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松本死刑囚の遺体“奪還作戦”警戒も

2018年07月06日 18時21分13秒 | 社会・文化・政治・経済
松本死刑囚、土谷死刑囚、遠藤死刑囚の3人の死刑が執行された東京拘置所からの報告です。TBS

東京拘置所には正面の入り口と面会者が利用する入り口の2か所ありますが、いずれの入り口も午前11時を過ぎた頃から警察官が立ち、中へ入ってくる車両1台1台を止め検問を実施しています。
さらに、東京拘置所全体を囲うようにして警察官が立ち、いつもよりも厳しい警備態勢となっています。

13人の死刑囚のうち、こちらの東京拘置所に残っていたのは、松本智津夫死刑囚、端本悟死刑囚、豊田亨死刑囚、廣瀬健一死刑囚、土谷正実死刑囚、遠藤誠一死刑囚のあわせて6人で、そのうち、松本死刑囚、土谷死刑囚、遠藤死刑囚のあわせて3人の死刑が執行されたということです。

死刑執行を受けて、警視庁は松本死刑囚の遺体を家族などに受け渡す際の警備について、拘置所の周辺に機動隊を配置するなどし、数十人態勢で警戒にあたっています。
これは現在も松本死刑囚を信仰する信者による遺体の奪還作戦などを警戒しているものとみられます。
現段階では東京拘置所付近で大きな混乱の情報は入ってきていませんが、警視庁は「関連情報の収集や主要の警備警戒を的確に推進したい」として、今後の動向を注視する方針です

ロシアは16年にオウムをテロ組織と認定

2018年07月06日 18時17分22秒 | 社会・文化・政治・経済
2018.7.6 11:44更新 産経新聞
【オウム死刑執行】
教団と関係深いロシアでも速報 「終末思想で邪魔者滅ぼそうとした」

【オウム死刑囚】
オウム真理教の教祖、麻原彰晃のマスクを被り都内をパレードする信者たち=1990年、1月27日、都内
 一連のオウム真理教事件をめぐり、死刑が確定していた教祖の麻原彰晃(しょうこう)死刑囚(63)=本名・松本智津夫(ちづお)=ら7人の死刑が執行されたことを受け、教団が現在も活動しているとされるロシアの国営タス通信(電子版)は6日、日本メディアを引用し、死刑執行を速報した。

 タス通信は「ロシアを含む多くの国々で禁止されているオウム真理教は、世界の終末とハルマゲドン(善悪諸勢力の最終決戦)を予言し、毒ガスなどのさまざまな方法を使って邪魔者を滅ぼそうとした。麻原はキリスト、ブッダ、シヴァ神の生まれ変わりと自称していた」などと指摘。

 教団が引き起こした最も有名な事件として地下鉄サリン事件を紹介し、最終的に元幹部ら10人以上が死刑判決を受けたと伝えた。

 教団は1990年代にロシアでの布教を強化し、一時は約3万人の信者がいたとされる。
また、ロシアで武器調達をしていたとされ、2000年にはロシア人信者グループが麻原死刑囚の奪還を企てるテロ未遂事件も起こしている。

 公安調査庁などによると、ロシアは16年にオウムをテロ組織と認定して摘発を強化。
しかしロシア国内には現在も数百人規模の信者がおり、複数の拠点で資金集めなどをしているとされる。
今年6月にもロシア国内での活動の中心人物とみられている男が摘発された。
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麻原彰晃死刑囚 精神的な問題はなかった

2018年07月06日 18時14分12秒 | 社会・文化・政治・経済
2018.7.6 12:22更新 サンケイ新聞

6日に死刑が執行された麻原彰晃死刑囚が収容されていた東京拘置所での生活の一端が、関係者の話で分かった。
一部識者らから「麻原死刑囚は精神に変調を来している」として、死刑執行の停止を求める声が上がっていたが、関係者は「執行に問題はない」としていた。

