澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

北朝鮮水爆実験~ナショナリズムを封印するマスメディアの傲慢

2016年01月13日 01時46分38秒 | マスメディア

 北朝鮮が「水爆実験」を行ったことで、一時的に大騒ぎしたマスメディアだが、のど元過ぎればなんとか。今朝、ネット放送でケント・ギルバートが「北朝鮮の核問題は、SMAP解散などより一万倍も重要。なのに、大手マスメディアはこの問題に触れなくなった」と指摘していた。

 何年か前、拉致被害者救出の「国民集会」が東京で開かれ、一万人以上の参加者があったというのに、TV局は何も報道しなかった。その理由について、TBSは「ナショナリストの集会だったから」だと釈明したという。尖閣問題で在京中国大使館を取り囲んだ市民デモのときも、TV各社は全く報道しなかった。そのときは「日の丸が掲げられていたから」という理由だった。

 このことからわかるのは、大手マスメディアは「ナショナリズムを煽らない」のが社是になっているということだ。特に中韓両国に対しては、真っ当な反論さえ、「ナショナリズムを煽る」という理由を掲げて、手控えるらしい。
 ナショナリズムの定義は多義的なので、ここでは詮索しないが、最近読んだ本の中に興味深い、次のような記述を見つけた。  

 「権力を持った強いものには抵抗せず、保身のためには止めどもなく「へつらい」、「媚態」を示し、相手の好意を得ようとする、阿諛迎合する主体性の無い姿が現われる。そのくせ、自分が権力を持ち強いときには、弱者を苛め抜く。いじめが弱者へ、下へ下へと転化されていく天皇制の心理である。一貫した倫理的態度と節度がない体制追随主義である。」(佐藤公彦「中国の反外国主義とナショナリズム」p.321)

 これは、日中戦争にのめりこむ日本人の性格、心理を分析した文章だが、今でも基本的にはさほど変わっていないのかもしれない。だが、マスメディアのエリートさまたちが、こういった「高め目線」からわれら「愚民」のナショナリズムを煽らないとする資格はあるのだろうかと憤る。「権力を持った強いものには抵抗せず、保身のためには止めどもなく「へつらい」、「媚態」を示し、相手の好意を得ようとする」のは、あなた方の自画像そのものではないのかと。

 NHKが「北朝鮮の水爆実験をどう思うか」と世論調査したところ、半数が「脅威に思う」と応えたという。だが、調査はそこまで止まり。マスメディアが真にその役割を果たそうとするのなら、「それでは、日本も核武装すべきだと思いますか?」と質問しなければならないのだ。

 
 

 

 



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