作家・坂口安吾の文学碑を取手市内に?

2020年06月07日 13時32分20秒 | 日記・断片

八幡神社は、旧水戸街道に面している。
江戸時代、旅人がここで祈りを捧げるとともに、旅に疲れを癒しながら休憩したかもしれないと、思いを馳せる。
あるいは、長禅寺の木々の青葉が色を濃くしている。
若葉の時節が好きであるが、6月の空と台地つなように真直ぐに伸びる大樹を仰ぎ見ると、小林一茶が山門まで石段を登っていく姿が目に浮かぶ。
太師通りの酒屋には、作家の坂口安吾が立ち寄ったことが忍ばれる。

作家・坂口安吾の文学碑を取手市内に建立するよう当時の大橋幸雄市長に要請したのは、当方の友人の貫井徹さんたちであった。
安吾の生誕百周年を記念する2006年のことだった。
建立していれば、安吾ファンの一人として大いに喜べたのだが、残念ながら実現しなかった。
安吾が取手にやってきたのは1939年のことだ。
そして8か月取手に在住していた。
東京の出版社「竹村書房」の社長の紹介で長禅寺下の伊勢甚旅館へ泊まる。
この旅館は竹村社長が魚釣りに利用していた。
「今年こそ本当にギリギリの作品を書かねば私はもう生きていない方がいい」
安吾は決死の思いで取手にやってきた。
竹村社長は、利根川沿いの自然豊なとことで、落ち着いてヒット作を書いてもらいたくて、安吾を取手に送り込んだ。
しかし、肝心の原稿は進まず、日中は寝転がって天を仰ぎ、夕方になると、向かいの海老屋酒店でコップ酒を飲んで気を紛らせていた。
何時までも旅館に居られないので、旅館のおかみさんが、近くの取手病院の離れの部屋を紹介してくれた。
当時22歳であった病院の娘・張谷ふじさんは、「いつも同じ着物で、ステッキを持ち歩いてました。私たちは娘のころだったせいもあるけど、怖くて近寄れなかったわね」と語っている。
安吾は33歳であった。

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