 関係者によると、麻原死刑囚は東京拘置所の独居房で生活。
風呂や運動については、刑務官に声をかけられると自発的に歩いていっており、精神的な問題はなかったという。

 麻原死刑囚は1審の途中から法廷でほぼ何も話さなくなり、平成18年の死刑判決確定後は誰とも面会していないとされる。

 この点も、麻原死刑囚が精神に変調を来しているとされる根拠になっていたが、関係者は「面会だと告げても部屋から動こうとしない。無理に引きずっていくことはできないため」と否定している。

 さらに、「東京拘置所は脳外科や心臓外科などを除き、ほぼ全ての診療科がそろっており、適切な医療を施すことができる。医療が必要な場合、放っておくことはない」と話す。

 麻原死刑囚の精神状態が注視されたのは、刑事訴訟法で死刑執行について「心神喪失の状態のときは、法務大臣の命令によって停止する」と規定されていることや、1審が異例の展開をみせたため。

麻原彰晃死刑囚、自分で歩いて運動場に 関係者「執行に問題ない」 

麻原被告側は1審判決後、いったんは控訴しながら、弁護人が控訴審を開くのに必要な控訴趣意書を東京高裁に提出せず、控訴審が開かれないまま裁判が終わった。このため、麻原死刑囚の確定判決は1審判決になる。
これは一連のオウム真理教事件の死刑囚の中では唯一。

 控訴審の弁護人は当時、趣意書を提出しなかった理由を、「裁判を受ける能力がないため」などと説明。
一方、東京高裁は職権で精神鑑定を実施。「裁判を受ける能力はある」と結論づけている。

オウム死刑囚の7人死刑執行

2018年07月06日 18時06分24秒 | 社会・文化・政治・経済
■麻原彰晃(あさはら・しょうこう)63歳

1984年にヨガサークル「オウム神仙の会」を設立。
座禅を組みながら浮き上がる「空中浮揚」の写真で話題を集め、87年に「オウム真理教」に改称した。
全国各地に支部や道場を開いて信者を増やした。
95年の地下鉄サリン事件のほか、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件でも起訴され、計13事件で殺人罪などに問われていた。

■井上嘉浩(いのうえ・よしひろ)48歳

高校2年生のとき、オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」に入会。
麻原死刑囚に寵愛されて地下鉄サリン事件当時は、「側近中の側近」とも評される。
スパイ活動する諜報省のトップを務め、教団の非合法活動を裏から取り仕切った。
地下鉄サリン事件では実行犯チームの現場指揮を取った。

■遠藤誠一(えんどう・せいいち)58歳

京都大学大学院でエイズウイルスの遺伝子解析をしていたが、1987年に入信。
「第1厚生省大臣」として、ボツリヌス菌や炭疽菌など細菌兵器を研究し、サリンの製造でも中心的な役割を果たした。麻原死刑囚の四女の「許嫁」だったという。

■土谷正実(つちや・まさみ)53歳

筑波大学大学院で有機物理化学を専攻。1991年に出家した。
「第2厚生省大臣」として、同じ化学者の遠藤死刑囚と麻原代表の寵愛を競いあった。
93年にサリンの合成に成功。
94年から95年にかけて起きた松本・地下鉄両サリン事件で使われたサリンと、信徒などへの3件の襲撃事件で使われたVXガスを製造した。

■中川智正(なかがわ・ともまさ)55歳

京都府立医科大学を卒業後、1988年に医師免許を取得した。
研修医として1年ほど勤めたが、89年に退職して、オウム真理教付属病院の顧問になった。
出家の約2カ月後、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯に選ばれた。
その後、麻原死刑囚の主治医として、彼の家族の世話をする法皇内庁の長官となった。
同時に松本・地下鉄両サリン事件など教団が犯した凶悪事件のほとんどに関わった。

