常夏ならば振り向くかも

語り部である私が提供する、今そこにあるチープでホットな噺の数々を口承するブログ。一話解決を目指して今日も喋ります。

朝ドリル

2008年04月24日 | 『半落ち』 トラ練のお題に答える
朝の支度にかける時間は?(4月18日)

現在は1時間ですね。
食事と洗面、それとマニュアルを見返して
手提げカゴに手持ちで要る物をぶち込んで置き、温かい紅茶をタンブラーに注いでから行ってきますになる。


朝の支度って世代によって変わると思う。

特に時間を掛けていたのが中学~高校なんだ。
うぜえ親に対する無意味な反抗期とか
思春期あっての身だしなみとかあって
学校行くのも鏡を見返したり占いを欠かさずみたり、筋トレを欠かさなかったりとか余計な時間、即ち「今」が大事でした。

その時期に大切だったのが財布以上に携帯電話を忘れないことだった。
忘れるとねもう不安でね。所詮一日忘れたからといって株式をやっている訳でもないのに、携帯に来る連絡がないと不機嫌になったな。
一番いやなのが忘れた一日を終えて帰宅したときに何も着信も、メールもなかった時だよ。
「あ。俺人気ないな」って思っちゃって、馬鹿だよねー。


大学になると家から近いこともあって、朝が暇になる。
だからテレビ観たりダラダラ過ごす…ってパターンに陥ると思いきや
暇だからとりあえず部室に行くわけ。そうすると誰か居たりしてぺらぺら喋ったりして
「なんか暑いから、海いこっか」とか「今から夜景見にいこっか」とノリ一つで出掛たりした。授業休める回数を必ずチェックしてね。休むときは『有給休暇』つかったからと言い訳してさ。
それと、山岳部だったから朝早く登山して授業開始までに戻ってくることもあったね。
地方と環境ゆえに出来たことだった。


昨年一年間は朝早く起きて、受験のためにレジュメやプリントを見返すのと、MP3プレイヤーに曲を毎朝入れ替えるのを必ずやり
新聞の気になる欄を切り抜き、電車で見やすいようにポケットへ忍ばせておくとかして、通勤ラッシュの中で如何に自由時間を確保し情報を入れておくかに悪戦苦闘だった。


時間にしてみると
中学高校が一番時間と内容の無さをしていたと思う。だから1時間半前に起きていたとしても、頭洗いなおしたり電話やメールしていたり遊ぶ物詰め替えたりして無駄だったな。


今は効率よく支度出来ても車通勤だから、道路事情によっては天と地獄になるかもしれないので安心はできません。

朝出る時ってなるべく、声を出す喋っておいた方がいいと思いますよ。
何故って声の調子って一気に上がらないからね。
支度&ハートのエンジンの掛け方、巧くなっていきたいにゃん

お砂場始発南大塚駅行き途中雨の森林駅にて待ち合わせ5分有

2008年04月18日 | 『光源Xを探れ』 殿(私)の見物検証記



 

西武新宿線、南大塚駅の北口を降りると住宅地の陰からひっそりと延びる軌道。
これこそ今や休線となっている西武鉄道安比奈線の跡である。

かつては当駅より入間川土手にあった安比奈駅間を、砂利の採取の為に運行されていた。


軌道は田んぼを抜けて森を通る。森を出ればまた道路だ。このロケーションでやりたいのが、やはりあの映画だろう。




雨の日の散歩、これにて終了。


もっと自分が出来た人間ならばな

2008年04月10日 | 『今そこにある既知』 今これが言いたい
もう働き始めて2週間は経った!?
経ったね。まだいちおは研修期間です。
試用期間は三ヶ月。

って言ってもさ。職員はもはや出来て動けっ!な雰囲気で望んできます。
2月の実習地に就職したといってもさ。実習期間の業務なんてほぼさせずに、利用者と接してくださいメインの、どの勤務体制やっても同じような感じでしたもの。

それがなぁー入って直ぐから実働して、あれこれ記録つけてその間利用者誘導して、時間に間に合わせるようにして、遅くてどやされて、薬を援助者の考えで使って云々って2つ3つを同時並行ではなく、10、20の事は考える間もなくやらなければならないんだもの、意気消沈します。

それで何十人の今日の利用者様子はどうだったと考えても、私には真新しいことでも上の人からみればどうってことないって言われますからね。
行動情緒、健康の変化を何十人も管理するって辛いな。

