感染経路不明の感染者増加 兵庫県で新たに13人感染判明 新型コロナウイルス

2020年04月05日 21時26分36秒 | 医科・歯科・介護

4/5(日) ABCテレビ

兵庫県で新たに13人が新型コロナウイルスに感染していることがわかりました。感染経路が不明な人が増えています。


兵庫県では20代から70代の男女合わせて13人の感染がわかりました。うち20代の男女2人は、高砂市内の病院で事務職員として働く同僚だということです。また、伊丹健康福祉事務所管内の40代の男性は、大阪拘置所の刑務官で、大阪拘置所では、すでに施設の消毒作業を済ませたということです。大阪拘置所では、他にもPCR検査の結果待ちの職員が1人と、体調不良で医療機関を受診している職員が1人いるということですが、症状のある受刑者は、現在のところいないということです。兵庫県内の感染者はこれまでに200人を超えました。和歌山市では、70代の開業医の男性の感染が確認されました。男性は2日の夜に発熱しましたが、当日の午前中まで診療をしていたということです。また奈良県では70代の男性会社員1人の感染が判明しています。

 

 


岡田晴恵教授、感染者数の拡大に「世界77億人口が免疫を持つまでは流行は止まらないので、これは序の口でございます」

2020年04月05日 21時13分32秒 | 社会・文化・政治・経済

4/5(日) スポーツ報知

5日放送のTBS系「サンデーモーニング」(日曜・前8時)で世界的に流行する新型コロナウイルス感染症について特集した。


【写真】和田アキ子、岡田晴恵教授と2ショット公開し「お友達希望笑笑」

 番組では世界の感染者数が110万人を超えたことを伝えた。この一週間で拡大していることにスタジオに出演した元国立感染症研究所研究員で白鴎大教授の岡田晴恵氏は「新型のウイルスでございますので、世界77億人口おりますけど、この人たちがワクチンか罹患(りかん)、かかるかして免疫を持つまでは流行は止まらないので、これは序の口でございます」と指摘した。

 拡大を止めるには「人の動きを止めるしかない。人の動きを止めることは経済とか人心的なパニックが起きている。そのはざまで今、大変なことになっている。ワクチンができるまではなるべくかからないようにする。これしかない」と訴えていた。

報知新聞社

 

 


新型コロナ、仏英で死者が過去最多 伊・スペインは拡大一服の兆し

2020年04月05日 21時04分28秒 | 社会・文化・政治・経済
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[パリ/ロンドン/ミラノ/マドリード 4日 ロイター] - 欧州では4日、新型コロナウイルス感染症による死者がフランスでこれまでで最多となる一方、イタリアとスペインでは拡大ペースが一服する兆しが見られた。

フランス保健省は新型コロナ感染による死者が前日から1053人増えて7560人となったと発表した。

保健省高官によると、感染者は病院で確認された患者が前日から7%増の6万8605人、高齢者施設などでは疑わしいケースも含め20%増の2万1348人で、合わせて8万9953人となった。

英国でも新型コロナ感染症による死者が708人増と過去最多を記録。累計で4313人となった。当局者は今後1─2週間は死者の数が高水準で推移するとの見方を示した。

一方イタリアでは死者の数が681人増と3月23日以来の低水準だった。累計での死者数は1万5632人

新たな感染者は4805人増の12万4632人と最近のペースをやや上回った。ただ集中治療室で治療を受けている患者は74人減の3994人と初めて減少した。

スペインでも死者数が809人増の1万1744人となり伸びが前日の932人を下回った。増加率は7%で1週間前の約20%増から大幅に減速した。

感染者は前日の11万7710人から12万4736人に増え、イタリアを上回った。

政府高官は「ここ数日見られる減少傾向を確認するものだ」としながらも「統計に含まれていない、より多くの軽症な感染者が存在する」と指摘した。

サンチェス首相は4日、ロックダウン(都市封鎖)を26日まで15日間延長するよう議会に要請する考えを示した。

 

 

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中国で発症3時間後に死亡 「ハンタウイルス」感染拡大の可能性は?

2020年04月05日 18時23分27秒 | 医科・歯科・介護

中国で、ネズミが媒介する「漢坦(漢他)病毒(ハンタウイルス)」が男性2名から検出され、うち1人は、発症後わずか3時間で死亡した。

パンデミックとなった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が収束の兆しを見せないなか、さらなる“中国発ウイルスとの見えない戦い”に世界は備えなければならないのか?

発症から3時間で絶命

米国国家安全保障会議(NSC)から、新型コロナウイルス蔓延の情報隠蔽、危険なウイルスについて報告をしようとした医師や記者に圧力を加えたとして非難されている中国政府にしては珍しく、迅速な情報公開だった。

雲南省臨滄市の衛生健康委員会によると3月23日午前4時ごろ、京昆高速道路を走行中の大型バスで山東省栄成市の出稼ぎ先工場に向かっていた労働者・田さんが、道中の陝西省寧陝県付近で倦怠感、発熱、呼吸困難、筋肉痛など新型コロナウイルス感染症によく似た症状を訴えたため、彼は下車し、県内の病院に入院する。だが発症からわずか3時間後の同日午前7時10分に急死した。田さんは新型コロナウイルスのNAT(核酸増幅検査)結果は陰性だったが、体内から「漢坦病毒(ハンタウイルス)」が検出された。

