武具や陶磁器・古文書といった文化財のなかから、通常は見えない部分や、展示されることの少ない付属品・関連品に注目して、隠れた見どころを紹介します。また文化財の保存・収集・調査など、博物館の「舞台裏」も紹介します。 . . . 本文を読む
この先約700mにある藤井神社は、かつて鹿(から)爪(つめ)権現社とも称されました。権現とは、仏が神や人の姿で現れたものをいいます。江戸時代に揚げられていたという「鹿爪御本地佛(ごほんちぶつ)」と記された木札が、地元に伝わっています。 . . . 本文を読む
この北の丘陵上には、かつて安勝(正・照・生・性)寺という寺院がありました。常に青い実をつける梅の木が境内にあったことから青梅寺とも称され、江戸時代の『摂津名所図会』にも紹介されましたが、明治3年(1870+B87)に廃寺となりました。 . . . 本文を読む
この下を流れる水路は、かつて真上村の用水の一つで「真上大井手(おおいで)」と呼ばれました。芥川左岸の服部村大蔵寺(司)の井堰(いせき)からの用水と、神明池など3つの戸手(とで)(湧水池)を水源とする用水は、村境で合流し真上村の田畑を潤しました。 . . . 本文を読む
この道標は、柱本村出身で大坂の豪商・鴻池一族の養子となった赤松由(よし)永(なが)が、商売繁盛などにご利益があるとされる毘沙門天を本尊とする神峯山寺への参詣道に、享和元年(1801)から16基建立したうちの一番石です。 . . . 本文を読む
大正6年(1917)に地元の人々によって建てられた道標です。当時東・西・南にはすでに道があり、北の駅前通りは大正13年(1924)の摂津富田駅開設に合わせて開通したもので、道標に刻まれた「開通」の意味は定かではありません。 . . . 本文を読む
大阪府が各地に建てた道標の一つで正面左の枚方方面の地名に明治22年(1889)の合併で成立した「大冠(村)」の名があることから、それ以降の設置とわかります。枚方と西国街道の芥川を結ぶ道は、明治時代に「枚方街道」と呼ばれ、ここは枚方街道と富田・大阪方面の分岐にあたります。 . . . 本文を読む
高槻の城下は、京口・前島口・大塚口・大坂口・富田口・芥川口の六つの「門」に囲まれていました。「高槻六口」と称される、これらの六つの門は、城下町と近隣村々とを区切る意味を持ちましたが、同時にこの門から続く道は、この時期、重要な交通路であった淀川や西国街道へつながり、人やモノが行き交う重要な「口」でもありました。西国街道と高槻城下を結ぶ「口」が京口です。 . . . 本文を読む
昭和62年(1987年)9月にオープンした茨木市立キリシタン遺物史料館は、「隠れキリシタンの里」として有名な千提寺にあります。茨木の山地部の千提寺や下音羽は、キリシタン大名として高名な高槻城主であった高山右近の領地であったことから、キリシタン宗が布教されました。しかし、豊臣秀吉はキリシタン宗の布教と信仰を厳禁し、徳川幕府もキリシタン禁教令を発布したため、信者らは隠れて信仰を続けました。この時信仰の対象となったものが、隠れキリシタンの遺物として、キリシタン遺物史料館に展示されています。 . . . 本文を読む