核兵器禁止条約が持つ意味

2017年12月20日 21時33分00秒 | 医科・歯科・介護
報復を含めた一切の使用を禁止するとする宣言。
核抑止論に切り込む。
核兵器を「汚名化」する。

国際NGO「ICAN」(核兵器廃絶国際キャンペーン」へのノーベル平和賞。
その意味はなにか。
核兵器を巡る緊張が世界に高まって中、禁止条例が採択され、ICANにノーベル平和賞が贈られた。
核を巡る危機の根本原因が、核兵器の「存在」そのものにある。
核兵器は人間の「悪魔性」の産物。
人間の尊厳と価値を高める哲学の実践が期待される。
核兵器の非人道性を伝える意味で、被爆者の体験談は不可欠。

偶発的な核戦争の勃発の危険性を低減する。
「先制不使用」へ移行へ。
核兵器が使用された場合の影響は恐ろしい。
この懸念や安全について「ICAN」は問い続ける存在。
普遍的は運動を全世界の市民が常に意識できるかだ。
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地域に根付いた人材

2017年12月20日 21時11分22秒 | 社会・文化・政治・経済
何があろうと微動だにしてはならない。
断じて全てに意味があると、捉え直す。
大きな悩みがあるから、成長する。

「足下(そっか)を掘れ、そこに泉あり」

植物も人間も、種を植え、芽が出るまで見守る存在が大事。
何事も成就するまでには相応の年月がかかる。

地域に根付いた人材をたくさ育てる。
過去を生かしながら未来に向かって地道に努力を重ねる人々がいる。
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90歳で初の年賀状

2017年12月20日 20時28分30秒 | 沼田利根の言いたい放題
交流した人からも忘れられ、誰からも気に掛けてもらえないのは、人間にとって不幸なことの一つだと思います。
年賀状を書くのは、人間関係を見直す機会になる。
「断捨離」とか、「終活」などの風潮から、今までの年賀状を止めてしまう人もいる。
当方は個人的には年賀状を書かなくなったが、勤務時代は下手な字を恥じながらも、仕事関係の方々に同僚とともに年賀状を書いた。
個人名ではなく、儀礼的な社名の年賀状であった。
そして、相手側からは個人名で年賀状が届いていた。
思えば個人での年賀状を出さなかったことは、傲慢であっただろうか。
姉のように小学校や中学校の同窓会へ行っていれば良かったと思わないでもない。
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<夜間学級>90歳で初の年賀状 漢字学び「今が一番幸せ」
 90歳になって初めて、自分の手で年賀状を書くという目標を達成した女性がいる。
奈良県大和高田市の西田正江さん(90)。
幼少から働き、戦時中の混乱などもあって満足に学ぶ機会がないまま成人したが、88歳だった2年前、一念発起して同県橿原市立畝傍中学校2部(夜間学級)に入り、少しずつ漢字を覚えた。念願がかない、「今が一番幸せやなあ。もっと上手に書きたいな」と目を細めた。【矢追健介】(毎日新聞)
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サイバーパトロールの強化

2017年12月20日 13時46分08秒 | 沼田利根の言いたい放題
政府は12月19日、神奈川県座間市のアパートで9人の遺体が見つかった事件に関する関係閣僚会議を開き、再発防止策を取りまとめた。
自殺やいじめなど若者・子どものさまざまな悩みをより広く受け止め、問題の深刻化を未然に防ぐ観点から、インターネット交流サイト(SNS)上の相談窓口整備や、自殺をそそのかす書き込みなどの削除徹底に向けたサイバーパトロールの強化などを盛り込んだ。
従来、自殺予防の相談窓口は電話が中心だったが、若者に欠かせないコミュニケーション手段のSNSを活用する。
自殺に誘い込むような書き込みなどネット上で有害情報を削除するため、来年1月から民間団体にサイバーパトロールを依頼する。
菅官房長官は、「尊い命が失われた座間市における事件の再発防止策をとりまとめました。この対策を確実に実行し、このような残忍で凶悪な事件の発生を二度と許してはなりません」と述べた。

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取締りの強化等
(1) 児童買春事犯等に対する捜査体制を強化し,職員に対する教養の徹底等諸対策を積極的に推進して,厳格な取締りと適正な処分の実現に努める。
(2) 警察による サイバーパトロールを強化するとともに,ボランティア等に対して,「出会い系サイト」上の有害情報等インターネット上の有害情報に対する監視についての協力要請を行う。
(3) 被害者の早期発見・保護の徹底を図るとともに,心身に有害な被害を受けた年少者に対しては,少年補導職員,少年相談専門職員等によるカウンセリングなどの支援活動を行う。
当然の対応であり、政府と民間団体との連携は不可欠。
性犯罪などに巻き込まれることもあり、サイバーパトロールの強化などが期待される。
これまで悪質なサイトを放置してきたことが問われる。
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何時間寝たんだ

