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日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

高槻市立しろあと歴史館 収蔵品展(^^♪「見てみよう 文化財の裏側」【7月13日~9月1日】

2019年07月12日 14時50分02秒 | 三島地区の文化財
武具や陶磁器・古文書といった文化財のなかから、通常は見えない部分や、展示されることの少ない付属品・関連品に注目して、隠れた見どころを紹介します。また文化財の保存・収集・調査など、博物館の「舞台裏」も紹介します。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)8 最終回(^^♪高槻市大字二料小字鹿爪30にあるまちかど遺産「藤井神社の五輪塔」

2019年07月09日 15時00分05秒 | 三島地区の文化財
この先約700mにある藤井神社は、かつて鹿(から)爪(つめ)権現社とも称されました。権現とは、仏が神や人の姿で現れたものをいいます。江戸時代に揚げられていたという「鹿爪御本地佛(ごほんちぶつ)」と記された木札が、地元に伝わっています。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)7(^^♪高槻市大蔵司2丁目2番にあるまちかど遺産「神明池跡」

2019年07月05日 14時32分53秒 | 三島地区の文化財
ここは芥川の扇状地で、地下には北摂山地から伏流水が流れています。江戸時代、下手に位置する真上村は、農業用水として服部村大蔵寺(司)に井堰と3つの戸手(湧水池)がありました。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)6(^^♪高槻市真上町3丁目8番にあるまちかど遺産「安勝寺と地蔵伝承」

2019年06月28日 14時49分42秒 | 三島地区の文化財
この北の丘陵上には、かつて安勝(正・照・生・性)寺という寺院がありました。常に青い実をつける梅の木が境内にあったことから青梅寺とも称され、江戸時代の『摂津名所図会』にも紹介されましたが、明治3年(1870+B87)に廃寺となりました。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)5(^^♪高槻市真上町2丁目16番にある この付近、古地図との地形、道路、水路など、対比が出来る場所「真上大井手」です。

2019年06月26日 15時29分35秒 | 三島地区の文化財
この下を流れる水路は、かつて真上村の用水の一つで「真上大井手(おおいで)」と呼ばれました。芥川左岸の服部村大蔵寺(司)の井堰(いせき)からの用水と、神明池など3つの戸手(とで)(湧水池)を水源とする用水は、村境で合流し真上村の田畑を潤しました。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)4(^^♪高槻市三島江1丁目12番にある 商売繁盛などにご利益があるとされる毘沙門天を本尊とする神峯山寺への参詣道に、16基建立したうちの一番石「神峯山寺への道標」

2019年06月24日 14時48分59秒 | 三島地区の文化財
この道標は、柱本村出身で大坂の豪商・鴻池一族の養子となった赤松由(よし)永(なが)が、商売繁盛などにご利益があるとされる毘沙門天を本尊とする神峯山寺への参詣道に、享和元年(1801)から16基建立したうちの一番石です。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)3(^^♪高槻市富田町5丁目4番にある大正6年(1917)に地元の人々によって建てられた「富田東口を示す道標」

2019年06月22日 15時50分56秒 | 三島地区の文化財
大正6年(1917)に地元の人々によって建てられた道標です。当時東・西・南にはすでに道があり、北の駅前通りは大正13年(1924)の摂津富田駅開設に合わせて開通したもので、道標に刻まれた「開通」の意味は定かではありません。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)2(^^♪高槻市八幡町11番 「六口(ろっくち)」のうち南東の出入口に設けられた大塚口にある「是三寺前の道標」

2019年06月20日 14時48分02秒 | 三島地区の文化財
大阪府が各地に建てた道標の一つで正面左の枚方方面の地名に明治22年(1889)の合併で成立した「大冠(村)」の名があることから、それ以降の設置とわかります。枚方と西国街道の芥川を結ぶ道は、明治時代に「枚方街道」と呼ばれ、ここは枚方街道と富田・大阪方面の分岐にあたります。 . . . 本文を読む

高槻 まちかど遺産(平成30年度)1(^^♪高槻市京口町5番 西国街道と高槻城下を結ぶ「口」京口にある「円成寺前の道標」

2019年06月18日 14時38分36秒 | 三島地区の文化財
高槻の城下は、京口・前島口・大塚口・大坂口・富田口・芥川口の六つの「門」に囲まれていました。「高槻六口」と称される、これらの六つの門は、城下町と近隣村々とを区切る意味を持ちましたが、同時にこの門から続く道は、この時期、重要な交通路であった淀川や西国街道へつながり、人やモノが行き交う重要な「口」でもありました。西国街道と高槻城下を結ぶ「口」が京口です。 . . . 本文を読む

バックナンバー(^^♪隠れキリシタンの里を行く「茨木市立キリシタン遺物史料館」

2018年11月08日 15時28分40秒 | 三島地区の文化財
昭和62年(1987年)9月にオープンした茨木市立キリシタン遺物史料館は、「隠れキリシタンの里」として有名な千提寺にあります。茨木の山地部の千提寺や下音羽は、キリシタン大名として高名な高槻城主であった高山右近の領地であったことから、キリシタン宗が布教されました。しかし、豊臣秀吉はキリシタン宗の布教と信仰を厳禁し、徳川幕府もキリシタン禁教令を発布したため、信者らは隠れて信仰を続けました。この時信仰の対象となったものが、隠れキリシタンの遺物として、キリシタン遺物史料館に展示されています。 . . . 本文を読む