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春が来た

米長棋聖の早すぎた逝去と、前立腺がん再発と転移への考察

2012年12月23日 | 健康・病気
暮れの18日、12時のニュースで米長氏の死去を知り、驚くと同時に「彼の病状ででこんなに早く亡くなる筈はない」、別の病気で亡くなったのではないかと思った。 すぐにインターネットを開いてみたがまだ何も報じてない、しかし今年の初めに更新した僕のビログ 「前立腺がん 杉原プロの逝去と、米長棋聖の再発」 に1000件近いアクセスが入っており、反響の大きさが伺える。 「全がん協」 が発表している前立腺がんの5年生存率を見ると、1期から3期までは100%、すでに手遅れの4期になると55・7%まで下がるが、延命に努力して10年近く生き長らえる人も珍しくない。 

米長氏の場合まったくの早期発見で、癌の進行度を測るPSA値10ng/mlはまったく初期のステージだし、悪性度の指標となるグリーソンスコア6も、良性と考えていい。 それでも癌の範囲が広いので、念のため「中リスク」として対処している。 氏は摘出手術にするか、放射線治療にするか、ホルモン療法を受けながらがら4ヶ月迷った末に、放射線治療を決断している。 2008年、外側から照射する「強度変調放射線治療」に加えて、前立腺内部に放射線物質を埋め込んで治療する「高線量率組織内照射」とをダブルで行ったのは極めて珍しいことだが、癌が広範囲であることを考慮し慎重を期したのだろう。

その結果PSAはコンマ2桁まで下がる。 さらに氏が危惧していた男性機能を示すテストステロンの数値も、治療後順調に「男」を取り戻し、気を良くした氏は2009年から執筆している闘病体験記を一冊にまとめ、「癌ノート/米長流 前立腺癌への最善手」を出版する。 しかし2011の秋、自ら癌が再発したことを発表する。 癌を克服できたと確信し、治療法の選択が間違ってなかったと公表したあとだけに、そのショックは大きかったろうと思う。 しかし再発しても残された治療や食事療法などで、これから10年は大丈夫だろうと考えていただけに、同病を患う僕にとっても少なからずショックだった。

それにしても再発から僅か1年少々しか生きられなかったのは何故か・・・手がかりは氏が今年5月19日の「癌ノート」に残していた。 「放射線治療にせよ全摘にせよ、それで全てが終わった訳ではありません。 それぞれに尿漏れ等の後遺症がある。 それはまだ良いとして、PSA値が跳ね上がったりして驚くことがあるのです。」  この記述を見て思い出したのは、僕が米長氏と同じ放射線治療から3年目でPSAの上昇が始まり、転移による再発に違いないと覚悟したとき、主治医の教授から受けた説明だ。 「PSAの上がり方からして慌てなくてもいい、転移の場合もっと数値が跳ね上がります。」

つまり氏の場合、わずかに生き残っていたがん細胞が活動を始め、他の臓器に転移して急速に進行したと考えられる。 前立腺がんの転移先はその80%が骨盤・腰椎・胸椎・脊椎などだが、1年そこそこで死に至ることは考えにくい。 もしかしたら不幸にも肺や肝臓など極めて稀有な臓器に転移し、直ちに内分泌療法や抗がん剤で対処したが、進行を食い止められなかったというのが僕の推測だ。 一般に進行の遅い大人しい癌だっただけに、さぞかし無念だったろうと思えてならない。 年末に教授の診察を受ける折に見解を聞いてこようと思うが、「患者の会」でも議論し、今後に役立てたいと考えている。      

 


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