澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

あえて「舛添要一 擁護論」

2016年06月02日 18時50分51秒 | マスメディア

 舛添要一・東京都知事が火だるまになっている。「新党改革」時代の政党交付金の使途問題、都知事になってからの海外出張費、公用車の使用問題など、「囃す、貶す」ばかりのマスメディアには、格好のネタになってしまった。セコク、ずるがしこく、往生際が悪い「ねずみ男」というのが、現下のイメージだろうか。



 だが、私はあえて次のように「舛添擁護論」を言いたててみた。

1 「天下の秀才」だった舛添
 まず、舛添要一は類まれなる秀才だったという事実。団塊の世代(昭和22-24年生まれ)630万人の中で、東大法学部に入学できたのは、およそ1,800人。舛添は、その中で「学士助手」(当時は「助手」)に採用され、官費でフランス留学、その後東大教養学部助教授に任用された。ひとつの無駄もない、典型的なエリート・コースをひた走った。福岡県生まれの舛添は、中学生の時、父親が病死したことで、家計を考えて高専に進もうかと考えたほど、生活が苦しかったという。その当時の社会状況と言えば、東海道新幹線さえまだなく、電話がある家は稀で、もちろん、コンビニもスーパーマーケットもなかった。公共図書館も整備されていなかったので、本を通じてさまざまな情報を得ることも難しかった。全国をネットワークで結ぶ受験予備校などもまだ存在しなかった。舛添は、そんな時代に、全国模試で一二を争い、自分の能力だけで東大入学を果たした。経済的に恵まれて受験テクニックを磨き、私立中高一貫校から東大生となるというような、現在の若者とは全く異なる生き方だ。舛添が「成蹊(安倍晋三)や学習院(麻生太郎)卒ではこの国を統治できない」「細川護煕はバカ殿」と言ったのも、「言わずもがな」ではあるものの、ホントのこと(事実)を言ったまでなのだろう。

2 エリートとしての貴族趣味と大衆蔑視
 「天下の秀才」舛添は、国際政治学を専攻した。当時、この分野を志す人は、東大の中でも家柄がよく裕福な家庭の子弟が多かったはずだ。というのも、法解釈学に比べると、著しく実用性が低い。海外留学をするチャンスがなければ、研究テーマを結実できない。また、複数の外国語に極めて堪能でなければならない。当時、カセットレコーダーでさえ、なかなか入手できなかったのだから、語学の習得には現在の何倍もの努力が必要だった。何しろ庶民にとっては、海外に行くことが夢のような時代でもあったのだ。

 国際政治学者の三浦瑠麗は、舛添が「貴族的」趣味があると語った。母子家庭だった舛添には、本人の能力だけで数々の困難を克服し、現在に至った、自分こそ真のエリートであるという強烈な自負がある。それが、自分の成育歴の中では得られなかった「貴族的」なものへの憧れにつながっているのかも知れない。それは同時に、自分より能力的に劣ったものたちを見下す心情にもつながっている。

3 叩かれる人、叩かれない人
 「一般大衆」は扇動されやすく、嫉妬深い。舛添は、ポピュリズム(大衆迎合)に乗って、名を売り、政治家に転身した。舛添ほどの「秀才」が大衆の愚かさと同時に、その怖さを知らなかったはずはない。
 「大衆」は舛添という人間に、「成り上がり」の醜さを見たのだろうか。マスメディアの舛添叩きが意図的としか思えない執拗さだとしても、「街の人」がシンクロしなければ、これほど盛り上がるとは思えない。
 このブログでもすでに書いたことだが、舛添とは対照的な人物に竹田 恆和(たけだ つねかず)JOC(日本オリンピック委員会)会長がいる。同じ「団塊の世代」だが、舛添とは「王子と乞食」ほどの差がある。「明治天皇」の何とかと言う、元・華族の竹田は、幼稚舎(小学校)から大学まで慶応義塾。大学では馬術部に属し、オリンピックにも出場したという、典型的な日本的エスタブリッシュメントだ。あるデータによれば、舛添が東大に進学した頃、東大文一(主に法学部進学)の偏差値は72、一方、慶応大学法学部の偏差値は56だった。舛添から見れば、竹田も「バカ殿」のひとりに過ぎないが、ことここにきて、両者の明暗がはっきりと分かれた。

 竹田 恆和 JOC(日本オリンピック委員会)会長

 舛添が何をやっても叩かれる一方、竹田は「東京五輪」招致に当たってIOC(国際オリンピック委員会)関係者に二億円以上のわいろ金を送ったという事実が暴かれたにもかかわらず、マスメディアの反応は「五輪招致には必要悪」という鷹揚なものだった。さらに竹田は、自身で「エルティーケーライゼビューロージャパン」という旅行会社を経営し「業務渡航・海外出張専門のトータルツアーエージェント」を主業務としている。もしJOCの海外出張(まさに業務渡航・海外出張!)がこの会社を使って行われているのであれば、舛添以上の大疑惑になるはずなのに、誰も騒がないというのが摩訶不思議だ。

 つまるところ、 この国にはダブルスタンダードというか、「本音と建て前」があって、民主主義は建前に過ぎず、実は「身分主義」国家ということなのだろう。法の下に万人が平等という建前であっても、下賤な「成り上がり」はいずれ叩かれ、「高貴」なお方は逃げ延びる。そういえば、竹田と親戚筋の御方は「戦争責任」さえ免れた…。

 舛添と同じように「世論」のバッシングに遭った堀江貴文は、舛添を高く評価する。舛添が都知事を辞めても、次は「清貧のボンクラ」が就任するだけだというのだ。鋭い指摘と言うべきだろう。

   対照的な二人の団塊男。70歳の黄昏を目前にする、やがて哀しき団塊の世代…。嘆息のほかに何が残ると言うのだろうか。 
   
  



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
でも辞めてもらおう (seravitnnsnn)
2016-06-15 10:35:19
「舛添をあえて・・・」のここを読み終えて
感じたのはアイロニーですね、後編あたりから "別れの曲” が私の心に流れてきたんデス、メランコリーさえもごたまぜて・・・・そんなせつない文章で、また貴文で締めくくるあたりもいつもながら、納得
ひょっとですがアナタ彼好きですね、
次の都知事選なんかこわーい。
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辞めちゃいましたね (torumonty)
2016-06-16 03:40:20
seravitnnsnn 様

 コメントありがとうございます。
 消えゆくもうすぐ「団塊の世代」ですが、その総決算の時期に、「団塊の秀才」である舛添がこのような形で終わったのは、何やら象徴的です。
 同い年の舛添と竹田を比べたのは、今なお厳然たる身分格差が残っているからです。何故、竹田はバッシングされないのか。そう思うと、「出る杭」になってしまった舛添に、身から出た錆とは言っても、ある種の同情心がわきます。
 ホリエモンが言うように、次には「清貧(を装った)のボンクラ」が知事になる。
 櫻井翔なんてよく知りませんが、その父親は立派な官僚に見えます。「民主党」があれだけ「役人」を叩いたので、「役人は悪い」という風潮が蔓延しました。でも、知名度のあるボンクラよりはずっと適任だと思います。
 
 
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