中国では新型コロナウイルス感染者最多発地・湖北省武漢市を3月10日、習近平国家主席が視察したのを境に「復工復産(産業・経済活動の再開)」が加速され、コロナ対策のため自宅待機していた多くの労働者が工場や工事現場などに戻っている。田さんも故郷の孟定鎮から、同僚ら計32人と勤務先の水産加工工場がチャーターしたバスに乗って山東省に向かっていた。田さんのほか2人の発熱も確認され(いずれも新型コロナウイルスのNAT結果は陰性)、当局はバスの乗員乗客全員を隔離し経過観察を継続している。24時間ごとのウイルス検査では田さん以外は現時点で全員陰性だという。ただ、田さんの感染経路などは明らかにされていない。
さらに「長沙晩報」などは3月26日、湖南省岳陽市に住む24歳の男性・方さんがハンタウイルス陽性と診断されたことを一斉に伝える。彼は農村部にある交際相手の女性の実家から岳陽市に戻ったとたん高熱、頭痛、全身痛、倦怠感に襲われる。家族は新型コロナウイルス感染を疑うが、彼は通院を拒絶。発症から5日後、浴室で昏倒した方さんは地元病院でCT検査を受け、くも膜下出血の脳卒中と診断され、省都・長沙市の湖南省人民医院に緊急搬送される。

新型コロナウイルスのNAT結果は陰性で、主治医は急性腎不全を伴う流行性出血熱であると考えた。転院時の方さんの容態は血小板減少症に苦しみ、血液凝固機能は非常に悪かった。昏倒時に頭蓋骨骨折しており、入院から1週間を経ても昏睡状態のまま。コロナウイルスとともによく似た初期症状のハンタウイルスの検査結果は陽性で、同ウイルスが引き起こす感染症、腎症候性出血熱(HFRS)と診断された。湖南省人民医院の調査によると、方さんの交際相手の実家周辺にはネズミが多数生息しており、ネズミがかじった食材や食料を口にしたことで感染したものと思われる。

アルゼンチンでは「ヒト・ヒト感染」も

そもそもハンタウイルスとは何か。

厚生労働省や国立感染症研究所(NIID)によると。ペストのようにネズミなどの齧歯(げっし)類が宿主となる急性呼吸器感染症を引き起こすウイルスで、主にアジアや欧州に分布するものは腎症候性出血熱(HFRS、死亡率1~10%)を、主に北南米に分布するものはハンタウイルス肺症候群(HPS、同40~50%)の感染症を引き起こす。

ウイルスを含むネズミの排泄物、唾液に汚染されたほこりを吸い込む、傷口からウイルスに汚染されたネズミの排泄物、唾液と接触する、ネズミに咬まれるなどしてヒトに感染する。HFRSは潜伏期間は1~5週間で、発熱期の数日間はウイルス血症を起こす。初期症状は風邪に似ていて、頻発熱、頭痛、悪寒、脱力、めまい、背部痛、腹痛、嘔吐、出血傾向(顔面紅潮、点状出血、結膜充血)などがみられる。軽症では、一過性の尿量の減少のみで急速に回復するが、重症例では、出血傾向が著しく、播種性血管内凝固症候群(DIC)、突然の血圧低下とショック症状をきたす。その後、乏尿、蛋白尿などの腎不全の徴候もみられる。

一方、死亡率の高いHPSの症状は、2~3週間の潜伏期間を経て発熱と筋肉痛、悪寒が1~4日続き、次いで消化器症状及び頭痛を伴う咳、進行性呼吸困難、酸素不飽和状態(肺水腫、肺浮腫による)に陥る。頻呼吸、頻拍の出現頻度も高く、発症後24時間以内の死亡例も多い。だが、現時点では、アジアでヒトからヒトへの確実な感染例は実証されていない。

ただ1996年にアルゼンチンでオナガコメネズミを媒介とするHPSが住民と旅行者で18例、患者と関わったが同地を訪れていない市民の2例が発生し、患者の死亡率は50%であった。2例はネズミと接触せず、ヒトからヒトへの感染が起こった例である。このアルゼンチンの流行の後はヒトからヒトへのハンタウイルス感染例は無い。

旧日本軍や朝鮮戦争の米兵も苦しめられ…

ハンタウイルス感染症そのものは新しいウイルスではない。世界保健機関(WHO)によると、中国と韓国ではセスジネズミとドブネズミが宿主として混在し、ハンタウイルス感染者数は中国で年4万人、韓国で年数百人報告されている。

動物由来感染症に詳しい有川二郎・北海道大学医学研究院特任教授の研究によれば、1940年代、日本陸軍の満州(現・中国東北部)駐留部隊が感染者数1万人、死者数2000~3000人の奇病に苦しんだ。陸軍省は1942年2月、奇病をセスジネズミ媒介性病原体による「流行性出血熱」と命名した。これがハンタウイルス感染症がアジアで大流行した最初例だ。
陸普第九八九號

滿洲ニ於テ發生セル新流行病ニ對シ病名決定ノ件

北部滿洲及東部滿洲等ノ地域ニ於テ發生シ發熱蛋白尿及出血性素質等ヲ主徴トシ所謂孫呉熱、虎林熱、又ハ地方性紫斑熱等ノ病名ヲ以テ假稱セラレシ一流行病ニ對シ病名ヲ左ノ如ク定ム
追テ滿洲に於テ罹患セル本病ハ壹等症トシテ取扱フモノトス

昭和十七年二月十九日 陸軍大臣 東條英機

   左 記
一病名:流行性出血熱

「陸普」とは陸軍内の普通通達を指す(原本:防衛省防衛研究所所蔵)
その後、朝鮮戦争中(1950~53年)に国際連合軍の米兵約3200人が、満洲で日本軍が苦しんだ感染症によく似た流行性出血熱(韓国語で韓国型出血熱と称す)に罹患した。

1976年、韓国人医師団は、韓国型出血熱の原因ウイルスを、北部・京畿道の流行地で捕獲されたアカネズミから分離することに成功した。ウイルスは捕獲地を流れる北緯38度線近くの河川、漢灘江(ハンタンガン)からハンタンウイルスと命名された。1982年、WHOも類似ウイルスをハンタウイルス(Hantavirus)と総称することにした。