■新実智光(にいみ・ともみつ)54歳

オウム真理教が起こした7件の殺人事件すべてにかかわり、計26人を殺害したとして殺人などの罪に問われた。
この人数は麻原死刑囚の27人に次ぐ多さ。
最古参信徒の一人。
事件について裁判では「グル(麻原死刑囚)の指示であれば、人を殺すことに喜びを感ずるようでなければならない」と公言していた。

■早川紀代秀(はやかわ・きよひで)68歳

大手ゼネコンなどに務めていたが、1986年に入信した。麻原死刑囚の著書を読んだことがきっかけだった。
翌87年には全財産を寄付して出家。
麻原死刑囚より6歳年上で、若者が多い教団では「おやじ」と呼ばれていた。
教団内ではゼネコンの勤務経験を活かして土地買収などの先頭に立ち、「建設省大臣」となる。
教団の武装化を進め、サリンプラントの建設を指揮した。信徒の殺害事件や、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯の一人として関与した。












































敢闘会の会合

2018年07月06日 17時50分32秒 | 日記・断片
敢闘会の会合を明日の土曜日だと思い込んでいた。
午前10時に、春川会長が自宅に迎えにきたことで慌てた。
午前3時30分に散歩へ行く。
ワイシャツ姿であったので強い風のため体が肌が透けるほど濡れた。
ビニールの傘は何度もあおられ、裏返しになりズボンも濡れた。
比較的大きく頑丈な傘で折れることはなかった。
帰宅してシャワーを浴びた、その後はパジャマ姿で過ごしていた。
テレビでオウム死刑囚たちが死刑執行されたニュースを観ていた。
急いで衣服を着替えたが、肝心の機関誌を忘れる。
会報が完成したので、会場で配布された。
歌の合唱の後に、機関誌の巻頭言を寺川さんと島村さんが分担して読む。
このあとは自由発言。
地域貢献の話や家族のこと、趣味の話、日中友好の話、妻の介護の話など7人の方が語る。
本部会長挨拶、圏本部長挨拶。
地域で戦う敢闘会、挑戦する敢闘会、地域の組織の一翼を担う敢闘会が期待されている。
健康について、圏本部長の河井さんが話す。
睡眠、バランスのよい食事、笑うこと、楽しむことが一番。
反対に苦痛や心労などは、マイナス要因で免疫力を下げる。
また、体温が下がると免疫力が落ちると。
前向きの生き方で、自身の課題に挑戦してほしいと強調した。
会員宅への家庭訪問、励ましについても話があった。

多様性と平等の重要性を促進

2018年07月06日 08時33分44秒 | 社会・文化・政治・経済
「誠実」と「平等」と「信頼」のスクラムで、どこまでも進む。
国境もない。
民族の違いもない。
なんの隔てもない-人間主義で結ばれた麗しい「地球家族」。

賢明にして強気でなければ、勝利と栄光は勝ちとれない。
勝たなければ正義はまもられない。

民衆に根差し、正義と自由のための挑戦。

人種、性別、年齢など、全ての差異を超え、共に手を取り合える社会を建設する。
多様性と平等の重要性を促進する。

語録・人間の権利

2018年07月06日 05時37分16秒 | 社会・文化・政治・経済
自分なりの目的観を持つ人は挑戦と変革を繰り返しつつ、新たな地平を開くことができる。

健康長寿の秘訣は「本人の努力と地域の絆」。

人間を知るには<苦難>というものが必要である。
大きな難に会えば、人間の思想は必ずあらわれてくる-哲学者ヒルティ
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ユネスコの「語録 人間の権利」
「王の支配する地に生れたので、身は従えられているようでも心を従えることはできない」
「人間を権威に隷属させる」思想や宗教に抵抗する。

語録・人間の権利 (1970年) | 国際連合教育科学文化機関 

ユネスコが編集した、世界の詩人や文学者の言葉、または各地の諺や伝説、法律から「 人間の権利」に関する言葉を選んで収録した語録です。
インドのガンジーやアショカ大王、叙事詩「マハーバーラタ」、ガーナやコンゴの諺等、アジア・アフリカ圏の言葉が沢山 ...