澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾から日本へ復興応援「ずーっとそばに居るよ」

2011年05月22日 11時15分25秒 | 社会

 長らく津田塾大学の教授(政治学)を勤め、台湾の駐日代表(=駐日大使)であった許世楷※氏の奥様である盧千恵氏が、下記のようなエッセイを綴った。

 菅直人首相は、ぜひこれを読むべきだ。各国の支援に対して「困ったときが真の友」と書きそえた菅は、結局、最大の支援国である台湾に対して何の謝意も表さなかった。もちろん、中国に遠慮した結果だ。この奴隷根性と醜い保身。菅は、もう一度自分の言った言葉をかみしめるべきではないか。

※ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E4%B8%96%E6%A5%B7

 

【盧千恵】台湾から日本へ復興応援「ずーっとそばに居るよ」【産経】

【盧千恵のフォルモサ便り】
東日本大震災の被災者のために
台湾から日本へ 復興応援「ずーっとそばに居るよ」
〔SANKEI EXPRESS 平成23年5月20日〕

 台湾では、今でもよく東日本大震災関連のニュースが流れています。何回見ても、いつ見ても、涙が出ないときがないほど、悲惨な状況が画面に出てきますが、同時に、あー、なんと力強く立ち上がろうとしているのだろうと、心打たれます。

 震災直後、涙をこらえようとしながらこらえきれず、それでも最後まで答辞を述べきった気仙沼市立階上(はしかみ)中学の卒業生代表。日本人は大人だけでなく、15歳の中学生までが、「苦境にあっても、天を恨まず、運命にたえ、助け合って生きていくことが、わたし達の使命です」と述べることができたのは、世界中の人々に感動を呼び起こしたに違いありません。隣国に住む台湾の同じ年頃の学生たちは、そのような姿を見て、「日本の友とともに苦難を」と強く願い、同時に多くを学んでいます。

 ■寄せ書き・募金呼びかけ

 台中市の名所、宝覚寺の真向かいにある、新民高校日本語学科の学生が呼びかけ、書いた寄せ書きの一部です。

 -地震、津波、原子炉、予測できなかった災害が起こった今、わたしは、人類がお互いをもっと大事にし、励ましあい、支援しあうことの大切さを感じています。

 -心が痛くて、悲しくて涙がとまりません。わたし達は皆様の心を暖めますから、寒い中、決してあきらめずにがんばってください。

 -ずーっとそばに居てあげたい、心の傷が癒やされるまで。もっと大きな被害にならないように、お祈りしています。日本的未来-定会更好。

 -ニュースを見ると、心が痛みます。涙がこぼれます。同時にあなた方を尊敬してしまいます。このような天災に会いながらも、規律正しく、天を恨まず、しなくてはいけないことを整然と行っているのをみると、わたし達も見習わなくてはという気持ちが沸き起こってくるのです。

 -「日本人!」この民族は団結の代表選手です。

 -わたしも愛する人を失ったことがあるから、あなたたちの痛みが分かります。絶対にいのちを粗末にしないで生きてください。

 新民高校の赤十字社青少年奉仕グループは、学内募金で集めた50万元(150万円)、学校理事会の寄付金100万元(300万円)と一緒に、寄せ書きを赤十字社台中支部へ届けました。1時間のアルバイト料、お弁当が2つ買える100元を入れてくれた友人たちに「ありがとう」を間断なく言い続けたと、学生が話してくれました。

 大度山台地にある静宜大学では、日本人留学生の呼びかけに日本語学科が応え、ある先生のことばですが、「歩いたり、走ったりして募金を行っていました」。この居ても立ってもいられない気持ちが、大学全体を動かしたのでしょう、「祈福会」を始め、「祈福壁」が作られ、祈りのことばを書き込んでもらっていました。

 台湾キリスト教会国連加盟推進協会の羅栄光牧師は「日本の苦難を分かち合おう」と呼びかけています。1999年9月21日に起こった台湾大震災のとき、赤い制服の日本救助隊が余震の続く東勢地方の倒壊した王朝ビルから、閉じ込められていた被災者を担架で担ぎ出したのを目撃し、涙がとまらなかったと「呼びかけ文」に書いていました。そう、あの時、いち早く台湾に救援隊、救助機械、医療隊、救援金を送り込んでくれた隣国日本の真摯(しんし)な友情を思い出した人は多かったでしょう。

 ■「必ず立ち上がる」

 わたし達が前駐日代表だったということで、大勢の人から「日本は大丈夫ですか?」「発電機が200台集まりましたが、どこへ送ればよいでしょう?」などの電話がかかってきました。駐台日本交流協会の電話はパンク状態だったと聞きました。今、台湾人は手を合わせ、日本の復興を祈り、限りない連帯の思いを寄せていることをお伝えします。

