こんな本を読んでいる

日々出版される本の洪水。翻弄されながらも気ままに楽しむ。あんな本。こんな本。
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一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」

2006年01月26日 | 思い出・昔話
一九七二―「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」

文藝春秋

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 笠谷,紺野,青地が大倉山シェンテに日の丸をなびかせ,トワ・エ・モアが流れていた頃,あさま山荘では,大きな鉄球が山荘の側面めがけてうなりをあげていた。一体,何が起こっているのか,当時の自分にはさっぱりわからなかった。
 時期的は,札幌オリンピックとあさま山荘事件とは,少しずれているのかもしれないけれど,自分の記憶の中では,だぶった映像となっている。

 その頃巷では,ボウリングが全盛だった。小学生の分際で放課後,近くのボウリング場でゲームを楽しんでいた。ジュークボックスからは,幸せの黄色いリボンでヒットを飛ばしたドーンのスリーノックタイムがかかっていた。
 その前の年前後に,新藤恵美の『美しきチャレンジャー』が,金曜日か土曜日のゴールデンタイムに放映されていたように記憶している。岡田河合でヒットした『サインはV』の後継のドラマだった。

 昭和47年,ボウリング人気はピークに達し,全国に3300のボウリングセンターができた。数からいけば,すべての市町村にボウリングセンターが1箇所設置される勘定だ。御多分にもれず,私が生まれ育った瀬戸内海の小さな町にも,ボウリングセンターが開設された。まさしく昭和47年だ。だが,1年もたたない内に,そのセンターは閉鎖され,30年近く,ピンが放置されたままであった。(今はどうなっているのかしれない。)

 その後,ボウリングセンターの数は,3分の1の1100になったが,市町村の数も平成の大合併で激減してきているので,ボウリングセンターの数は市町村数にリンクしているのかもしれない。ボウリングと言えば,ぼくは,北京でアジアオリンピックのあった年,新世紀飯店へのA社製のボウリング機材の売り込みに成功した。商談成立。結構良いファイトだった。

 だが,今,全国にどれくらいのボウリング場があるのかしらない。市町村数にペッグしているとすれば,1800程度ということになるのだが・・・。  blog Ranking へ 


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1 コメント

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Unknown (BlogPetのもっちい)
2006-01-26 13:21:25
ネットで大きいこうさぎなど言ったよ
広いこうさぎとこうさぎとこうさぎなど言ったよ
toru_moonは、こうさぎとか言ったよ
こうさぎなどをBLOGしなかった?


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