2017年12月20日 11時58分59秒 | 創作欄
土曜日に終電に乗れず大久保の公園のベンチで眠った。
数人の若者たちがギターを抱えて歌ったり、談笑をしていた。
季節は5月の末だった。
三日月が見えた。
こんなに月は大きく見えるのかと暫く眺めていた。
三日月の脇に寄りそうように明るい星が輝いてた。
それは奇跡のように映じた。
1年に何回、月と星が寄り添って見えるのだろうか。
あるいは何年に1回きりかもしれない。
若者たちの歌声は子守唄のように遠のいていく。
目覚めたら子どもたちの声がした。
「今日は日曜日だろう」とつぶやいて徹は身を起こす。
小学生たちは公園の脇の道を列になって登校していく。
公園の噴水で嗽をして、水道の邪口を捻って手を洗う。
ハンカチに水を注いで顔を拭く。
彼は小学生たちを見送りながら大久保駅へ向かう。
だが、日曜日なのに多くの人々が駅に向かって歩いて行く。
駅の売店でガムとスポーツ新聞を買って徹は我が目を疑った。
その日は月曜日であったのだ。
「俺はいったい何時間寝たんだ」
25歳の年まで、生きられるだろうか?
19歳の時、不眠症になった彼は、睡眠薬のお世話になっていた。
ひどい便秘症ともなり、下剤にも頼った。
薬の副作用で長く生きないだろうと思い込む。
夭折した詩人に憧れていた彼は、若くして死ぬことも美学かなどと考えた。
だが、「恋らしい恋もせずに、俺は死ぬのか」と生きることに望みをつないだ。
徹は途絶えていた徳子の連絡を待っていた。
駅のホームで上着を確認すると財布が消えていたのだ。
「俺はなんて愚かなんだ」と歯を噛みしめた。
勤務先に向かう足どりが重くなる。
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「被爆体験者」387人敗訴

2017年12月20日 11時12分43秒 | 医科・歯科・介護
最高裁 国の認定追認

「命を何だと思っている」
敗訴した人たちの無念さを想ってみる。
長崎原爆投下時に爆心地の近くにいたが、国の指定地域外だったため被爆者として認められない。
長崎県に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟。
最高裁第1法廷(木沢克之裁判長)は12月18日、このうち387人の上告を退けた。
「私たちが被爆者だという真実を、司法はなぜ認めないのか」
「国が行政区域を基に被爆地域を線引きしたのは不合理」
思うのであるが、政治的に国会で救済できないのか?
慰安婦問題と同等にはできないが、救済する基金でも発案できないのだろうか。

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慰安婦問題アジア女性基金
慰安婦問題についての日本政府とアジア女性基金の認識、被害者への謝罪と償いの事業の内容
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「正解なき時代」

2017年12月20日 10時54分07秒 | 沼田利根の言いたい放題
毎日新聞の記者の目やみんなの広場欄を興味深く読んでいる。
小学生の投稿もある。
こんな意見もあるのか、と驚くことも。
当然、意見を異にする人も居るだろうが、問題提起にもなっている。
年賀状を書かない当方であるが、「年賀状文化を大切にいた」との投稿に、自分は交友関係を自ら閉ざしてきたことを遺憾に思う。
「20数年来会っていない相手、学生時代や職場を共にした仲間たちの顔を思い浮かべ、在りし日の交友の記憶を呼び覚ましながら、一枚一枚書く作業は私の大切な時間だ」
なるほど、そうなのだと納得する。
全ての友人たちと疎遠となってしまった。
小学生、中学生、高校、大学それぞれの場で親しくなった学友の消息を知るすべもなくなった。

記者の目は、防衛大学を卒業して記者となった社会部の滝野隆浩さん
[現場で考えた「正解なき時代」]
問題解決型手法は限界に

「答えなんかない」例えば北朝鮮の問題。
「敵が来たらどうする」の発想ではなく、「この不安定な環境をどう変えるのかを幅広く考えないと」
小川清史・元陸将(57)

ホスピスなどの医療問題。
「問題点ばかりみるのではなく、そのまま肯定するアプローチが必要だ」石垣靖子・北海道医療大学名誉教授(79)
防衛と医療の現場から私が学んだことは、「専門家任せにしない」ということだ。
至難なようでも、「専門外の、いろんな職種の人たちとオープンに議論をしながら知恵を出し合う。たとえ時間はかかっても、そうした柔軟さが解決への道を開けてくれると、私は考え始めている。
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12月19日(火)のつぶやき

2017年12月20日 03時29分12秒 | 医科・歯科・介護
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