 世界台湾人大会にスピーカーとしてこられた櫻井よしこ先生は、3月20日、冒頭演説を終えられた後、中、南部観光を取りやめ、「人類が経験したことのない3つの苦難に直面している日本」へもどっていきました。「日本国は必ず立派に立ち上がると確信しています。日本人は文字通りこの未曾有の試練を立派に乗り越えなければなりません。わたしはその国家再建の先頭に立つつもりです」ということばを残して。(許世楷(コー・セーカイ)・元台北駐日経済文化代表処代表の令夫人、盧千恵/SANKEI EXPRESS)

[写真]募金活動をする台中市新民高校赤十字社支部の学生隊=3月17日、台湾(盧千恵さん提供)
http://sankei.jp.msn.com/world/photos/110415/chn11041516140002-p1.htm

 ■ロー・チェンフィ 1936年台中生まれ。60年国際基督教大学人文科学科卒業後、国際基督教大助手。61年許世楷氏と結婚。夫とともに台湾の独立・民主化運動にかかわったことからブラックリストに載り帰国できなかった。台湾の民主化が進んだ92年に帰国し、2004年~08年、夫の駐日代表就任に伴って再び日本に滞在。夫との共著に「台湾という新しい国」(まどか社)がある。



東日本大震災 直前2日で250回の地震

2011年05月22日 07時40分51秒 | 社会

 東日本大震災の結果、地震予知などできるはずはないという声が専門家の間からも聞かれるようになった。

 地震研究は、そもそも特定大学(旧帝国大学)で「国策」として研究された分野だ。地震予知連絡会で、特定地域の危険性が論議されたとしても、社会的影響力を考えれば、そう簡単には公表を決断できない。誰も責任をとれないから、発表もできないという悪循環に陥っている。

 だが、素人でもなるほどと思う情報が、21日の「毎日新聞」に載った。大震災の前の二日間(3月9・10日)に250回もの地震があったというのだ。大震災前の地震数は、全国一日平均で10回にも満たない回数だった。だから、この二日間の250回という数字が、いかに異常なものかが分かる。しかも、次の表で明らかなように、その震源地が「三陸沖」に集中している。

 この異常な地震回数と震源地の集中を見れば、素人でも何か起きるのではないかと考えるだろう。もちろん、素人だから何とでも言えるのだろうが。
 要するに、これらの報道から学ぶことは次のようなことであると思う。

① リアルタイムで公表される気象庁の「地震情報」※を毎日確かめる。
② もし、地震が異常なほど頻発し、その震源地が特定地域に集中しているときは、大地震の前兆かも知れないと用心する。
 
 ※ 「気象庁地震情報」→ http://www.jma.go.jp/jp/quake/quake_local_index.html

 まさに平凡な結論に落ち着くのだが、これが「緊急地震速報」程度には役立つのかも知れない。 

 

東日本大震災 前兆、2月からか 直前2日で250回

毎日新聞 5月21日(土)15時4分配信

東日本大震災 前兆、2月からか 直前2日で250回
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活発化した地震活動が本震へ南下していく様子
 東日本大震災をもたらしたマグニチュード(M)9.0の地震の震源のほぼ北側約50キロで2月中旬から活発化した地震活動が南進して震源に近付いていたことが、東京大地震研究所の加藤愛太郎助教(地震学)の解析で分かった。3月11日の本震発生までの最後の2日間は、近付く速度がそれ以前の6倍になった。巨大地震の発生メカニズム解明に向けた手がかりとなりそうだ。22日から千葉市で始まる日本地球惑星科学連合大会で発表する。

【図説 東日本大震災から】日本周辺のプレートの状況と地震の仕組み

 加藤助教は、海側のプレート(岩板)が陸側に沈み込む境界で起きた本震までの一連の地震を解析した。その結果、宮城県沖の震源の北北東約50キロで2月16日にM5.5の地震が発生。その後、3月上旬にかけて、M2~4程度の約80回の地震が日本海溝と並行に南西方向へ進むように起きたことが分かった。さらに延長線上で3月9日にM7.3の地震が発生し、本震発生までの51時間に、約250回の地震が本震の震源に近付くように起きた。

 これらの地震の震源が移動する速さを算出したところ、判明しただけで3月9日までは1日1.6キロだったのに対し、最後の51時間では同10キロと大幅に速まっていた。過去10年の宮城県沖の地震活動では一定方向に進む今回と同様な現象はみられず、加藤助教は「前兆かは断言できないが、特異な活動であったことは間違いない」と話す。

 名古屋大の山岡耕春教授(地震学)は「本震に向けて地震活動が進んでいたことを見付けた価値ある成果だ。後から見れば玉突きするような前震を伴っていたと分かった地震は、内陸の活断層でもあった。現状ではまだ難しいが、応用して予測につなげたい」と話す。【久野華代、八田浩輔】