澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

青山繁晴の画竜点睛を欠く歴史観

2016年01月15日 09時01分08秒 | マスメディア

 青山繁晴氏(㊑独立総合研究所所長)を「ネトウヨの神様」と呼ぶ人もいるらしい。だが、この人の発言は、一般のTV、ラジオでは忌避されてきた問題に果敢に踏み込むので、「ネトウヨ」だけでなく、私のようなオッサンでも大いに触発されることが多い。



 昨日(1月14日)放送の「虎の門ニュース」(下記の映像参照)では、青山繁晴氏が2016年の展望を語った。連合国が支配してきた戦後体制が瓦解する年であるとして、「敗戦国」たる日本は、新たな一歩を踏み出すべきだと主張する。
 そのこと自体には、全く異論はない。だがしかし、青山氏の歴史観には意図的な欠落がある。番組の冒頭で「今年は皇紀二千六百七十六年」といみじくも言ったように、青山氏は天皇制については全く無批判、手放しで受け入れている。「敗戦国」の屈辱を拭い去るには、天皇制の総括と、昭和天皇の戦争責任が議論されなければならないのに、そこは完全スルーなのだから、何をかいわんやだ。

 かのホリエモン(堀江貴文)は、大胆にも「天皇と大新聞だけが戦争責任をとっていない」と発言した。
 小森陽一・東大教授は自著「天皇の玉音放送」の中で、東京大空襲、沖縄戦、原爆投下があってもなお、「三種の神器」をどう守るかで頭がいっぱいだったという昭和天皇と、これを諌めることもできなかった側近の姿を批判的に描いている。また、昭和天皇の側近だった木戸幸一でさえ、その日記の中で「東京裁判後、陛下は自発的に退位されるだろう」と記した。
 
 数々の史料、記録が、昭和天皇の戦争責任を示唆しているのに、天皇は日本そのものだとすり替える青山氏。左翼でもなんでもない、普通のオッサンの私でも、青山氏の歴史観には到底ついていけない気がする。万が一、こんな「青山史観」が多数派になったら、この国はどこに暴走するのかと空恐ろしくなる。

 こう書いてしまうと、左翼のオッサンの繰り言みたいだが、決してそうではない。偽らざる本心なのでありますが…。 

 



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