澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ジャニーズ問題~ジャニー喜多川と上智大学

2023年09月08日 03時55分14秒 | マスメディア

 「ジャニーズ問題」でNHKまでがマスメディアの責任を感じるとして「謝罪」めいたコメントを出した。2008年に週刊文春が、ジャニー喜多川による「性加害」(性犯罪)をスクープしたのに、新聞、TVの大手メディアはこれを黙殺した。今年になって、BBCがジャニー喜多川の性犯罪を報道し、さらに国連の人権委員会なるものに勧告されるに及んで、ようやく大手メディアも「保身」の報道を始めた。堀江貴文(ホリエモン)が指摘するように、東山某が社長になっても、ジャニーズ事務所の実態は変わらない。外国から見れば、性犯罪者が作った組織を温存させているとしか見えない。ジャニーズ事務所も大手メディアも事の重大さに気づいていない。

 私自身は、ジャニーズのことなど全く興味がないが、ひとつだけ気になったことがある。それは、ジャニー喜多川が「上智大学卒」だと自称していたこと。彼の経歴を見ると、米国からGHQ支配下の日本に戻り、何らかのツテで上智大学国際部に入学したらしい。そう聞いていたので、Wikipediaで確認してみた。

第二次世界大戦終結後、満年齢16歳であった1947年に子供達だけでロサンゼルスへ移動し[8]、現地の高校に入学した。高校時代にはロサンゼルスの「アーニー・パイル・シアター」にて、ミュージックメイカーのアシスタントとして、アルバイトを経験している[11][9]

ロサンゼルスの高校を卒業後、姉と同じロサンゼルス・シティー・カレッジ[11][注釈 2]に進学。

1950年美空ひばりが育ての親・川田晴久と共にアメリカ公演を行った[8]。そしてロサンゼルス公演の際、父が真宗大谷派東本願寺ロサンゼルス別院を会場として用意したため、ステージマネージメント全体を担当する[8]

1952年に再来日し、アメリカ軍関係の仕事の一環として、当時勃発していた朝鮮戦争による戦災孤児英語を教授するために、日本で朝鮮語を習得した後、米軍側の板門店に出向き、1年2ヶ月に亘り、子供達に英語を教授した[10][12]。再来日後はアメリカ合衆国大使館軍事援助顧問団(MAAG)の職員として勤務[12 

 不思議なことに、上記のWikipediaには「上智大学」という記述は見られない。上智大学の国際部は、GHQ支配下の1947年、英語で授業を行う各種学校(大学ではない)として市ヶ谷に開校し、1970年代まで大学学部として認可されていなかった。在日外国人、とりわけ米軍基地に住む子女が多く通う「日本の中の米国」のような学校だった。当時、上智大学には文学部と経済学部しかなく、しかも男子だけの大学だった。今のような「名門校」などではなかった、ということだ。国際部はさらにイージーで、学事記録(入学や退学)もいい加減だったから、容易に「卒業生」を名乗ることはできたはずだ。

 ジャニー喜多川の「闇」は学歴だけではない。「彼は性被害を受けた経験」から、そのような性癖を持つに至ったと「弁明」するような記事も見られた。まさかと思うが、それがカトリックの神父と関りがあるとしたら…。あの大学には、ジャニー喜多川と同じ性癖を持つと噂される外国人神父(=上智大学教授)がj実在したから。また、上智出身で米国留学し、母校教授を長く勤めた三輪公忠という人は、その著書「ハラキリと男根開示」の中でホモセクシャルについて、妙に熱心に記述している。

 要は、ジャニーの経歴は全部ハッタリ、GHQ=米軍の威光の下で日常英語ができるというだけで、戦後の闇社会を生き抜いてきた男色屋さんなんだろうね。
 戦後日本の闇そのものだね、これは。

 

ジャニーズ事務所の新体制が大問題だと思うのでお話しします



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