日本では1960~70年に大阪市の梅田地区でドブネズミを媒介し119人が、70~80年に全国の動物実験22施設で実験用ネズミを媒介し126人がハンタウイルスに感染している。

これらアジアのハンタウイルス感染症は、今回の中国人患者2名も含め、「旧世界」と呼ばれる腎症候性出血熱(HFRS、死亡率1~10%)だけ。死亡率40~50%でヒトからヒトへの完成例があるのは北米や南米大陸で発生している「新世界」と呼ばれるハンタウイルス肺症候群(HPS)だ。

新型コロナウイルスと異なるのは、80年以上研究が行われ、HFRS流行地である中国・韓国に限って治療に有効なワクチンが開発・使用されている点だ。

米国食品医薬品局(FDA)に認可されているワクチンは2019年3月現在、存在しないが、米陸軍が2014年、DNAワクチンの臨床試験第2相(フェーズ2)を米国内で開始した。HFRS向けワクチンは中国で1994年に2価不活化ワクチンが開発され、2005年に中国当局によって承認された。毎年約200万回使用されている。韓国では食品医薬品安全省が承認したワクチン「ハンタワックス」が1990年から使われている。抗ウイルス薬はHFRSの治療薬として抗C型肝炎ウイルス薬「リバビリン」が主に使われている。HFRS患者を対象とした中国での臨床研究では、発症初期にリバビリンを投与することで致死率が下がることが報告されている。

ハンタパンデミックの可能性は?

中国や日本のインターネット上では、●ヒトからヒトへは基本的に感染しない、●毎年のように多くの感染者がいる、●日常的にネズミと接触する市民は少ない、●アジアでの病型は死亡率1~10%の腎症候性出血熱(HFRS)で、同40~50%のハンタウイルス肺症候群(HPS)ではない、●ワクチン開発済み──だから、ハンタウイルスには過度に警戒する必要はないとの説が流布しているが、本当にそうだろうか。

中国疾病预防控制中心(中国疾病予防コントロールセンター)の研究者は中国共産党湖南省委員会の機関メディア「紅網」の取材に対し、ハンタウイルス感染症(うち腎症候性出血熱、HFRS)について、致死率10%は驚異だが、早期発見、早期治療すれば治癒する可能性は高い。流行期は春季と秋季でウイルスは高温に弱く、中国でヒト・ヒト感染例は無い。ゆえに新型コロナウイルス感染症のように蔓延する可能性は極めて低いと述べた。

米疾病予防管理センター(CDC)は、ハンタウイルス肺症候群(HPS)の現時点での死亡率を36%としている。これはWHOが3.4%と推定している新型コロナウイルス感染症の死亡率よりも遥かに高い。

ただ英ジャーナリストのサイモン・チャンドラーもノルウェーのニュースメディア「CCN.com」に対し、ハンタウイルスがパンデミックを引き起こす可能性は低いとみている。ハンタウイルスは、新型コロナウイルスと初期症状は似通っているため見分けがつきにくいのがネックだが、齧歯類の尿、糞、唾液に触れることによってのみヒトに感染するので、新型コロナウイルスなどのように飛沫・空気感染して大流行するようなことはあり得ないという。

ただし、新型コロナウイルスも、WHOは中国政府発表をもとに感染初期の1月14日、「ヒトからヒトへの感染の確たる証拠はない」と発表していたが、同月20日、中国国営通信「新華通訊社」が初めて中国専門家の話として、ヒトからヒトへの感染を明らかにした。ウイルスの難しいところは常に変異、増殖しており、どのようなタイミングで、ヒトからヒトへの感染能力を備えるようになるか予測できない点だ。ワクチンも欧米基準を満たす製品はまだ開発中で量産前段階。中国のハンタウイルスが今後、突然変異してヒトからヒトに感染拡大しないとは言い切れないのだ。

Jun Tanaka




大阪で新たに41人が新型コロナ感染 1日あたりで最多

2020年04月05日 18時19分06秒 | 社会・文化・政治・経済

4/5(日) MBSニュース

 新型コロナウイルスの感染拡大が続くなか、大阪府では4月4日、1日としては最多の41人の感染が確認されたと発表されました。
 
 大阪府では4日、20代~80代の男女41人の感染が確認されました。1日で確認された感染者数としては最多で、そのうち感染経路不明の患者は40人です(感染経路不明者の濃厚接触者を含む)。また、既に感染が確認されていた大阪市の70代の男性が3日に死亡しました。男性には基礎疾患があったということです。

 一方、滋賀県ではクラスターが発生した草津市の電子部品メーカーで男性社員(30代)2人と既に感染が確認されている男性社員(50代)の妻(50代)が新たに感染しました。
 
 また、京都府でも新たに20代~70代の男女10人の感染が確認されました。

 

新型コロナ感染、注意すべき超初期症状は「頻呼吸」「結膜炎」

2020年04月05日 18時07分57秒 | 社会・文化・政治・経済

 もし新型コロナウイルスに感染したら、自分自身が感染源にならないためにも、できることならごく初期で気づきたい。

 感染拡大当初の2月中旬、厚労省は新型コロナウイルス感染による肺炎の初期症状をこう公表した。

《発熱やのどの痛み、咳が長引くこと(1週間前後)が多く、強いだるさ(倦怠感)を訴える方が多い》

 また、「相談・受診の目安」として《風邪の症状や37.5℃以上の発熱が4日以上続く場合(解熱剤を飲み続けなければならないときを含みます)》そして《強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある場合》を挙げた。

 だが、これらの症状だけではない。実際の感染者には、発症前からみられる兆候がある。「超初期症状」ともいえる、その症状とは──。

 船内感染が確認されたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」で発生した104例について、自衛隊中央病院(東京都)が症状、治療等について集計、公表した。 

