろうか?。どっかでは自分たちでどんどんやってるみたいだけど。
 
 熊本県八代市にある八代神社は日本三大妙見といわれるようだけど、八代神社にある霊符神社は鎮宅霊符神の総本社らしい。
 
 道教の御札をグーグル検索すると、いろいろ出てくる。鎮宅霊符神の御札は、真中に鎮宅霊符神が武神のような存在を両隣に従えていて、その上に北斗七星が八卦のようなものに囲まれてある。鎮宅霊符神の周りには道教の御札なのか、意味不明な図形のような絵のようなものがたくさんある。鎮宅霊符神と北辰妙見菩薩は同じということになってるみたいです。
 
 中国の道教では北極星は北辰といって神格化されて天皇大帝というようです。北斗七星は神格化されて北斗真君というようです。詳しく知らないんですけど・・・。
 
 八代神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

妙見

2021-05-16 20:27:04 | 日記
 話を整理したつもりが、あんまり整理できてないなあ。
 
 福島県にあった相馬藩の最後の藩主の相馬誠胤は明治維新の後に精神の病を発症し、自宅監禁されたみたいです。相馬家が不当に監禁としてるということで裁判になったらしく、相馬事件というみたいです。相馬事件には後藤新平も関わってるみたいです。
 
 山形県にあった天童藩の最後の藩主は織田信敏で、次の織田氏の織田信恒は相馬藩から来た人で、相馬藩の最後の藩主の相馬誠胤の息子らしい。織田信恒は「正チャンの冒険」という新聞に掲載されてた4コマ漫画の原作と文章を担当したようだ。織田信恒も政治の世界に進み、太平洋戦争の後は各種業界団体の要職に就いてたみたいです。
 
 山形県天童市に織田信長を祀る建勲神社があって、行ったことあります。ウィキペディアで調べると、天童市の建勲神社は天童藩の最後の藩主の織田信敏が東京の邸宅に織田社を祀って、明治2年(1869年)に神祇官から織田社に健織田社という神号が与えられ、明治3年(1870年)に天童市に祀られて建勲社になったみたいです。
 
 京都の船岡山にある建勲神社は明治13年(1880年)に東京から遷され、明治43年(1910年)に船岡山の今の場所に社殿が建てられたみたいです。
 
 京都の建勲神社には船岡妙見社があるようだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 北辰妙見菩薩ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

神道

2021-05-16 20:14:23 | 日記
 話が混乱してきたなあ、また。ちょっと整理するか。
 
 福島県にあった相馬藩の最後の藩主の相馬誠胤は明治維新の後に精神の病を発症し、自宅監禁されたみたいです。相馬家が不当に監禁としてるということで裁判になったらしく、相馬事件というみたいです。相馬事件には後藤新平も関わってるみたいです。
 
 ウィキペディアで調べると、相馬誠胤は明治9年頃から精神の調子を崩し、明治10年に座敷牢に閉じ込められるようになったみたいです。明治12年には宮内庁から相馬誠胤の自宅監禁の許可が出たみたいです。相馬藩の元藩士だった人が相馬誠胤が不当に監禁されてるとして相馬誠胤を連れだしたり、裁判で訴えたようだけど、相馬誠胤は明治25年に亡くなったみたいです。
 
 相馬事件には政治家の人たちや当時の精神医学の権威みたいな人たちも関わり、後藤新平は連れ出された相馬誠胤を匿ったみたいです。相馬事件について書いた本は当時のベストセラーになり、新聞や雑誌に取り上げられたり、芝居になったり舞台化されて、錦絵にも描かれたみたいです。
 
 相馬氏は平将門の子孫ということになってるようだけど、相馬氏の紋には繋ぎ馬という紋もあるようだ。
 
 大正12年(1923年)に関東大震災があって、その後に将門塚の周辺に大蔵省の仮庁舎を建てることになったらしい。その時に工事関係者や省の職員に不審死が相次ぎ、平将門の祟りと怖れられるようになったようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 昭和2年(1927年)に将門鎮魂碑が建てられ、神田明神の宮司が祭主となって将門鎮魂祭が執り行われたようだ。
 
