澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

岸田文雄が首相になれた理由(わけ)

2023年09月01日 01時48分45秒 | 政治

 原稿丸読みで生気のないスピーチ、財務省のポチと言われる経済政策、外務大臣経験者とは思えない拙劣な対中韓外交…。岸田文雄首相を見ていると、なぜこんな人が総理大臣になったのかと思っていたが、下記の映像(35:00~ )を見て、その疑問が氷解した。

 岸田は首相就任時、「私は東大受験で二浪した」とわざわざ明かした。開成高校から早大法学部という経歴に「東大を目指して二浪した」というエピソードを加えたのは、岸田の周囲に東大法⇒財務省(大蔵省)の経歴を持つも親族が多いからだと言われた。また、ナベツネこと渡辺恒雄(読売新聞社主筆)には、共に開成卒業生という理由で特別の庇護を受けてきたとされる。

 だが、下記の映像で見城徹が興味深い事実を暴露?している。岸田の父親・岸田文武(1926-1992)は、渡辺恒雄(1926~ 読売新聞社代表取締役主筆)、氏家斎一郎(1926-2011 元日本テレビ会長)、堤清二(1927-2013 、元セゾングループ代表)と旧制東京高等学校の同期で、共に東京帝国大学に進んだ。この四人は、言わば「刎頸(ふんけい)の友」という関係だったらしい。四人の中で、岸田文武だけは衆議院議員在職中に65歳で死去。氏家と堤清二が80歳半ばで長寿を全うし、ナベツネに至っては今なお97歳で健在であることに比べれば、早逝という感じだった。親友の長男である岸田文雄を、ナベツネが「後見役」として公然とバックアップしたことは当然だったろう。

 つまり、岸田文雄という男は、父親が築いたネットワークに守られ、常に特別扱いされてきた凡人なのだ。安倍内閣で岸田は外務大臣という要職を務めた。これも、安倍首相がナベツネから頼まれたからだという「秘話」を知ってしまうと、ああ、やっぱりと思ってしまう。

 ここからは私見だが、開成高校から東大文一(法学部)を目指したという岸田は、なぜ二浪して早大法学部なのか? 裕福な岸田は、早稲田、慶応の各学部を好きな数だけ受験できたはず。なぜ二浪して早大法学部なのかといえば、一浪の時にも早慶の各学部を受験したが失敗、二浪の時ようやく早大法に補欠合格できたというあたりが真実なのだろう。東大を僅差で落ちる学力であれば、早大政経学部くらいは受かっていたはず。そう考えると、岸田の東大受験は、箔をつけるための記念受験。実は開成高校の「深海魚」(=落ちこぼれ)だったと思えてならない

 凡百のコネ男が首相になり、頼りにするのは内閣副官房長官・木原誠二だけ。岸田は、武蔵中・高⇒東大法学部⇒財務省という輝かしいキャリアの木原を部下にして、ささやかな優越感を感じたかったのかもしれない。だが、その木原も今や大スキャンダルの渦中に…。

 世襲政治を絶たない限り、この国はもうダメかも。

 

凋落する自民党…幹部らの腹の探り合い #見城徹 #佐藤尊徳 #井川意高



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