 データによると、症状として最も多く確認されたのが「発熱」で28.8%、続いて「咳」27.9%。3番目に多かったのが「鼻汁」と「頻呼吸」でいずれも15.4%だった。感染症に詳しい廣津医院院長の廣津伸夫さんは「注目すべきは頻呼吸」と話す。

「頻呼吸とは概ね1分に25回以上の早い呼吸のことを指し、酸素不足で息切れしている状態。肺の機能が落ちたり、肺炎になった人にみられます。コロナウイルスは下気道といって気道の奥深く、つまり肺に感染し、炎症を起こすので息切れという症状になって現れるのです。

 一方、季節性インフルエンザは鼻やのどなどの上気道に感染することが多いので、息切れは通常みられません。花粉症や普通の風邪にもない症状です」

◆嗅覚、眼の不調にも注意を

 また、ここ数週間で多くの人に知られるようになった症状もある。内科医で亀谷診療所院長の亀谷学さんが解説する。

「すでに中国の報道や欧米耳鼻咽喉科学会などが初期症状に、嗅覚・味覚異常が現れることがあると指摘していました。阪神の藤浪晋太郎投手(25才)が『コーヒーのにおいがわからない』との異常を訴え、陽性となったことから日本中で知られるようになりました」

風邪などで一時的に味がわからなくなることはあるが、新型コロナの場合はどんなものなのか。「何もにおわない」「すべてが段ボールのような味しかしない」と訴える人から、「香水やシャンプーの香りがわからない」「みそ汁を飲んでも食感しか感じない」「唐辛子の味がせず異変を感じた」という感染者の体験談が伝えられている。

「最近では、検体採取で、のどより鼻腔の方がウイルスの検出率が高いといわれています。感染により鼻粘膜および嗅神経にダメージが生じやすく、嗅覚や、味覚に影響が出るのではないでしょうか。新型コロナの感染の特徴かもしれません」(廣津さん)

 嗅覚より思い当たりにくいがこんな超初期症状の報告もある。目の結膜炎だ。3月28日の米CNNはこう報じた。

《世界各国からの報告では、新型コロナウイルスに感染している人の約1~3%が結膜炎にも罹患している。目の充血と同時に発熱や咳、息切れなどの他の症状もある場合には、医師の診察を受けるべきサインといえる》

 日本眼科学会もウェブサイトで《新型コロナウイルスは、結膜炎を起こす可能性が示唆されています》と注意喚起している。

 嗅覚・味覚異常や結膜炎などがあった場合、即座に病院に行くべきか。前出の廣津さんが言う。

「鼻水は出ないがのどだけが痛い、強い咳だけが出る…など、症状が1か所だけの場合でも、感染している可能性を疑った方がいいでしょう。

 そして、他人に感染させないよう、まずは自宅療養をしてほしい。3日ほど様子をみて、発熱の症状が見られたら、病院に行ってください」

 ちなみに発熱にも一定のルールがあったというのは現在コロナ感染中の40代男性だ。

「朝の体温は37℃強。それがお昼頃からどんどん上がり、夜には39℃を超える。1週間ほど熱のルーティンが続いて落ち着いてきました。その間、風邪とは明らかに違う強い倦怠感がありました。インフルエンザのようなものと軽く考えられていますが、そんな状況ではありません。薬もないんです、甘く見ないでほしい」

 未解明の部分が多い新型ウイルスだけに、日々更新される情報に注意を払いたい。

※女性セブン2020年4月16日号

 

 




東京都で新たに143人が感染 2日連続100人超えで1日の最多を更新

2020年04月05日 18時04分29秒 | 社会・文化・政治・経済

 東京都で5日、新たに143人が新型コロナウイルスに感染していることがわかった。昨日の118人に続き2日連続となる100人超えで、1日の感染者数としては最多を更新し、東京都で1000人以上が感染したことになる。

【速報】新たに「143人」が感染

 小池都知事はきょう午前、報道陣の取材に対し、緊急事態宣言について「国にしっかりと判断してもらい、早期に結論を出して頂きたい」と述べた。(ANNニュース)

 

 


福井で感染女性が死亡…クラスター飲食店関連の感染者30人に

2020年04月05日 18時02分04秒 | 社会・文化・政治・経済

4/5(日) 読売新聞オンライン

福井県は5日、新型コロナウイルスに感染していた福井市の80歳代の無職女性が死亡したと発表した。県内の感染者の死亡は2人目となった。また、県内の男女7人(20~70歳代)の感染も新たに確認され、少なくとも2人は、クラスター(感染集団)が発生した福井市内の飲食店の客とつながりがあった。同店関連の感染者は計30人となった。

 


東京都で新たに130人以上が感染 2日連続100人超えで1日の最多を更新

2020年04月05日 16時24分27秒 | 社会・文化・政治・経済

4/5(日)

東京都で5日、新たに130人以上が新型コロナウイルスに感染していることがわかった。昨日の118人に続き2日連続となる100人超えで、1日の感染者数としては最多を更新し、東京都で1000人以上が感染したことになる。

 


“ナイトクラブ”訪れた医師ら新型コロナ感染で…岐阜大学附属病院『全外来診療休止』に 4/19まで

2020年04月05日 16時19分49秒 | 医科・歯科・介護

4/5(日) 東海テレビ

 岐阜大学医学部附属病院の男性医師らに新型コロナウイルスの感染が確認されるなど、岐阜や愛知で感染者の確認が相次いでいます。

 岐阜県では4日、7人の感染が確認され、このうち3人は医師で、岐阜大学附属病院の精神科に勤務する30代の男性医師2人と、3月まで勤務し現在は美濃加茂市の病院に勤務する20代の男性医師でした。

