日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

アサヒビールの古いポスター(^^♪東洋初のビール醸造工場は吹田に…

2016年02月07日 16時04分31秒 | 雑記帳

久しぶりの朝寝坊、日が昇って起きた朝、くもり のち 晴れ、北の風やや強く、最高気温9℃(-1)、洗濯指数は60、乾きは遅いけどじっくり干そう、との予報、時々陽射しがあるのですが、雲が多く、冷たい風が吹き寒い一日となった大阪。

ウォーキングは今日も休養日、少し買い物に行くのに遠回りしただけで、5000歩には達しませんでした。

今日の1枚の写真は、四天王寺夕陽ケ丘の食堂で見つけた、アサヒビールの古いポスターです。
前身の大阪麦酒の名前が入っていたので、お店の人にお願いして写真を撮らせてもらいました。

 醸造所 大阪府嶋下郡吹田村 大阪麦酒会社
 出張所 同市東区高麗橋二丁目
 販売所 全国至ル所ニ設ケ置キ候也
と書かれています。
この絵は、天岩戸が開かれて、太陽(旭)が輝く様子を表しているのでしょうか。

朝日麦酒㈱の前身である大阪麦酒会社は、明治22年(1889)11月に大阪市で設立されました。
その後、明治24年(1891)、大阪府島下郡吹田村(現・吹田市)に「吹田村醸造所」が竣工しています。

アサヒビール吹田工場は、明治24年(1891年)、有限責任大阪麥酒会社吹田村醸造所として竣工しました。
創立委員の一人が自身の出身地になぜ工場を造らなかったかと問われたとき、「水質や鉄道を考えたからです。」と答えたという話があります。
良質な水を確保できるという環境と交通の要地であるという条件がビール工場建設用地選定に大きく関与したことがわかり、ビール醸造という近代産業が立地する条件に吹田がいかに適応した地であったかを示しているといえるでしょう。

吹田は、大正12年(1923)には、当時の国鉄吹田操車場が開業し、大正から昭和にかけて「ビールと操車場の町」といわれるようになりました。

また、吹田市は、水と深いつながりがあります。縄文時代に、現在の大阪平野が河内湾であった頃、海沿いであったことを表す高浜、港を表す「津」がつく豊津などの地名が今に残っています。
万葉集にも詠まれた滝のある垂水神社、地下水がビールの醸造に適しているとされ、アサヒビールが工場を建設したという泉殿宮(いづどのぐう)の逸話があります。

社名の由来でもある泉殿宮霊泉跡が境内にあります。
明治22年(西暦1889年)、この「泉殿霊泉」をドイツのミュンヘンに送ってビール醸造に最適との保証を得て、当宮隣接地に同水系の湧水を以って、東洋初のビール醸造工場(現、アサヒビール㈱吹田工場)を建設したとの逸話があります。

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明日2月8日(庚申 かのえさる 先勝)はこんな日です。
●「春節(旧元日)」
 春節は旧暦(農暦)の新年であり、中国ではもっとも古い伝統的な祭日です。
 春節は歴史が古く、中国古代の商の時代(紀元前1600年)の年末年始に神や祖先を祭ることに由来するといわれます。
 大晦日の夜は、一家だんらんの大切な時で、一家の人たちがすべて集まって年越しのごちそう「年夜飯」に舌つづみを打ちます。一晩中一睡もせず新年を迎える人も多く、これを「守歳」と呼びます。また、堤灯をつるし、五色の布を飾り、街中のあちこちで爆竹を鳴らし、花火を打ち上げ、旧正月を祝います。

●「ギョーザの日」
 冷凍ギョーザを販売する味の素冷凍食品株式会社がこの日にギョーザを大いに食べて、その美味しさをもっと知ってもらおうと制定しました。
 日付はギョーザの生まれ故郷である中国では縁起の良い食べ物として、旧正月にギョーザを食べる習慣があることからです。

●「めかぶの日」
 2月あたりから収穫される“めかぶ”。旬の“めかぶ”を食べて健康と長寿を願おうと、福岡県の水産会社が制定しました。
 旧暦の元旦としたのは、旬を迎えたことと、福岡県北九州市の関門海峡にある和布刈(めかり)神社で1300年以上続く和布刈神事が旧暦の元日に行われることにもよります。
 めかぶとはわかめの根に近い生殖器にあたり、栄養素が豊富に含まれています。ヘルシーな海藻のめかぶを食べてこの1年の健康と長寿を願う日でもあります。