あ、俺ね。知的障害者の入所施設で働いています。

もう22回は「やめてやる」って心の内で呟いたり、ぼやいたりしたか分かんない。今でも気を抜くとその言葉出てくる。

2週間ほぼ全体の半分も仕事が出来ていないって想いが被さる中、2つ大変な事が起きた。

1つは職員が3月いっぱいで退職したんだ。その発表を受けるまで利用者を落ち着かせる為に躍起になっていて、いざその時の段になって発表されたこと

「これからは警察官になります」

この一言にドキッとしました。だって俺短い間だっけれど警察学校に居たことあったもの。中途半端に警察辞めて社会福祉士から福祉制度を学んで、それからこの施設に拾ってもらった俺と何年も勤めあげて警察官になる先輩。
俺はなんと中途半端すぎて、苦しくて胸が締め付けられる思いだった。

利用者の一人が歌う贈る言葉を背中越しに聴きながら「俺は本当にこの道でよかったのだろうか」と自問自答した。こうやって誰かが泣いて、歌ってくれるまで俺は出来るのか、この日の帰り道塞ぎ込んだのを覚えている。


最後はつい一昨日に俺が働いている男性棟の利用者が死去されたことだ。その日の晩まで業務をし、ドライブまで一緒に行ったのにな。土日は元気が良すぎてワーワー騒ぐその方でね、棟内でも目立つ方だった。

それが次の日の昼に電話が来て「○○さんが明朝、亡くなりました。私は通常の業務に入ってください」と報告を受けた。
電話を切った瞬間、とてつもなく嫌な動悸がしてタバコを一服しても収まらずに、とりあえずいつもより早く出勤した。

こんな事を言っては申し訳がないが「自分が宿直業務でなくて良かった」と安心感はあったんだ。

着いた早々、俺に付くはずの職員がその方の担当者だったので職場に居なく、ほとんど自分で動かなければならなかった。しかも泊まり勤務だという最悪な日。全く出来ない二回目なのにこの事態だ。

職員同士がフォロに入っているとはいえ、ほとんどマニュアル(勤務ごとの小さいコピーはいつも携帯しているものの…)は役に立たず。邪魔な奴と思われただろう。夕方になって俺の職員が戻ってきたものの、先輩は力がいつもより抜けていた。記録を代わりに書くこと、排泄誘導を俺がすること、物品を運ぶこととか少しでもサポートしようと動いた。

深夜、皆が寝静まりかけた時、聞くか聞かざるべきか迷ったが死去された方について尋ねてみた。援助記録を見ながらボソリボソリと語ってくれ、良かった反面申し訳なさも感じていた。

横になって休んでいいよと言ってくれたけれども、昨夜が昨夜だし寝るわけには流石にいかず目だけ瞑っていた。深夜でも徘徊したり失禁をする利用者は必ず居て足音を聞くたびに「辛い」と何回胸の内で叫んだのだろう。そして何時○○さん起き出しとメモをして、再び目を瞑った。

利用者の起床時間が間近に迫り、私はそれぞれの部屋を巡回と着替えさせに回った。先輩は相当の疲労のせいか鼾をかいて寝ている。何とかカバーしようと回り、一通り回ると不安で不安になりさすがに起こした。

雨脚が強く、利用者間の告別式をする日だったので日中の予定がずれるとは予想していたものの、うちらはほとんど快活に動けなかった。

何とか退社できたのが昼を大分過ぎてから
眠気と疲労を辛抱しつつ、家まで半分の地点のコンビニでカップラーメンを買い車の中で食べた。
だがもう(眠気が)やばい、耐えられないとなり、そのまま夕刻まで背中を丸まらせて寝た。

泊まり明けは休日なのだが御通夜なので仕事場に向かう。
霊前に最後の挨拶をしてロビーで待つ。
やはり先輩の顔色は厳しかった。近くに居たが私も俯くことしかできない。
式が終わりご家族の方が、先輩の前に来て生前の全てについて感謝を述べた。

すがる様な想いで施設に預け、その子の為その子の為にめちゃくちゃに金を使ったに違いない。到底私なぞが同じ気持ちになる事なんてできない。

「ここまで重い仕事なのか」と眼を霞ませて、先輩を背中越しに見ながらまた俯いた。


23回目の「やめてやる」はきっと明日もどこかで思うんだろうな。
別にいちいち数えてはいないけれどさ。そんだけあったかなと

色々あるけれど、とりあえず生きています。

Ⅹな6 「書いて覚える見て覚える」

2008年04月09日 | 『光源Xを探れ』 殿(私)の見物検証記

これはアンコールワット遺跡に書かれた落書きである。


「書いた奴は日本人らしいですね。父と母の弔いを込めて堂々と書いた」
「しかしここぞ行き先の天竺(インド)ではなく、カンボジアだったという事は知らなかったっ」
「江戸時代の話だしね。GoogleEathで衛星写真なんか無い時代だもん。」


<1632年江戸時代>

  「オサムライサン、ココガ、天竺ダヨ」
  「海原を越え、喧騒な森を進みついた先、なんとまた!荘厳麗しき寺院!天竺についたのだな」
  「ダネダネ」


  「ううむ、早速ではあるが、お釈迦様が説法を説いた祇園精舎を案内してまいれ」

  「ココダ」

  「なぬ?」

  「インド人嘘ツカナイ」
  「手際がよくあっぱれ。誠に神聖なる民であるな。それでは参るぞ」


                              ♪ちゃんちゃん


「そうやって騙されたか、相手も知らなかった…」
「有力な説では当時のアンコールワットも天竺だと、思われていたそうだよ」


さて落書きはみなさんの近場にもいっぱいありますよね。
今回は落書きの中でも特に目にするところ
私も好きな便所の落書きについて考察してみます。






かすれて見えないところは補正しておきました。
書いた当初は、ほにゃららなホームページを紹介するだけだったものの

オレもヤレたの煽りが加わり

そこに全部同じ奴が書いた字体との突っ込みが入った。

「なんとも無意味なやり取り」
「うむ、しかしラストの文言」

結局テツの女だった

決めの一言がこのサイクルに良いオチをつけていますよね。
まとめると

ほにゃららなHPに誘導させたものの訪問者が少ないので、一言加えておく。それを見て煽った奴。どうしても欲望に堪え切らずサイトにアクセス。
そして出会った。
しかし
その女は知り合い(テツ)の女だったというオチ。

撮影したのが田舎のトイレです。
顔を知らない者同士の出会いを求めてサイトを利用したものの、田舎コミニティからは逸脱できず、肝心の書いた本人も煽った本人も知り合い同士。

SNS的です。




次の落書きは「文字埋め込みパターン」

PSとの表示

PとSの隙間は何か書いてくださいと言っているようだ。
そこで書いたのが




PHS
皆さん、PHS使ってますか?

もう一文字加わっているんだ





PSP
プレイステーションポータブル

題して
PSだけで思い浮かぶ連想落書きとは何かであります。


PHSがサービス開始されたのは1995年。もはや全盛期は過ぎたといってもいいだろう。
PSPが発売されたのは2004年12月、二大携帯ゲームの一角として今もまい進している。

すると単純に考えればPHSと書かれていた日に、新たにPの字が加わったのは2004年12月以降ということだ。

そして集中してこの画を見れば

Hの字に×されている。
Hを全否定しPSPこそが時代の鏡だと宣言した奴が、来て座って用を足したという便座。
その前にあった落書きされた壁。時代の変革を感じました。


ベルリンの壁だ」
「ええ、大便の苦しみは自分との冷戦ですからね」

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「ところで今日のブログ、テストにはどの辺が出るの?
便所の話だけに、煽り文句も水に流そうというあたりを中心に…



それでは

Ⅹ散会!

3月31日を合格せよ

2008年04月01日 | 『今そこにある既知』 今これが言いたい


昨年の9月に心持ち新たにし



1月、ただ問題を解くだけの問題な日を過ごしていました。

忘れもしない





1/27、希に見る短い文。


その社会福祉士国家試験合格発表は3/31。


この日、私は何をしていたかといえば、泊まり勤務…。
明けて夕方、よくぞ事故らずに帰宅できたもんだ。

覚えなくちゃならないことが天文学的に膨大にあり、意気消沈していた。

帰宅して合格発表を見ると自分の受験番号があった。
一年間の結果は「合格」


「そりゃそーだ」

荷をぶんなげ寝る。


そりゃそうなんだ。
かっこつけている訳じゃないんだけど

あまりにも呆気なかった。嬉しさなんて