 3人は、クラスターと判断されている岐阜市内のナイトクラブ「シャルム」を3月26日に訪れていました。附属病院では全ての外来診療を4月19日まで休止するとしています。

 また愛知県では4日、19人の感染が確認され、愛知県警の20代と30代の警察官の男女5人も含まれ、すでに感染が確認された警察官の濃厚接触者でした。

 東海3県の感染者は、5日正午時点で、280人となっています。

 

最終更新:4/5(日) 12:31
東海テレビ


福井で1人死亡、7人感染 県内53人に、新型コロナ

2020年04月05日 16時16分41秒 | 社会・文化・政治・経済

4/5(日) 共同通信

福井県は5日、新型コロナウイルスの感染が既に確認されていた福井市の80代女性が死亡し、新たに20~70代の男女7人の感染を確認したと発表した。県内の感染者は計53人となった。新たな感染者の4人は軽症、2人は重篤な状態で集中治療室に入っている。


 県によると、死亡した女性は1日、自宅で意識が混濁した状態で倒れているのを家族が見つけ、2日の検査で感染が判明した。会話ができない状態が続き、5日午前に新型コロナウイルスによる肺炎で死亡した。

 新たな感染者7人のうち、3人は既に判明している感染者の家族や同僚などだった。

 

テキサスとルイジアナ、運命分けた判断  新型コロナ対策、出遅れた米国を待ち受けるもの

2020年04月05日 16時08分46秒 | 社会・文化・政治・経済

 WHOが新型コロナウイルス感染症(COVID―19)の感染拡大をパンデミックと呼んだ3月11日、米国はようやく本格的な対策のスタート地点に立った。中国からの入国制限は2月から開始したものの、それまでトランプ大統領は、新型コロナウイルスは「インフルエンザより感染や死亡が少ない」「そのうち自然に消滅する」といった楽観的な発言を繰り返していた。

 連邦政府は入国制限対象をイラン、欧州、英国に拡大し、3月16日から「15日間の停止」を市民に求めた。高齢や基礎疾患がある感染ハイリスク者は外出自粛、人が集まる行事への参加自粛など「社会的距離」をとることを呼び掛けた。個人生活への政府の介入を嫌う米国社会では、異例の事態だ。

 新型コロナ対策委員会の要である米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長は「感染症対策は常に3週間遅れている。対策をとっても、結果が見えてくるのは3週間後でしかない。対策にやりすぎはない」と、会見で危機感を伝え続けた。その指摘通り、3月末には各地で感染拡大傾向が顕著になった。対策が出遅れた米国を待つものは何か。各州の対応から見ていきたい。(テキサス在住ジャーナリスト=片瀬ケイ)

 ▽大イベントを直前で中止したテキサス

 西海岸、東海岸でCOVID―19の集団感染がはじまっても、筆者の住むテキサス州をはじめ内陸部の州では、身に差し迫る危機感を感じていなかった。例えばテキサス州の州都オースティンでは、3月13日から10日間にわたり「サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)」という大規模な映画・テクノロジー・音楽フェスティバルを予定していた。例年、世界中から40万人が集まる大イベントである。

 米国で初めてCOVID―19による死者がでた2月29日の時点では、テキサス州での感染者は軍事施設に隔離されていた中国・武漢やクルーズ船からの帰国者以外のみ。SXSWも3月4日までは実施の予定だった。

 約2950万人が住むテキサス州で、エジプト旅行帰りという初の感染者が見つかったのが3月5日。SXSW中止を呼びかけるオンライン署名運動が広がり、6日午後に中止が決まった。

 4月3日現在で、テキサス州での感染者数は5658人、うちオースティン市を含むトラビス郡での感染者数は351人である。

▽謝肉祭を開催したルイジアナ

 一方、感染者の急増にあえいでいるのが、人口456万人のルイジアナ州。ニューオーリンズでは、2月24日、例年通り盛大なマルディグラのカーニバル(謝肉祭)が行われ、約140万人の旅行者でごった返した。

 ルイジアナ州では、その2週間後から感染者が出はじめた。4月3日現在、州の感染者数は1万297人に膨れ上がり、死者も370人に上る。うち3476人がニューオーリンズでの発生で、感染者急増の「ホットスポット」になってしまった。

 ニューオーリンズのカントレル市長は、「トランプ政権が新型コロナウイルスの危険について早期に警告していてくれれば、マルディグラは中止していた」と連邦政府への不満を隠さない。

 ▽共和党は後ろ向き、州で異なる封鎖度合い

 ニューヨークをはじめ爆発的な感染者増に苦しむ地域では、各州の知事が次々と外出禁止令や医療や生活必需品関連の小売り、サービス以外の事業は一時閉鎖といった強硬策を打ち出している。感染が広がるにつれ、パッチワークのような地域や州ごとの対策ではなく、全米ロックダウン(封鎖措置)を求める声も高まっている。

 しかしトランプ大統領は自粛や市民の行動制限による経済打撃を恐れ、全米ロックダウンには後ろ向き。むしろ感染があまり広がっていない地域では、一日も早く行動制限を緩和して、経済活動を再開したい考えだ。

 共和党の知事は、トランプ大統領の考えに近い。アイオワ、ネブラスカ、アーカンソーなど5州では封鎖措置はとっていない。感染者が急増しつつあるテキサス州、フロリダ州でも州レベルの行動規制を発表したのは4月に入ってからだ。

 テキサス州の中でも、ダラス・フォートワース国際空港を抱えるダラス郡は、州に先駆けて3月23日から封鎖措置をとっている。

 学校は閉鎖でオンライン授業に切り替えた。食料品店や病院、戸外での運動といった最小限の外出以外は禁止だし、人数にかかわらず集会は禁止だ。レストランもテイクアウト以外は営業できない。「必要不可欠なビジネス」以外は営業停止で、自宅勤務のみ許されている。