●「針供養」
 裁縫を1日慎み、古い糸や錆びた針、折れた針を豆腐やこんにゃくに刺して川や海に流したり、折れた針を紙に包み、神社に納めて折れた針を供養し、針仕事の上達を祈ります。
 昔の針仕事は、女性にとっての重要な仕事でした。 だからこそ、折れた針を供養したり、普段固いものばかり刺しているからと、やわらかい蒟蒻や豆腐に刺して休ませてあげたのですね。
 また針供養は、奈良時代の貴族、吉備真備が刺繍裁縫の技術を中国から持ち帰ったといわれる故事により、 2月8日、針の供養を行ったのが由来とされています。
 関西や九州では、12月8日に行うところもありますが、現在は針を持つ職業の人が少なくなって盛大には行なわれてはいないようです。

●「〒マークの日」
 1887(明治20)年、逓信省(後の郵政省、現在の現在のJP日本郵便)のマークが逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「丁」に決定しました。
 しかし、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、6日後の14日に、「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」の誤字だったことにして変更しました。

●「ロカビリーの日」
 1958(昭和33)年、有楽町の日劇でウェスタンカーニバルが開かれました。

●「御事始め」
 その年の農事など雑事を始める日です。12月8日はこれを終えるということから「事納め」といいます。
 江戸時代には12月8日に正月の儀式を始めるのを「事始め」とし、2月8日に正月の儀式を終えることを「事納め」と称していました。
 御事始め日には、味噌に芋、大根、牛蒡、豆腐、小豆などを入れた「御事汁(おことじる)」を食べたそうです。

●「二葉・双葉の日」
 「ふたば(二葉・双葉)」は立春を過ぎて植物が芽を出す際の最初の葉であるとともに、物事の始めという意味を持ち、生命力、希望、契機となることなどを表します。
 「二葉・双葉」に思いを寄せる俳人で植物研究家の野川美渦(のがわみうず)氏が制定しました。
 「二葉・双葉」を季語とした句会などを行います。日付は季節感と2と8で「二葉・双葉」と読む語呂合わせから。

●毎月8日は、「薬師如来の縁日」「果物の日」「米の日」「歯ブラシの交換日」「「因幡薬師の手作り市」」です。

●「因幡薬師の手作り市」
 平等寺(通称:因幡薬師) (びょうどうじ いなばやくし)は、下京区の烏丸高辻の交差点を下がったところにある小さなお寺です。
 その歴史は古く、長徳3年(997)、因幡(現在の鳥取県)国司・橘行平(たちばなゆきひら)が、任を終えて帰京の途中、夢のお告げに従って因幡賀留津(がるつ)の海中から引き揚げ、安置しておいた薬師如来像が、行平のあとを追って京都に飛来したといわれ、長保5年(1003)、行平は自宅を改造してこれを祀ったと伝えられています。
 歴代の天皇も厄年には勅使を派遣し、祈祷をうけたという。建物は1886年(明治19)の再建で、本尊薬師如来像(重文)は幾度もの火災も免れ堂内に安置されている。日本三如来の一つ。毎月8日に手作り市及び手作りコンサート〈4月8日 オカリナ演奏)を開催。
 なんと京都市内のど真ん中、ホテルやビルが立ち並ぶ中で、毎月8日に「てづくり市」がこじんまりと催されているのです。
 ところ狭しと、手作りグッズがたくさん売られています。どこか懐かしい雰囲気のこの場所は、噂を聞きつけてやってくる人々をあたたかく迎え入れてくれます。
 噂によると、寺に泥棒が入ったことが、この手作り市をはじめるキッカケになったとか。『昔のように人が自然と集まるような賑やかさを取り戻せば、こんな物騒なことも無くなるかもしれませんね』という話になって、2001年に手作り市が実現して以来、少しずつ人が集まる場所として定着してきたそうです。
 平等寺 京都市下京区松原通烏丸東入上ル因幡堂町728 TEL075-351-7724              

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