ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

オルホン渓谷で、新発見?!

2013年12月18日 11時00分13秒 | トルコ文化
現在、モンゴル共和国の
オルホン渓谷で

トルコ人教授を筆頭にした
中国、モンゴル考古学者との
共同チームとの

発掘調査が
行われているのでやんすが。

そこで。
もしかして

古代トルコ史に
大貢献する

歴史的な発見が
なされるかもしれない、という

期待が
高まっているそう。

皆さま。
ご存知の通り。

現在、トルコ共和国に
住んでいる「トルコ人」達は

もともと
この土地には
住んでなかったんですよね。

トルコ民族の
マザーランドは

遠くモンゴル共和国の
周辺。

そこら辺で
古代の中国人と

戦争を繰り返しつつ
遊牧生活を営んでいた民族が

時代とともに
西に、西にと移動していき

最期に
現在のトルコ共和国の土地に
到着し

ここに
根付いた、ってわけで。

流れて来る間に
「わしら、ここでいいわ。もう移動はしない~」と

途中で
座り込んでしまった人々は

中央アジアで、現在
「トルコの親戚」といわれる

ウズベキスタン、だの
トゥルクメニスタン、だの

そういう国を
構成するにいたった、と。

超!簡単に
概略を説明すると

トルコ人の民族の歴史、って
こんな感じなんすよ。

ほら。ほら。
歴史の授業で、

中国関係史を
習った時に

「匈奴(きょうど)」とか「突厥(とっけつ)」とかって
北の方の

野蛮民族の名前が
時々、出てきたでしょう~。

あれ、あれ。
実は、トルコ民族なのさ。

匈奴、は確定できない
そうだけど

突厥、は
完全に、トルコ民族の先祖。

トルコ側の歴史からは
「ギョクトゥルク」といわれる
時代なんでござんすよ。

なんで、突厥が
ギョクトゥルクだ、って
わかるんだよ?!って~と。

モンゴルの
「オルホン渓谷」に

でで~ん!!!と
何枚も、石碑が建っておるのだ。


アンカラのガズィ大学内にある、ビルゲカーン碑文のレプリカ。

これが、「突厥文字」といわれる
古代文字で、書いてある。


突厥文字

ここに
当時の王様「ビルゲカーン」の
名前とかもでてくるらしい。

残念なことに。
トルコ民族は、遊牧民であったため

お家、というものには
定住せずに

いつも、テントを担いで
うろつきまわっていたらしく。

書面にして、何かを書き残す、という事が
なかったそうだ。(というか、無理だった?)

だから。
古代トルコ民族に関する

現在、最古の資料は
この、石碑。

それより以前は
中国で書かれた

様々な歴史書などで
ちらちら出てくる描写を

つなぎあわせて
推測するしかない、ってわけらしい。


ビルゲカーンは、こんな顔?こんな顔??どっちにしても、おっかね~w

ともかく。
このギョクトゥルク、突厥の

ビルゲカーン(漢字で書くと、毘伽可汗、だそうだ。すっげ~当て字)
という、王様の宰相に

「トニュクク」(暾欲谷。こんな名前、読めないってw)という
人がいたそうで。

今回の発掘調査では
この

「トニュクク」のものではないか、と
推測されるお墓も含めて

全部で15個の
墳墓のあとが、見つかったんですと!

大体、歴史を
推測する資料が、何もない事が

トルコ古代史を
解き明かす上での、

最大の難関になってる
わけで

今回の発見は
その1部を埋める大きなてがかりである!と

考古学界は
まさに、興奮のるつぼ~!
になってるそうだw

実は。
中国領土内にも

トルコ民族と
関係があるのではないか?と
思われる

数々の
場所があるのだが。

中国政府は
「匈奴」とは

古代に衝突を繰り返した
因縁ありありなので。

発掘に強力的ではなく
発掘許可を、くれないんだってw

ともあれ。
こういう、古代の歴史を解き明かすのって

ロマンがあって
いいですな~。

ひつじ飼い
そんなに詳しくはないけれど。

中央アジア時代や
ギョクトゥルク時代の

トルコ人の
伝説を聞くの、好きです。

お姫様あり、怪獣あり
勇者あり、冒険あり、で

本当に、変わってて
おもしろい。

現在でも
「デデコルクット物語」なんて

本屋で子供向けに
リメイクして、売ってますぜ~。



興味のある方は
一度、読んでみたら?
(ただし、トルコ語だけどw)






本日もお付き合いいただいて
ありがとうございます!

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コメント (4)
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