筆者は外出禁止令下のダラス市に住んでいる。レストランが並ぶ通りは人影もほとんどなく、道を走る車の台数は明らかに減った。しかし、何を「必要不可欠なビジネス」とするかは自治体の恣意(しい)的な判断になっている。営業継続を望む産業界からの要請もあり、実際にはさまざまな労働活動が行われている。

 医療関連や食料品、日用品、事務用品小売り、行政サービス、銀行、公共交通、清掃事業など明らかに必要不可欠な活動のほか、住宅建設関連、造園、修理、コインランドリー、生活必需品にかかわる問屋倉庫、配達、テイクアウト用レストラン、ガソリンスタンド、自動車維持補修サービス、さらには銃火器の販売などの営業も続いている。

 ダラス郡で明確に「必要不可欠ではない」と定義されているのは、運動ジム、娯楽施設、訪問販売、電子タバコとCBDオイル販売、ガレージセールぐらい。テキサス州として「必要不可欠でない」と規定しているのは、美容サロン、マッサージ、ピアスやタトゥー(入れ墨)スタジオである。

 一方、家にこもる人々への配達需要増から、食品や必需品販売の食料品店、ウォルマートなど大手スーパーマーケット、薬局チェーン、食品の宅配サービス、アマゾンなどは、どこも時給アップやボーナス付きで大々的に労働者を募集している。

 ▽命と雇用と医療保険

 新型コロナウイルスについては、まだわかっていないことが多い。最近の研究報告で、無症状の感染者が本人も気づかぬうちに感染を広げていることが明らかになった。こうした状況下で感染拡大を鈍化させるには、可能な限り人の動きを止めるしか道はない。

 外出禁止令が、様々な「必要不可欠なビジネス」活動によって、半ば骨抜きになっていくことに、公衆衛生の危機を感じる人もいる。しかしその一方で、自宅勤務が不可能な多くの職場にとって、長期にわたる閉鎖は死活問題である。

 事業閉鎖に伴い解雇された労働者は、雇用保険給付を最長で39週間もらうことができる。しかし米国の医療保険は国民皆保険ではなく、65歳以上の高齢者か低所得者しか政府の医療保険に加入できない。雇用を通じて民間の医療保険に加入している人は、解雇と同時に無保険者となる。新型コロナ検査費用は無料になったが、救急車の利用から治療費用まですべて自己責任だ。

民間の医療保険は免責額が高く、保険加入者でも肺炎で入院すれば、ほとんどの場合、50万円以上はかかるだろう。無保険であれば、桁が一つあがる。失業後、個人で医療保険に加入したくても毎月の掛け金は高く、失業者がたやすく払える金額ではない。

 ニューヨークのような爆発的な感染拡大が、他州の都市部に広がるのは時間の問題になってきた。「2週間前、3週間前に対策をとっておけば、という後悔は避けなければならない」とNIAIDのファウチ所長は力説する。

 今は感染拡大を鈍化させるべく、たとえ大量の失業者や自己破産者を生むことになったとしても、雇用を犠牲にして人々の行動を最大限に鈍化させる時なのか。先が見えない緊張の中で、各都市では綱渡りのような感染拡大対策が続く。

 




精神科の男性医師3人が感染、繁華街のナイトクラブで食事

2020年04月05日 16時05分30秒 | 医科・歯科・介護

4/5(日) 読売新聞オンライン

岐阜大医学部付属病院は4日、精神科の男性医師(20歳代1人、30歳代2人)について、新型コロナウイルスの感染が確認されたと発表した。うち1人は今月1日から岐阜県内の別の精神科病院に勤めている。岐阜大病院は4日夕から救急業務を休止し、外来業務を19日まで休止する。


 3人は、クラスター(感染集団)が発生したと岐阜市が発表した飲食店を3月26日に訪れていたという。

 一方、岐阜市は3日夜、この飲食店が繁華街・柳ヶ瀬の一角にあるナイトクラブ「シャルム」(若宮町)であると発表した。

 

 


東京都で新たに130人以上が感染 2日連続100人超えで1日の最多を更新

2020年04月05日 16時02分06秒 | 医科・歯科・介護
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詩人 鮎川信夫生誕100年

