こんなにも行事が多いのか。それに乗せられてか、忙しい日々を過ごしている。
土曜の午後は幼稚園の運動会、抜け出して町内の研修視察、翌日曜はもり案の研修会、そして「森で遊ぼう」は最終回で、
台風の近ずく明日が事前調査、週末の本番を控えて、町内役員会もあり、目白押しの日程だ。
《幼稚園運動会》
朝方から曇り空で磐梯山も雲の中、子どもたちの生長する姿を見つめた。
繰り返されるこの秋の行事、末娘の孫も加わり、にぎやかに応援した。
例年のごとく、裏の畑で年に一度の彼岸花を鑑賞、秋の深まりを感じた。
《町内会の研修視察》
ばーちゃんたちを残して、午後からの町内行事に参加した。
今年は大勢の参加を期待して市内の“御薬園”を計画したが、参加者は少しさびしい9名だった。
ボランティアガイドは思いがけない、町内顔見知りのOさん、ゆっくり園内を案内していただいた。
御薬園:国指定名勝 会津松平氏庭園 元禄9年(1696年)、正容が、園匠の目黒浄定を招き、小堀遠州の流れをくんだ本格的な回遊式の庭園に大改造したもの。
お茶屋御殿と楽寿亭
ミヤマアカネが
重陽閣は、勢津子妃殿下がご成婚の際にご一家で宿泊された東山温泉の別棟が昭和48年に移築された。
妃殿下の誕生日が9月9日であることから「重陽の節句」にちなみ、「重陽閣」と名付けれられたという。
何度か訪れた御薬園、初めての句碑に出会った。
篠田悌二郎の句碑
”磐梯は 遥けく青し 凌霄花”
凌霄花は「ノウゼンカズラ」、夏から秋にかけ美しい花をつけ、その鮮やかな色と夕べに落花する花は白虎隊に通じるものがあると言われている。
また、園内には昭和11年10月に御薬園を訪れた与謝野晶子の歌碑もある。
季節は秋、蓮の花が咲き終わり葉だけが残る静かな情景を歌に残した。
”秋風に
荷葉うらがれ 香を放つ
おん薬園の池をめぐれば”
また、Oさんの説明で、あの泣血氈が
会津藩の和人参を清国に輸出する商いを一手に引き受けていた長崎の豪商 足立仁十郎により献納されたと知った。
泣血氈:逆賊の汚名をきせられた無念さを忘れないため、家老秋月悌次郎が緋毛氈小さく切って藩士に渡したものといわれ、会津の人々の心に深く刻まれることとなった。
秋の庭園をゆっくり散策し、勢津子妃殿下ゆかりの重陽閣でおいしい紅茶とデザートを御馳走になった。