 江戸時代の国学者の平田篤胤は復古神道を成立させたみたいだけど、平田篤胤は秋田県にあった久保田藩の出身らしく、ウィキペディアで調べると、平田篤胤が開いた気吹舎という私塾が明治9年(1876年)まで続いていたようです。
 
 平田篤胤は平将門の子孫ということになってるようだけど、東京にある神田明神には平田篤胤が祀ったといわれる平将門像があるみたいです。平田篤胤の子孫は神田明神の宮司だったらしい。
 
 平将門の話も嘘の気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 明治維新の後に神道が日本の宗教になるように宣言されたみたいだけど、ウィキペディアの神祇官のところを見ると、平田篤胤の平田派の国学者ではなく、島根県にあった津和野藩にいた国学者の人たちが主導したみたいに載ってる。
 
 神道ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

身延

2021-05-16 20:06:31 | 日記
 イスラエルも凄いことになってきたなあ。
 
 南部氏は鎌倉時代に東北に来たことになっていて、本家の南部氏は青森県の南部町にいたらしい。南部氏は東北に来る前は山梨県にいたことになっていて、山梨県の南部町が南部氏の発祥の地らしい。本当か知らない。
 
 南部実長という人は佐渡に流されて帰って来た日蓮を自分の領地に迎えたらしく、南部氏の領地だった場所に創建された寺が日蓮宗の総本山の山梨県南巨摩郡身延町にある身延山久遠寺ということになっているらしい。
 
 法華経そのものは昔からある経典みたいだし、他の宗派でも読まれてるみたいだけど、日蓮の話も嘘の気がするけど、南無妙法蓮華経の人たちは本当に気持ち悪いなあ。
 
 身延山久遠寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

赤十字

2021-05-16 19:58:14 | 日記
 火の無いところに煙は立たぬというけど、マスコミの人たちは火が無かったら自分たちで点けちゃう人たちでしょ?。それで不安や対立を煽ったりしてさあ。
 
 岩手県奥州市の水沢の出身の医者で政治家の後藤新平はボーイスカウト日本連盟の初代総長らしい。新幹線の水沢江刺駅には後藤新平と少年の像がある。
 
 ボーイスカウトはフリーメイソンと関係あるらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 日本赤十字社の創始者の佐野常民という人は佐賀藩の出身らしい、佐野常民の息子の佐野常羽はボーイスカウトに関わってたようだ。佐野常羽の息子の佐野常光は一条家から来た人で、一条実輝の息子らしい。
 
 南部利英という人は一条実輝の息子のようだけど、今の南部氏は一条氏から来た人の系統で続いてるようだ。南部氏の人は日本赤十字社やボーイスカウトに関わってるみたいだし、岩手県の各種団体の要職も務めてるようだ。
 
 明治天皇の皇后の昭憲皇太后は一条家の出身のようだけど、日本赤十字社の初代の名誉総裁らしく、今の皇后の雅子さんが今の日本赤十字社の名誉総裁らしい。ウィキペディアで調べると、小松宮彰仁親王が初代名誉総裁と書いてあったり、昭和天皇の皇后の香淳皇后が初代名誉総裁とも載ってるけど、詳しいことが、わからない。
 
 近衛家は細川氏の人が継いでいて、日本の総理大臣にもなった細川護熙という人の兄弟みたいだけど、ウィキペディアを見ると、今の近衛家の人は日本赤十字社の社長を務め、今は名誉社長なんだろうか?。国際赤十字赤新月社連盟という国際機関の会長も務めたようだ。
 
 日本赤十字社のもとになった博愛社の創設の目的は西南戦争の時に敵味方関係無く医療に当たるみたいなことだったみたいだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 日本赤十字社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか