goo blog サービス終了のお知らせ 

常夏ならば振り向くかも

語り部である私が提供する、今そこにあるチープでホットな噺の数々を口承するブログ。一話解決を目指して今日も喋ります。

どん底の次は前のどん底ではないっす

2006年10月26日 | 『今そこにある既知』 今これが言いたい
今日は自分のことから日記を導入していこう。

 私は4月に手痛い決断をしてから市役所試験を受けていた。それも9月まで失敗の連続で結果として駄目だった。それから民間企業を受けるべく各種書類を作り提出。就職支援セミナーに行ったりしている。

 近況は本当に最悪の事態で、もう受けれるだけ受けなきゃならんという気持ちの反面、これまでの進路方面と外れたことに戸惑いの毎日である。
枕を高くして寝られなく、寝ても冷め、不安で疲労感が抜けない状態だ。とはいっても社会で働いている人達はもっと苦しいのだから、こんなことでめげてはいけないと言い聞かせて、何とかしている。

悩み疲れたときににある本を思い出す。

「僕らはみんな生きている 18歳で記憶を無くした青年の手記」
 バイク事故で記憶を殆んどなくし、読み書きですら出来なくなった坪倉優介が仕事をするまで綴った本である。本書冒頭から平仮名の幼稚な文が続き、本当に自分が何者かも分からない時というのはこういう状態なのかと、分かりえない世界を観ることが出来る。
 自分の行動だけではなく家族や周りの人達がする行動に「何で?何でそうしなくてはならないの」という問いが多い。理屈を述べて答えても同じ繰り返しが続く。二度も養育しなくてはならない親の気持ちはとても苦しいものの。性格こそまで変った坪倉優介を支えたのは、かつて事故にあうまでの自分が残した進路のみだった。
 私はこの本で特化した能力でなくても食べること物を買うこと、人と喋ることなど当たり前に積み重ねてきた能力というのは、大切なのだなと思った。日頃自分に対して感謝をすることは無いが、当たり前のものに感謝する気持ちは忘れてはならないと誓う本となった。
 
 毎日テレビではいじめの事件が繰り返し報道されている。いじめはする方にもされる方にも問題があるという理屈は絶対に通らない。それと死にたいと思うのは勝手だが、やはり生きてみなきゃいつまでたっても悔しいので駄目だ。それが苦で学校を辞めるケースもある。嫌なら筋を通して相談して辞めてもいい。若いからドロップアウトするのは苦しいが、いい年齢をして仕事を辞めてからの方がもっと苦しい。その年齢のくせにそうなのぉ~ってバカにされて、擁護してくれる声も皆無だというのが苦しいのだ。
 私は今の日本、小中高校生が学業を満了するのを1、2年遅れてもいいと思っている。そのような救済制度があればいいかなと最近の報道と、私の近況を重ねて考えたりしているのだ。