カキぴー

春が来た

「災害レポート」を、世界に発信する英人女性の話

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム
1階にあるその部屋は大きめの洋室で、コの字形のデスクの上に地震で被災し修理の完了したデスクトップ型パソコンと、補助用のノートパソコンが置いてある。 震災を境に夜9時ごろになると、或る英国人女性が僕と入れ替わりにこの書斎に入り、深夜1時ごろまでパソコンに向かってキーボードをたたく。 その内容は今回の巨大地震、大津波、原発事故に関し、被災者としての体験や現地の情報、自身に関することなどで、写真を添えたブログ形式で母国に向けてレポートしている。 

当然英語で送信するので母国のみならず、フランス・ドイツ・オランダ・イタリア・オランダ・アメリカ、加えて在日外国人からのアクセスも多く、その数は僕のブログの年間アクセス数を、僅か1ヶ月で越してしまいそうな勢い。 世界的に知名度の上がった 「Fukushima」 県に定住している英国人女性の、生のレポートは各国からの関心がとても高く、先日はBBCがオンラインで彼女を紹介し、また世界規模で支援活動をしている俳優の「渡辺 謙」さんからも、リンク先としての依頼があったようだ。 

彼女の名前は「アン・カネコ」。 実は僕の住んでいる家の持ち主で、彼女の居るマンションが被害を受けて危険なため、3階のゲストルームに緊急避難してきたわけ。 彼女の希望で食事は出さず、朝出掛ける前にお茶と梅干一個、夜早く帰宅したときは缶ビールかグラス・ワインを差し上げる程度の待遇。 基本的に風呂とグッド・スリーピング、それに書斎を提供するホームスティーといった感じで、互いに異国人どうしが気疲れせずに生活するノウハウを学んでいる。

彼女は1970年、大学二年生で大阪万博英国館のコンパニオンとして来日し、卒業後に英国大使館に勤務し翻訳の仕事をしている時期、僕の友人だった故兼子氏と恋に落ち、1975年に結婚して彼の実家の有る郡山市に移り住む。 氏は東大卒業後、家業の会社を継ぐ前に三菱原子力研究所で働いており、今もし生きていて原発事故に遭遇していたら、地元を代表する専門家として「時の人」になっていた筈。

1989年彼が脳腫瘍で亡くなると彼女は悩んだ末、に3人の子供を英国人として育てることを決意して母国に帰し、自身は夫の会社を継いで日本に留まる。 終身雇用の方針を頑なに変えることなく、難しい経営環境の中でも雇用を守りながら、トップとして奮闘してきたが、このほど大手企業との合併話もまとまりそう。 この大仕事を終えれば、ロンドンからオックスフォードの方角に35マイルほど離れた、2000人ほどの小さな村に買ってある念願の家で余生を送ることになる。 そんなことで、彼女のブログもぜひ読んでみて欲しい。  アドレス http://annekaneko.blogspot.com/
  


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