2020年04月05日 13時35分11秒 | 社会・文化・政治・経済

鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年(大正9年)8月23日 - 1986年(昭和61年)10月17日)は日本の詩人、評論家、翻訳家。戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。
別名・二宮佳景(にのみやよしかげ)。
本名・上村隆一(うえむらりゅういち)。
1920年に東京小石川の高田豊川町に生まれる。父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
母の幸子は幕末の大野藩の蘭学医・土田龍湾の孫。
16歳で詩作を始める。
筆名「鮎川信夫」は雑誌『若草』への投稿作「寒帯」(1937年)で名乗り、佳作掲載されて以来用いたが、初期には様々な筆名を用いた。1937年(昭和12年)秋に神戸で中桐雅夫が刊行していた同人誌『LUNA』に加入(筆名・伊原隆夫)。
その後、詩誌『LE BAL』へ投稿。
一方、1938年11月には森川義信らと第一次『荒地』を企画し、翌年3月から2年間に6冊を刊行する(後の鮎川の代表作のひとつである「死んだ男」の詩中に登場する「M」とは森川を指し、戦争で死んでいた者たちの「遺言執行人」としての立場を生涯貫く)。1942年(昭和17年)早稲田大学文学部英文科3年次在学中、卒論『T・S・エリオット』を提出。これは審査に当たった教授が舌を巻くほど優れた出来だったというが、軍事教練の出席時間不足で卒業を認められずに早稲田大学中退。同年10月に青山の近衛歩兵第4連隊に入隊。
1943年3月、三好豊一郎編集の詩誌『故園』へ遺書のつもりで「橋上の人」を書き残す。同年5月、スマトラ島に出征したが、マラリアや結核を発症し、1944年5月に傷病者として帰還。1945年2月、福井県の傷痍軍人療養所で午後9時の消灯後、家族への手紙を書くふりをしながら、わずかな電灯の明かりをたよりに「戦中日記」を書く。同年4月に外泊先の岐阜県より退所願いを出す。8月、福井県大野郡石徹白村で終戦を迎える。
1947年(昭和22年)田村隆一らと詩誌『荒地』を主催し、「死んだ男」「繋船ホテルの朝の歌」「アメリカ」「姉さんごめんよ」などの代表作品と共に「Xへの献辞」「現代詩とは何か」などの詩論を発表。
その終刊まで見守る。
1951年(昭和26年)頃には、それまで持ち歩いていた未発表作の大方を焼却。
多くの詩人と対談を行い、鮎川への詩評や言及は数多い。他にエラリー・クイーン、コナン・ドイルなどの推理小説やウィリアム・S・バロウズの翻訳を手掛け、時に二宮佳景の筆名を用いた。
また、晩年は詩作よりも批評に重きを置き、その評価も高い。弟子には牟礼慶子などがいる。
二人目の妻は年上の英文学者・最所フミ。しかしこの結婚の事実については親戚知人にも明かさなかったため、友人たちは独身だと信じており、鮎川の葬儀の際に最所が名乗り出て、みな驚いたという(宮田昇『戦後翻訳風雲録』[要ページ番号])。なお、それ以前に、荒地派の詩人・佐藤木実と、籍は入れなかったが内縁の夫婦であった。
上記の例に見られるように、鮎川は私生活に関して完全な秘密主義を貫いており、連絡先は母の家、晩年は甥の家にする徹底ぶりだった。
1986年10月17日、世田谷区成城の甥の上村佑の家に郵便物を受け取りに行き、甥の家族とスーパーマリオブラザーズに興じている最中に脳出血で倒れ、搬送先の杏林大学医学部付属病院で死去。66歳没。
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鮎川信夫論
東京大学文学部・大学院人文社会系研究科
田口 麻奈
本論は、日本の戦後詩を領導した鮎川信夫の詩と詩論を詳細に検討することで、戦後詩の文学史的・思想史的意義を具体的に解明することを目指すものである。
鮎川は、戦後詩壇に大きな影響を与えた「荒地」グループの理論的支柱として、戦争で一度途絶した現代詩の展開を、理念・実作両面で立て直すことを企図した詩人である。しかしながら、従来の鮎川論には戦中派としての苦悩や喪失体験を重視する立場が根強く、当時の具体的な文学状況の中での批評性は後景化される傾向にある。また、鮎川の詩論家としての功績が高く評価される一方で、個々の詩篇と詩論との有機的な連関が十全に闡明されてきたとは言いがたい。ほかならぬ詩的言語において即時代的な発議を行ったことが論証できなければ、「荒地」と鮎川を実質的な根拠を持って戦後文学の一角に位置づけることは難しいだろう。
従って、詩篇の読解と歴史的考証を連動させながら、「荒地」グループの理念と鮎川の詩篇の思想的有効性を測り直すことが、本論の課題である。第一部では、詩篇の分析を軸に内側から鮎川像を刷新することを目指し、第二部ではより巨視的な見地から「荒地」の位相を再定位する視野を用意することとしたい。以下、各論の概容を記す。
 
