先日「ブック・オフ」で買ったNaxosのCDで「ピアノ協奏曲 黄河」を聴く。この曲は、中国の「文化大革命」期、毛沢東の妻・江青によって賞賛された。伝統文化を破壊し尽くした「文革」の中から生まれた「あだ花」のような曲と言える。
(「黄河 協奏曲 ・原典版」 Naxos S.554499 1991年)
1974年頃だと思うが、NHKの招聘で中国中央楽団が来日し、このピアノ協奏曲を演奏した。指揮は、李徳倫、ピアノは殷誠忠(いん・せいちゅう)だった。私は、NHKホールでこの演奏を聴いた。
1976年、毛沢東が亡くなり、江青を含む「四人組」が失脚するに及んで、この曲の演奏はタブーとなった。 だが、北京オリンピックの開会式では、思いもかけずこの曲が使われていて、私はその感想を書いたこと※がある。
※
http://blog.goo.ne.jp/torumonty_2007/e/188d175cfe299fe12f2266056e95299f
話はそれたが、ピアニスト・殷誠忠は、「四人組」との関係を問われて、海外に脱出。その後の消息は、あまり伝えられなかった。
Naxosの「黄河」は、まさにこの殷誠忠によるピアノにスロバキア放送交響楽団が伴奏している。1990年、スロバキアの首都・ブラティスラバの録音だから、この頃まで彼は現役として活動していたことを知る。ブックレットによれば、殷誠忠は1941年生まれだから、もう71歳。いま健在かどうかは分からない。
若き日の殷誠忠の演奏を、下の映像で見ることができる。これは「黄河」の第四楽章「黄河を守れ」だが、毛沢東を讃える楽曲「東方紅」が使われていて、個人崇拝の昂揚を見て取れる。
だが、Naxosの「黄河」は原典版と断りが付いていて、この映像よりもずっと穏やかな印象になっている。これならば、今聴いても、なんとか聴ける。
この曲を聴いた70年代には、「黄河を守れ」という言葉は、「中華民族」よ団結せよという意味だと理解していた。だが、今になって知るのは、チベット、ウイグル、内モンゴルなどの広大な少数民族地域を含めて、漢族が優越的に支配する「ひとつの中国」を目指そうというスローガンだったということだ。
殷誠忠のピアノは、文句なしに素晴らしい。だが、これまでのいきさつを振り返ると、何とも苦々しい思いがする。
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1962年にチャイコフスキー・コンクール2位入賞。中国でピアノ不要論がひろがる中で、ピアノ音楽を守るために奮闘し、その過程でピアノ協奏曲「黄河」も作られたのです。彼が四人組との関係を疑われたことは事実で、文革終了後に隔離審査、80年頃自由の身となり、その後アメリカに移住し、カーネギーホールなどでも演奏しました。もっとも中国と縁が切れたわけではなく、今でもたびたび中国に帰って演奏したり後輩の育成をしています。CDが、中国の作品だけでなく、ショパンやドビュッシー(MarcoPolo香港)、チャイコフスキー(abc)など多数出ています。ネットで殷承宗を検索すれば、多数の動画があるので、ご覧下さい。