第一部では、戦後10年間を目安に鮎川の代表詩篇を分析し、それらを個人的な情緒の表出としてではなく、同時代の課題に対峙した言語実践の一環として位置づけることを試みる。
第一章「『死んだ男』論」では、これまで戦死した友人「M」への追悼詩として読まれてきた詩篇「死んだ男」(1947年)を中心に、〈遺言執行人〉という詩語の解釈の見直しを図る。この詩語は鮎川が死者(M)の遺志の代理人として戦後を生きることの意思表明と見なされ、「荒地」全体の評価にも深く関わってきた。本章では、鮎川の詩篇における〈遺言執行人〉が、死にゆく者と生き続ける者との区別が無効となる国家総力戦を踏まえて、遺言の授受そのものの不成立を強調した詩語であることを論じ、死者代行の不可能性を示すことによって新たな詩営為(戦後詩)への決意を象ったことを論証する。また、モダニズムや戦争詩の意味づけをめぐる鮎川詩論の主張が全篇にわたって盛り込まれていることを具体的に検証し、戦争を通過して戦後社会に向き合う際の詩人の当為を示すという本作の批評性を明らかにする。
 第二章「『兵士の歌』論」では、「死んだ男」とともに戦死者へのレクイエムと呼ばれてきた詩篇「兵士の歌」(1955年)が、同時期に鮎川が注力していた「死の灰詩集」論争と密接に関わった論争的な性格を持っていることを論証する。本作は生き残った「兵士」(鮎川)が死んだ「兵士たち」を鎮魂する詩篇として解釈されてきたが、内容や語彙・修辞の面から、同時期の鮎川の批評活動との照応関係が認められる。その見地から、かつて体制翼賛詩を書き今は平和運動に従事する付和雷同的な現代詩人を、「ひとりの兵士」に対する集団的な「兵士たち」と呼ぶ本作の批判的意図を浮き彫りにする。ただし、本論の分析によれば本作の「ひとりの兵士」もまた近代的な主体化された個人ではあり得ない。詩人の集団化を批判しながらも、いわゆる主体性論に回収されない洞察を含む鮎川の戦争認識と、その状況論的な有効性を詩篇の分析を通じて導出する。
第三章、第四章「〈病院船日誌〉論」(上)・(下)では、従来、〈病院船詩篇〉(1947年~1954年)と一括して扱われてきた詩群の発表過程や構成に着目し、これらを大きく二つの系統を持つ連作として弁別した上で、戦争体験の言語化(虚構化を含む)として説明されてきた同詩群の読解を刷新する。本論の見地によれば、〈病院船日誌〉のうちのひとつは国家共同体論として、ひとつは戦争体験を確たる主体として語ることの不可能性を主軸として展開されている。それぞれの構成と技術的な側面を検証しつつ、鮎川における戦争認識が、過去の記憶の問題ではなく、国家と主体との相互依存的な関係性を見据えた現在の継続的な問題であることを論証する。なお、(上)の分析では、T・S・エリオットを介した鮎川のカトリシズム観が、単なる詩篇の意匠や詩句の断片的な引用に留まらず、その思想的射程を決定づけていることを、具体的な典拠の検証とともに明らかにする。
 第五章「『小さいマリの歌』論」では、従来、鮎川の私生活に由来する平明な抒情詩として扱われてきた本作(1954年)に、鮎川独自の公共論が託されていることを論証する。幼い少女「マリ」と人生を共にする決意を歌った本作は、前四章で扱ってきたような硬質な詩群とは別系統とされる詩群の代表格である一方で、戦死者への負い目から成人女性との家庭的営みを忌避する罪業意識の表れとも解釈されてきた。しかし詩篇からは、旧来の抒情詩の拠り所となる「自然発生的」な感情を否定し、主体と言葉との関係を突き詰めた上で、他者との関係を構築しようとする現代的な理念を読み取ることが出来る。本章では、抒情詩や「歌う詩」をめぐる鮎川の議論を検証しながら、〈私〉に根ざしながら〈公〉の問題系に参画してゆくような新しい抒情詩として本作を再定位する。この見立てを通じて、鮎川の多岐化した作品系統を繋ぐ思想的理路を見出すとともに、鮎川における戦後詩の理念が、戦後民主主義における政治的公共性の概念とは次元を異にする、文学における公共哲学を包含していたことを明らかにする。
 なお、第一部の補遺として、『鮎川信夫全集』(思潮社 一九八九・一~二〇〇一・一二)未収録の詩篇(計10篇)を、新資料として改題を附して掲出した。前半に掲出した二篇の戦後初期詩篇は、占領期新聞・雑誌記事情報データベース(占領期メディアデータベース化プロジェクト委員会作成)の恩恵を被ってプランゲ文庫の雑誌コレクションから確認したものであり、鮎川の作品史を辿る上でも重要なモチーフを多く含んでいる。後半の八篇は、主に児童向け学習誌や少女向けの教養誌に向けた商業的な詩篇であり、社会における詩の役割が大きな変化の局面を迎えていたことを示す資料である。
 
  第二部「「荒地」の形成とその周辺」では、グループとしての「荒地」の詩史的な、また同時代的な位相を、周辺の詩誌や運動との比較を交えて多角的に検証する。
第一章「「荒地」の輪郭と根拠」では、第一次~第三次まで、長い活動期間の間に多くの切断線を抱えている「荒地」グループの非連続的な側面を検証するとともに、世代的連帯感とは違った水準での詩的コミュニティとしての機能が「荒地」の最も重要な紐帯であったことを具体的に確認する。その際、よく「荒地」の対立項に置かれる「列島」ではなく、同時代詩としての「マチネ・ポエティク」との比較を重要な補助線とする。これらの検証を通して、「荒地」グループを属人的なメンバーシップで括り出す現行の議論や、「荒地」対「列島」という戦後詩の見取り図を分節化する。
 第二章「思想詩におけるリズム」では、口語自由詩の生命線である「リズム」の問題が、朗読性や音楽性を否定した戦後詩においてどのように扱われたかを考察する。本来、定型から脱する論理であった大正期の詩の「リズム」は、感情や真情の湧出に伴うものとして理論化されたために、私小説のエッセンスである「心情の歌」(=告白)であるとして、定型詩とともに戦後詩の批判の対象となる。本章では、鮎川信夫や小野十三郎における抒情詩批判が、戦後の私小説批判における詩の位置と関わって展開されたことを確認しつつ、戦後詩における「リズム」の根拠が、感情ではなく思想の強度に置き換えられてゆく必然性を具体的に検証する。
 第三章「現代詩/戦後詩の詩学――詩誌『亞』の方法と提出」は、現代詩の原点とも評される詩誌『亞』と安西冬衛の詩業を支える方法論を検証する。近年、植民地文学ないし短詩運動として意味づけられている『亞』と安西が、実際には長編詩の連載による物語的な虚構性を主軸としており、昭和初期の『詩と詩論』系モダニズムとは違う強度を持つことを実証すると同時に、その詩的虚構による時代への批評性が言語遊戯として自己完結してゆく様を論じ、「荒地」の批評性との質の相違を確認する。
第四章「戦争責任論と抒情批判――堀田善衞を視座として」は、堀田善衞の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』(1968年)が、日本の詩史(文学史)を問い直す射程を備えながら、戦後の「荒地」が展開した戦争責任論や抒情批判、日本文化批判が出来する必然性を顕著に描き出している様を論じる。本作は、第一次「荒地」やその周辺の詩人たちの戦前の交友関係を描くモデル小説でもあるが、本章では、本作における芥川龍之介への批評性に注目し、終末の予感を美的に価値化する〈末期の眼〉に関する葛藤を小説の軸として分析する。また、芥川を媒介として堀田のテクストに現われる日本文化論の考察を通じて、小説に定着された堀田独自の批判的経路を析出するとともに、堀田と戦後の「荒地」における課題の共有を確認する。